February 3, 2012


ブックマーク

2005年頃ある「ピーク」が自分とまわりにありました。

そのピークとは「コミュニケーション」だったと思います。

ネットにブログというものが広がってそこで自分の考えと近い共感

をしてくれもしわたしも共感を覚える人達が5人10人と集まった時

期でした。人数では推し量れない充実感がありました。

勉強会や講演に参加してくれて、その日か数日後にはその感想が言

葉となってブログに掲載され相互に確認できる、そんなすてきな

コミュニケーションがありました。

残念な事にしだいにみんなの更新の頻度が下がり、それとともに自

分のブックマークからも消えていきました。

学生だから書けた事。独身だから書けた事。子供がいないから書け
た事。そういう仕事だから書けた事。

それらが3年5年と経つうちに変化が起こり、書けなくなる。

この頃第二の変化がみんなに起きているように感じています。

書けなくなった人達がまた書き始めた。

わたしは10年前からそう変化はしていません。ずっと同じような気

ちと環境の中にいます。そういう意味では書く事もぶれていません。

たぶんみんなが帰ってきた時に、『やっぱりそこにあかりが灯ってい

た』そう思ってもらうためでもあります。


4:08 PM

February 1, 2012


デザインの教科書

デザインの教科書2.jpg

8:29 PM

February 1, 2012


コクヨのココロ

trystrams2.jpg


コクヨS&Tの運用するショッピングサイト「SHOW CASE」にtrystrams製品が
登場した。

「このサイトについて」にこんな一文が掲載されている。

『コクヨだけでも約1万種類の製品があるんです。だから、カタログも電話帳ぐ
らいの厚さになっています。日本の文具業界団体のリストに登録されている商品
だけでも25万種類以上あるので、中略 ものすごい数になることだけは確かで
す。』

『ながーく売れているのに知られていない製品』『特定の人しか知らない製品』

『もっともっと、いろんな人がいろんな製品に出会ってほしい。』と。

とても共感する話だ。わたしもいろんな人がすばらしい製品に巡り会って欲しい。

かつてこのブログで「ロングテール」という話を書いた。
ネットの登場によって店舗でのように「見えるところに大量に展示した製品だけ
が圧倒的に売れる」という従来の売れ方ではなくて、目立たない製品や埋もれた
製品がネットの画面と「検索」によって買う人が「フラット」に買う商品を選ぶ
ようになって恐竜の尻尾に似ているところから命名された「長い尻尾(ロングテ
ール)」の尻尾の部分がどんどん太く長くなっている。

フラットにフェアーにより多くのものが選ばれる環境がネットによって広がった。

それは製品だけの事ではない。デザイナーそのものにも当てはまる。
いろんな人のいろんなデザインや活動を多くの人に知って欲しい。それこそが
文化の広がりであり深さの根源だ。「バリエーション」は製品だけの話ではない。

12:00 PM

January 31, 2012


そうなればと思って

わたしはここで書いている事が「デザインの教科書」になればいいなと思ってい
ます。参考書じゃなくて恐れ多くも教科書。

それも学生向けでありながら社会に出てからも教科書になりうるものに。

一生ポケットにカバンに入れてぼろぼろになるまで読み続ける事の出来る教科書。

たぶんそこにはデザインの話ではない話が沢山ある。そうでなければ「一生の
教科書」になりえないように思います。

そしてその本はデザイナーでない人にも読んでもらえるもの。

「デザイン的思考と実践」はきっとデザインに関わっていない人にも役に立てると
思います。

その教科書の「副読本」はわたしのデザインした製品です。

8:21 PM

January 31, 2012


1/365

1-365.jpg


先日までパリで開催されていた「365日 Charming Everyday Things」の模様
がOPNERSに掲載された。

セレクションには、富山デザインコンペでご一緒した山田遊さんが関わられ
ている。

山田さんは、国立新美術館ミュージアムショップ「スーベニアフロムトーキ
ョー」をはじめ「パス・ザ・バトン」、羽田空港のみやげ店「Tokyo's Tokyo」
などのバイヤーを担当された方だ。

ショップの「今」には、いつも山田さんがいるという感じだ。

10:21 AM

January 30, 2012


初心

shosinn.jpg


『講演会のタイトルはどうしますか?』と聞かれてわたしは即座に『デザインの
初心にしますか。』と提案して2月4日の大阪市立デザイン教育研究所での講演会
のタイトルが決まった。

「デザインの初心」はlong life design [d]に2007年の1月号から連載されていた
自身のエッセーのタイトルである。

初心という言葉にはふしぎなチカラがある。「初心」と聞くと背筋がのびるのよ
うなまさにものごとのスタートラインに立ったような緊張感とはれやかさがある。

さらにいえば「初(うぶ)」という言葉もすてきだ。

良いものは新鮮なおどろきを見る人使う人に与え続ける。

わたしはこの連載をはじめるにあたって文中に「流行」や「時勢」を書かない事
を決めていた。いつ見てもどこで見ても文中に書かれている事が、過去ではなく
て「今」の事と読む人が感じてくれる事を願ったからだ。

初心に時間はない。どんなに長い経験を積んでも「初心」はつねにそこに存在す
る。

デザインはつねに後から出てくるものに更新されつづける。新しい素材新しい技
術新しい感性によってそこにとどまる事は出来ない。

初心というのは「自分の初心が生まれた時に固執」することではない。
新しいモノに対して常に新鮮な感動とモチベーションを持てる事こそが「初心を
忘れない姿勢」だといえる。

写真の「経験」冒頭でわたしはこう書いている。

『これから経験する事のためにスケッチブックの一枚目のような真白い紙を用意
していたいのです。』


9:37 AM

January 27, 2012


無芸有芸

わたしは多才にも多能にも多趣味にもあこがれは無い。

言ってみれば「デザイン」しかもプロダクトデザインしかしていない。

しかしその一つの領域はとても広く深い。

かつてはわたしも「歌って踊れるデザイナー」を目指した事がある。

やわらかいカタチも硬いカタチも「やわらかたい」カタチも自在に繰り出せ
るデザイナーになることが世間の評価を得られる手だてだと思っていた。

しかしそれはある意味「油断の変形」ではないかと思った。

まず自分が指向する「硬いカタチ」をちゃんと成してはいないと気がついた。

デザインで必要な「やわらかさ」とはカタチではなく、仕事の「柔軟性」だ
と思った。

相手の話を聞く。相手の要望を聞く。相手が困っている事を聞く。そういう
「聞く耳」を持ちそれへの答えをいろんなところから持って来れるチカラこ
そが「やわらかさ」だと思った。

ひとつの「芸」を侮ってはいけない。

10:12 AM

January 26, 2012


備える

元旦の日に出かけた際、地下鉄に乗っていた時に地震があった。
あらかじめ警戒警報があってもよりの駅で待機するかたちになった。

結局は事なきを得て(地震はあったが)10分ぐらいでまた電車は動き出した。

わたしは公共機関の中で地震に遭遇するのは初めてだった事もあり「なにかあ
る」と思わざるをえなかった。

数日後食事中に家族に『備えよ。こころがまえよ。』という話をした。

数年前に関西に居る人が東京に移動になる際に住む場所の相談を受けた時に
『昔からある大学や公園のそばに住むのが良いよ』というアドバイスをした。

かつて「土地の選択が相当自由な人達が選んだ場所」には根拠があると思って
いる。べつに風水とは言わなくてもそれは自明の理だと思う。

でも本当に言いたいのは「備える」という事ではない。「備えあっても憂いは
ある」。かつどうしようもない事だらけである。

備えるというのはたぶん「備蓄」でも「確保」でもないのだと思う。
覚悟の確認こそが「備える」という意味だろう。


12:05 PM

January 25, 2012


曖昧

「デザイン力をあげるにはどうすればいいか?」と聞かれたらどう答える
か。

『とにかく大量に本や雑誌や資料を見て「曖昧に」記憶する事だ。』

デザインは目から入る。目にしたものを積み重ねてアイディアは生まれる。

しかし思うにそれらは「ぼやっと」した程度に抑えるところが「肝要」な
のかとこの頃は思う。正確さに走ると記憶が楽しくなくなる。しいては
デザインが「クリーエーティブ」ではなく「トレース」になってしまう。

粘菌の研究者だった南方熊楠は博覧強記の人で有名だったそうだが、南方
本人は『見たもの全部記憶しまうことに疲れる』といった言葉を残してい
たのを「曖昧に記憶」している。

もちろんそんな記憶力を持ち得ないわたしだがむかしのちょっとした自慢
は、家に訪ねてくれた友人とデザインの話をしていて『あそうそうそれは
コノ本に出てるよ』と当時は壁一面を占めていたデザインや建築の本や雑
誌のバックナンバーをすっと見回してすぐにその一冊を取り出してぱらぱ
らとめくって『ほらここに載っている』という事を10秒ぐらいでしていた
「過去」がある。

さりとて内容を南方みたいにそらんじていた訳ではない。(エピソードを
見ていたら彼は他の家で読んだ本を帰ってから記憶をたよりに写し書きし
たらしい)

わたしの「長所」は自分の記憶容量の小ささの自覚じゃないかと思ってい
てその小さいトランクに詰め込む為に物事の要点しか記憶しない。

もし他所で見た本も写す時には数ページか1ページに集約出来るポイント
を探しながら書き出すだけだろう。

さっきの本棚の話にもコツがある。それはデザイン雑誌一冊の中に記憶す
べきものは一点か二点しか無い事が多い。さらにいえば一年12冊の中に、
数点しかないので曖昧に「この辺かなという位置」を記憶しているだけの
話だ。

わたしは過去に見た「良い製品」を思い浮かべて自分のデザインを考える
事は少なくないが、その製品を改めて見直すと「そういう格好をしてない」
という事が多い。まったく自分の都合のいいカタチに記憶しているのだ。

12:21 PM

January 24, 2012


表現力

「シルクハットを倒(さか)さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を
立てたそれが甲府だと思えば、間違いない。」

これは太宰治の短編「新樹の言葉」の冒頭に出てくる一節だが、この「シルク
ハットをさかさまにして小さい小さい旗を立てた」という表現にほんとうにび
っくりした覚えがある。

まさにシャッポーを脱ぐというしかない。

なんというのか唐突に思わぬ角度からすっと強い光があたって瞬間にその場所
が輝きだすような言葉のチカラがある。

例え話は嫌いじゃない。
そのまま話してもおおよそデザインのしている事は表現出来ないし、伝わると
も思えない。

その昔「イマジネーション」を広げるには「詩」を読むと良いと言われた。
多少はその事を試しては見たがどうも「詩の世界」にはついていけなかった。

「行ったっきり」というかそこに書かれている言葉が自分の目の前から飛び立
ってこちらに戻ってこなくてその場に置いてけぼりをされた気分だけが残った。

それにくらべて表現力の切れの良い小説には「前」もあれば「後ろ」もあって
ちゃんと全貌を把握できるのが助かる。ちなみにさっきの太宰治の一節には
「前」がある。それは甲府という場所に対して自分(太宰)が感じている甲府
とのギャップがあってその事を「いささか大げさにあか抜けたイメージ」を作
るために用いた「ハイカラ」言葉であって、太宰の本心は「実はそこまでとも
思っていない」という事まで読み取れるのである。

まあまあわたしが熱くなってもしょうがない。

わたしの友人I君もわたしに劣らず「例え話」好きで、わたしの例え話をさらに
別の例えで「上に乗っける」というやり取りを良くしていたが、以前はわたし
の「判りやすい例え」が彼の手にかかると「難解な例え」に変貌する事もよく
あった。

例えるとキャッチボールをしていて取り損ねて後ろに転がったボールを通りか
かった人に投げ返してもらったら、わたしと違う方向に投げ返すような感じだ
った。

ところが(?)最近めきめきと「例え力」が向上してきた。
わたしがキャッチボールしていたスピードよりも速い球がバシッとわたしの胸
元に返ってくる。 キャッチャーの返球がピッチャーよりも速い感じだろうか。

ちなみにIくんのスピードとコントロールが向上したのは彼自身の「経験」の
たまものである。

なんだかわたし自身の例え話に切れが無くなってきた。


8:03 PM

January 24, 2012


才能

aiua.jpg


さっきサイトをデザインしてくれた有馬君から『e-mailアドレスをトップ画面に
移動しました。』と連絡をいただいた。

有馬君はウェブデザイナーで、「Web Designing」の1月号の特集「10人の新世
代クリエーター」
でトップに取り上げられている。

そういう人に彼が10代の時から知り合ってこうやってホームページのデザインを
してもらっているのは「先見の明」と言いたいところだが、彼と会えばだれでも
10分で『ただものではない』と感じるはずで、特に先見したとは思っていない。

彼は中学時代から独学でプログラムを学び様々な実験的デザインを発表していて
高校時代には今で言うところの「神」と知り合いから呼ばれていた。

最初メールをもらった時にこう書かれていた『シンプルとはなんですか?』
わたしの一本用ワインセラーを写真で見るとただの円筒と四角形の組み合わせに
見えていたものがの実物を見ると細かい処理がなされていてその事が、シンプル
を際立たせていることに驚きと感慨を持ってくれたそうだ。

10代の未成年がワインの為の製品に着目する視点と融通性もすごいし、そこに造
形とデザインの深淵を思う感性はただ者ではない。

そう思って何度か会ううちに彼のグラフィックセンスがバウハウスやロシアアバ
ンギャルドなどしっかりと「古典」までの教養を持っている事にさらに驚いた。

わたしは今から15年ぐらい前に大学の後輩からもらった一通の手紙からその青年
の才能にほれていろんな会社や友人を紹介した事があり、その後も教えていた専
門学校の才能あふれる学生をまたいろんな会社に紹介した。

別に紹介した自慢をする気はないのだけれど「若い才能」というのは、ある意味
同業者の「脅威」であり「恐怖」な部分がある。

そういう「脅威」や「恐怖」とどう向かい合うのかについてはとても「興味があ
る」。

ふうつであれば「紹介者」というモーメントのかからない場所で高見の見物をす
るのが気が楽だけれど、わたしは同じ次元でできるだけその事を受け止めるよう
にしている。

わたしが若い才能を紹介出来る「自分」を確立しないといけないというプレッシ
ャーを自らに課す訳だ。

「有名になりたい」といういささか恥ずかしい希望をさらけだすのも実はその紹
介した当時の自分から「成長する姿」を彼らに見せる事が、結局彼らの未来像に
直結して感じてくれると思うからだ。

同時に若い時の自分の姿とその社会からの受け止め方を「反芻」する。
さきほども書いたように若い才能は「脅威」であり「恐怖」であるので、自らの
アイデンティティーやプライドが素直さを相手から奪う事も少なくない。

『あの事はそうだったのか』そう思い返す事もしばしばである。

わたしは「良き事にそのチカラを使って欲しい」という思いで動いている。それ
はわたしだけでは体現出来ない。「おそろしい」「負けてしまいそう」そういう
才能と向かい合ってそのベクトルを良き方向に向けるのは醍醐味であり生き甲斐
でもある。

9:33 AM

January 23, 2012


経験

「荷物は背負って見なくては重さがわからない。」

「荷物は開けてみなくては中身はわからない。」

わたしはこれまで「デザイン」という荷物を背負える体力をつける為に
予備校に通い学校に行き就職をし転職をし独立した。

どんどん荷物は大きくなるがそれに見合う体力が無ければよりおおきな
荷物を背負う事に躊躇もし、努めて改めてそれに挑んだ。

荷物は「おおきさ」だけではわからない。人がこうだといってもそれが
そのまま的を得ているとも限らなかった。

人が「ちいさい荷物」と言っていてもそこにはぎっしりと中身が詰まっ
ていて人からは「軽そう」で見過ごされていてもわたしにはそのモノが
その後とてもおおきな意味を持つと背負った手応えで感じていた。

すべては実感しないとわからない。背負ってみなければわからない。

たぶんそれを言葉にしても大きくなるまでは理解されない。

ただ言えるのは、すべての荷物はその外観の大きさに関係なく慎重に自
らは「重い」という覚悟をしていなければいけないという事だ。


9:32 AM

January 22, 2012


美しき効率

「デザインとは美しき効率である」

昨日事務所を訪ねてきてくれた青年から『アキタさんにとってデザインとは
何か?』と問われてわたしは躊躇無く『効率かな』と答えた。

わたしは新しい仕事にあたって企画や設計の方に『その製品の理想はなんで
すか?』と尋ねる。

どういう事ができてどうなるのが「望み」でありその製品の求めるところを
聞く。現状の製品からその理想の製品まで「最短距離の直線」を引く。

そしてその直線に横たわる問題点や課題を考える。そういう作業の中からあ
る仮説を思う。

すばらしい仕事をしている人ほど「挫折」を味わっているだろう。挫折とは
直線状に現状と目標に直線を引いた人にしか用意されていない山であり谷で
あるだろうと。

しかしデザインは「効率」だけではデザイン足り得ない。
もし効率だけで製品足り得るなら数式で生まれたカタチですべてがまかなえ
るがそれでは「ユーザー」の気持ちは動かない。メーカーの満足で終わって
しまう。

ゆえにデザインにおける「美しい効率」には「人の感情に訴える要素」が含
まれていなくてはいけない。

例えばダイソンは掃除機において革新的で「掃除」に対して高い効率をしめ
しているが、ダイソンの特徴とも言える部品に施されている「赤」や「青」
や「黄」という鮮やかな色は特に掃除の機能とは関係していない。
さらに透明な本体は「吸引している」という事を使う人に訴える事において
効率的だが不透明であっても問題は無い。そこにデザインの「機微」がある。

価格帯の機種のバリエーションを作る事において「効率的」であり購入者の
購買意欲を高める効果に於いて「効率的」なのである。たぶんそれらの感情
は数値化出来ない。

感情と効率の融合がデザインでありそれが「美しき効率」なのだ。


11:43 AM

January 21, 2012


端的

あっけらかんとしたプロダクトでならなくてはならない。

そこにただただ存在し、あたかもそれが人が作ったと思えないところまで
技と手の後を抜き去る。

今まで覚えたテクニックや知識を一旦捨てて目の前にある「条件の僕(しもべ)」
になってみる。

7:06 PM

January 20, 2012


継続性

先日、ライターの加藤孝司さんが手伝われている早稲田大学の建築研究室が編纂中
の本中に掲載するインタビューの取材を西早稲田の理工学部キャンパスで受けた。

わたしが担当する内容は「持続 / 継続」でプロダクトデザインをキーにしてお話を
させていただいた。

「継続するものは不器用でなくてはいけない」「単機能でありその単機能を極めた
もの事こそが継続性へと導かれる」それがわたしが今感じている真理だ。

長く売られているものが「デザイン性が優れている」という結論は案外に導きだす
事は難しい。

その代わり長く売られているものは、「その機能に対してとても素直に従順につく
られている」かと思っていて外観的に洗練されていなくても「機能的」という意味
では正解である事がある。

そこに「デザイン性」というキーワードで解答を求めても外観の洗練にしかならず
結局は「初代」を凌駕出来なかった試行錯誤の歴史も知っている。

しかしなぜかそういう「デザインの限界」に気がついた事が失望にも意欲の低下に
もつながらない自分が居る。

デザイナーは「カタチ化」することに優れている。カタチをカタチ化する訳ではな
く、その製品の機能をカタチにし問題点をいちはやく関わる人達に「共有化」する
事が出来るチカラがある。

つまり「結論」ではなくて「問題」を具象化する事が出来るのであって作業には
「なにをすれば当たるか」ではなく(それもあるが)「なにをすればはずれるのか」
を提示することが事前に出来るとも言える。

「不適合なもの」が消去されて「適合なもの」が選択されるという生物の進化形体
が新陳代謝だとすると同じカタチが継続し増殖するのは難しい。

不適合はなにかを考える事はデザイナーにとっても大事な「進化」かもしれない。

6:08 PM

January 20, 2012


365日 Charming Everyday Things

365.jpg


今日1月20日から25日までパリのバスティーユデザインセンターで開催される展
示会「365日 Charming Everyday Things」にセラミックジャパンから小松誠さん
の酒器セットとdo-nabe240が選ばれ展示される。

一年365日にちなんだ365の製品を選んでいる。ちなみにdo-nabeは10月16日。

ホームページではすべての製品を閲覧出来る、左上の「LIVE」ボタンをクリック
すると会場のライブ映像が見られる仕組みになっている。

2:18 PM

January 20, 2012


メタ感情

昨日ひさしぶりに雨が降ってそれが雪に変わった。
それまで東京は乾燥注意報がつづいていたので恵みの雨だ。

わたしは思った。もし乾燥についての感想を毎日ここで書いていたらどう
なったかと。

『いやーほんとに乾いてますね。大変』『いやー雨が降ってよかったです
ね。』と書き、雪がどんどん降り続いたら今度は『いやーこんなに降っち
ゃ困りますね。』と書き、『こんなに雪に弱い都市は・・・』。と書いた
かもしれない。つまりきりがない。

きりがないのはいいとして問題なのはすべての現状について「否定的」と
いうか自分のチカラでどうしようもない事を「なにかできるようなもの」
ように言葉にしていることだ。

面白もので自分の中で「本当の自分はそんなに否定的な人ではない」とい
う世間に向けてのバランス感覚が働いて今度は自分の近くで起きている「
楽しい事」を書きたくなるものだ。

はじめから書かなければそんなバランスを考える必要も無い。もっとやる
べき事書くべき事がある。
___________________________________________________________

わたしが出張中切れた電球を交換しようとしたら電球が割れてしまったと
いう事で、今朝交換作業した。

割れた電球をはずして新しいものに換えようとしたらなかなかうまくはま
ってくれない。そばにいた家人に『この電球はサイズが違うんじゃないか。
』と言った。『そんなはずはないよ』と答えが返ってくる。しばらく塩梅
していたらちゃんとはまった。

実はわたしも内心そんなはずはないと思っている。

自分でもわかっているけれど話が間違っていようがとにかくなにか言って
ないと「間が持たない」から思ったまま言っただけでそれが正しいか間違
っているかは大して重要じゃない。そういう「やりとり」を楽しんでいる。

つまり目の前で起きた事に関してそう正確な事をちくいち自分が言ってい
る訳でもないという自覚があるので、感情をしばらく「寝かしておく」よ
うに努めている。

他方電球のエピソードは、これからするかもしれない「電球のデザイン」
を担当するときのおおきなヒントになり「説得力」になると考える。

暗いところでも変えやすい電球、割れにくい電球、サイズが明確な電球。

今回の「ささいな出来事」は些事でない。デザインのきっかけを示唆し
ている。

苦労話や批判を「クリエーティブ」な行為に変換しなければいけない。
いけないというかそういう事を役立てる行為に変換できるのがデザイナ
ーという仕事である。

一次的な感情を「メタ(二次・三次)」へと前向きに高める事が大切だ
と思う。

10:01 AM

January 17, 2012


だれかではなく

誰がしたかは重要ではない。

誰かがしなければならない事を誰かがする。

その誰かがした事をまた別の誰かがしなければならない事だと感じて
広がっていく事が大切だ。

秋田道夫


9:44 AM

January 16, 2012


リアルデザイン3月号

どれだけ言葉がまっすぐ届くかどうかは「日常」にかかっている。

わたしはそういう意味でここに書く事を制限していて「喜怒哀楽」とか
状況とか「宣伝」や「誇張」をできるだけしないようにこころがけている。

しかし読む側には「そんな人はいないだろう」という通念があることも否
定出来ない。

ここまで慎重に言葉を選ぶには訳がある。

今日16日に発売された「リアルデザイン3月号」はすばらしい。

デザインがこんなに素直に気持ちに届くのは久しぶりである。

別に「わたしのコメントが載っているから」というひいき目と思われても
しょうがない。しかしわたしはほんとうにすばらしいと感じたのである。

7:00 PM

January 16, 2012


大阪市立デザイン研究所

deken.jpg

来月「大阪市立デザイン研究所」の卒業制作展で特別講演をさせていただき
ます。

大阪市立デザイン研究所は「大阪市立工芸高校」の敷地にあり公立のデザイ
ン系専門学校としては、日本唯一の学校と記されています。

一般から受ける事ができますが、工芸高校とデザイン研究所をあわせて
「工芸高等専門学校(高専)」という捉え方もできるかと思います。

この両校をでられた江口海里さんとのつながりで、今回の特別講演会が実現
する運びとなりました。

わたしには工芸高校はちょとした思い出があります。わたしが高校進学を考
えた時に工芸高校も視野にあったからです。 住んでいるところからすこし
遠いという事もあって断念しましたが、もし進んでいたら有名なブルースの
グループ「憂歌団(ゆうかだん)」と同級生でした。


10:53 AM

January 16, 2012


受話器

TSUTSU写真.jpg

唐突な話題だが、わたしは会社に在籍している時「電話を取る」のが早かっ
た。わたしよりも一回り上の大ベテランのデザイナーの方にも電話を取るの
が早い方がいらして暗黙のうちに「受話器を早く取る合戦」が静かな職場で
展開していた。

デザインする事をすべて「クリエーティブ」な行為と思われているかもしれ
ないが、仕事全体の半分は現行品を少し変えてバリエーションを作るという
かなり地味な行為で占められている。

外からは見えないそういう実情にまず新入社員は唖然とする。
そしてそういう地味な仕事が新入社員に依頼されて、やってもやっても結果
が出ない自分にまた唖然とする。

実はこの作業は「だれがやっても難しい」仕事なのだ。
ほんとうはベテランの人にこそ「向いている」のだが、なかなかベテランに
そういう仕事は頼みづらく仕事のミスマッチが起こりがちだ。

さっさとそういう仕事を自分からすすんで請け負うのは「かっこいい」と
思う。 

ステンレス水筒 「tsutsu」SUS gallery 2010年

9:32 AM

January 15, 2012


F1

PRIMARIOテープ.jpg

「値段がデザイン」というわたしがこうやって「世間相場」を遥かにおいて
けぼりにした製品を生んだのには理由がある。

この製品を作っているタケダは、日頃ステンレスをはじめとする金属加工を
得意とする燕三条のメーカーである。

そのメーカーが新しいジャンルに挑む為に作ったのが「Primario」という
ブランドだ。

製品の企画もブランド名もわたしが考えた。「なにをするか」そのものをゆ
だねていただいた。

その中で考えたのは「金属加工を活かす」という事だった。
加工メーカーはビックサイトをはじめとする場所で「金属加工の展示会」を
開催している。これまで手がけた加工品を展示して技術をアピールする場で
ある。

わたしはその展示会を見に行って「加工を究極に高めるとこういう製品が
出来てしかもしれが製品となって買う事も出来る」という有り様の方が来場
した人達の「理解」を得られるように思った。

『技術のF1カーを作りましょう』それが合い言葉になった。

F1カーはとてつもなく高価だが、この動かないF1カーも高価である。

20ミリの「ステンレスのムク」である。それをおよそ2日かかってこの半円
をひたすらNCマシーンが0.02ミリぐらいを掘り下げていく。さらにワイヤー
加工で直接「刃」を作り出している。 とんでもなく手間のかかった製品だ。

7:20 PM

January 15, 2012


これは「やや」洗濯機ではない


ハイアール洗濯機.jpg

この洗濯機にはちょっとしたエピソードがある。

発売されて間もなく、多分国内で最初に展示された関西の大型スーパーへその
様子を見に行った。

平日の夕方、洗濯機が沢山ならんだ売り場で少し離れて「鑑賞」していたら
そこに小さい子供を連れた若い奥さんが来て洗濯機を見て歩いていた。

次の瞬間笑ってしまった。この洗濯機を見る寸前できびずをくっると返してそ
の場を立ち去ったのだ。

わたしは思った「洗濯機に見えなかったんだろう」と。

実はわたしのコンセプトは「洗濯機に見えない洗濯機」だった。

洗濯機は、だれでもわかるように「超成熟商品」に位置する。
新しい洗濯機を買ったといっても別段親戚や友達を呼んだりはしないだろう。
ましてや3万円ぐらいの製品ではもっとそうだろう。


その「盛り上がらない気持ち」を盛りあげるのは使った感動だろう。
わたしは普通は青色の透明パネルをフタから取った。そして真っ平らにした。
ほんとうは操作パネルもフラットにしたかった。

洗濯の出来る「四角い箱」にしたかった。

青色の透明パネルを無くしたのは上に「洗濯カゴ」を載せられる為であり
同時に「コストダウン」につながると思った。

普通の洗濯機と最も違うのは、実は「電源スイッチ」が左端に置いている事
だ。 これはオーディオのデザインを長年していた「癖」でもある。

間違って電源を入れたり切ったりしない為の気配りでもある。

この製品が沢山売れたのはデザインではなく「安くてすぐれた性能」だった
と思っている。わたしはそういう購動機を理解した訳で新しいデザインを試し
たのである。

結果「やや」洗濯機ではない洗濯機は、どんどん新製品が登場するジャンルの
中にあって今でも売られ続けている。

「乾燥機能付き洗濯機」ハイアール 2007年


6:48 PM

January 14, 2012


Power of Design

「デザインを良き事の為に使う」これがわたしの信条です。

今は困難であってもその先にきっと人々の笑顔に会えるモノを作り続
けたいと日々デザインをしています。

スタンダードデザインを生み出したいと思っています。
「ありそうでなかったもの」ではなく「あるべきなのに生まれていな
い」そういうカタチを探り当てる事に気をそそいでいます。

使っている人達が自分の意思でそのものが生まれたんだと思ってもら
えるような「ユーザーの手の中にある」モノを作りたいのです。

デザインは特徴的や個性的である事をいつも求められまれていて、そ
の中でスタンダードなカタチを目指す事は困難であり勇気が伴います。

しかしその難しい事に挑む事こそが長年この仕事に従事しているもの
にとって重要な課題であり責任だと思っています。その姿勢を示す事
こそが「良き事」を次代のデザインとデザイナーにつなぐ礎ではない
かと考えています。

最近富みに、デザインの可能性を広げるのはひょっとすると「言葉」
ではないかという思いが強くなっています。

日本の建築やデザインの歴史を振り返る時に必ずといっていいほど登
場するのが建築家ル・コルビジェという存在です。

コルビジェには時代を超越した造形力と先見性があるのですが同時に
思想を「言葉」に託す人でもありました。

その言葉は時間や国を超えて届いているだけでなく「人々の中で成長
を続けるチカラ」を持っていて「モノを生み出す事に重要な核」を射
抜いていたのです。

コルビジェの話の後に自分のブログを持ち出す事は不遜以外のなにも
のでもありませんが、自分の職業である「プロダクトデザインに対す
る日々の思い」が読む人の年齢、職業、環境、日常によってつど化学
反応して一般性のある「良き言葉」に置き換えて生きている手応えを
感じています。

たぶんプロダクトも言葉も広げるのではなく広がっていくものでなく
ては、継続性を持ち得ないのではないでしょう。

良きものは広がっていくそう確信しています。

プロダクトデザイナー 秋田道夫

リアルデザイン 2012年 3月号 「デザインのチカラ」インタビュー

7:40 AM

January 13, 2012


認める

shoukei.jpg


わたしは自分がデザインしたモノが嫌いではない。
さらにいえばわたし自身がわたしのデザインの「ファン」でもある。

なんでもなさそうな格好をしていても結構そのプロポーションが上手く
できている。しかもそれが「無意識」なのだ。

そういう自分のデザイナーとしての部分は実は「自分でコントロール」
できないのである。

「蛍照(KEISHOU)」光る手洗い器 艸方窯(そうほうがま)2012年

5:52 PM

January 13, 2012


条件

サーモマグ.jpg

カタチは機能から生まれる。ちなみにこのコーヒーメーカーがすっきりして
いるのは「カップのカタチが一種類」しかないからで、下に置くカップが
異なる通常のコーヒーメーカーではこうならない。

つまりわたし自身がこの「恵まれた条件」を越える恵まれた条件が提示され
なければ「このデザインは越えられない」。


「サーモマグコーヒーメーカー」デバイスタイル 2004年

5:41 PM

January 13, 2012


IT企業

ojyuphoto.jpg

依頼のあった観光ホテルのすぐ近くに京都国立美術館があって、そこで
「雪舟展」を開催していた。 長い行列ができる人気の展覧会だった。

雪舟は「遣唐使」で唐にわたりそこでかの地のスケッチを多く描き日本
に戻ってきた。いまでいうところの報道カメラマンである。

そしてお寺は今で言う最先端の情報をもつ「IT企業」のように思えた。

伝統もそのはじまりは「アバンギャルド」だったと思い、現代美術品の
ような重箱にした。

「三段重箱」山陽興業株式会社 2002年

5:07 PM

January 13, 2012


三が日

PM01-2.jpg

あまりに立派な人は困り者である。どうつき合っていいか判らない。

自分でデザインはしたがこのトレイはあまりにも輝いていて近寄りがたい。

お正月の三が日だけ床の間に飾って、次に会えるのはまた来年。

たまにはそういう「存在」のものもあっていい。

「書類トレイ」Primario タケダデザインプロジェクト 2009年

4:51 PM

January 13, 2012


愛情

キロンくん03.jpg


キロンくん01.jpg

「執着を捨てなさい。愛着を捨てなさい」と説いたのはお釈迦様である。

わたしはモノであってもそのものの終着を考える。どういうかたちで最後を迎
えさせてあげられるか。まるでトイストーリーなのだ。

できるだけ「擬人化」しない事を考えたが、結局はどうもかわいい。困った。
これが人間らしくきゅきゅっと腕を動かすとどうしても愛してしまう。

「配膳ロボット」プロトタイプ パナソニック 2009年

4:37 PM

January 13, 2012


あしもと

ベンチ写真.jpg



「デザインする上でなにを大切にしていますか?」と聞かれたら「デザインす
る上でなにが大切という力みや思い込みを無くす事を大切にしています。」と
答える。

デザインはみんなが立っている脚下の地面に埋もれている。
それを掘り起こすのが、たまたま得意なのがデザイナーだと思っている。それ
ゆえデザイナーでない人がすばらしい製品を生んだりする。

脚下を見る事からデザインが始まる。


n-bench 久宝金属製作所 2011年

4:18 PM

January 13, 2012


法則性

INTED1.jpg


フランク・ロイド・ライトは幼い頃に「恩物」と呼ばれるフリードリッヒ・フレー
ベルという教育者がデザインした教育玩具で遊んでいた事が自分が建築家になる事
を育んでくれたと語っている。

単純化されて法則性のある形の組み合わせて全体のカタチを作っていく事は「普遍」
性のある製品につながるように思っている。

デスクトップオーガナイザー「INTED」trystrams  2010年

4:04 PM

January 13, 2012


おしゃれ

IH-for-intro.jpg

「おしゃれをしていない時にどれぐらいおしゃれか」それがお洒落の神髄で
はないかと思う。

極論すれば「なにも身につけていない時にもお洒落に見えるかどうか」が問
われる。

ようするに「気」というか、自分の指先足先まで神経が行き届いているかが
センスだと思う。

MA 「IHクッキングヒーター」ドウシシャ 2007年

3:57 PM

January 13, 2012


最適解

Canon printer.jpg


わたしは設計者の方に『条件を取り払った時にどうあるのが理想ですか?』
と聞くようにしている。

それはこれまでにあった色々なメーカーの製品を調べるよりも有効なリサー
チである。

かたちはおおむね「条件」からできていて現在あるものが理想とは限らない。

どうあるべきかという問いは、いまどうなのかよりも「オリジナリティー」
を生む。

3:22 PM

January 13, 2012


ニーズ

MA Kettle.jpg


事務所にいて気がついたのは、お茶や珈琲をけっこう何杯も飲む事だ。

そのおかげで、自作品でもっとも活躍しているのがこの湯沸かしケトルだ。

湯沸かしケトルの普及は、ある電化製品を追いやってしまった。

それは、昔から一家に一台はあったろう「保温式湯沸かしポット」だ。

核家族化が進み、家族の人数が減るとともに保温しておくお湯の量が必要
ではなくなりお茶を飲む都度湧かす方が電力の使用も減るわけだ。

プロダクトデザインはニーズと直結している。

2:25 PM

January 13, 2012


可能性

INCLINE.jpg

自分の可能性を広げてくれるのは自分のチカラだけではない。
思わぬところからわたしの可能性を感じてくれている事がある。

わたしはそれまで家具やソファーを手がけた事は無かった。
そんなわたしの可能性を広げてくれたのは意外にも「セキュリティーゲート」
だった。

出来たばかりの六本木ヒルズのビジネス棟のエントランス設置されたステンレ
スのゲートは、それまでの建築とその空間にあたらしい情景を描き出した。

その空間を見てわたしに「その空間に似合う家具」のデザイン依頼がきた訳
である。実はHUBSTYLEもその空間に通う人にふさわしいカードフォルダー
のデザイン依頼だった。

2:06 PM

January 13, 2012


軽さ

3TRYS.jpg


だんだん「出張」というのが重要な部分を占めるようになる。

出張を重ねるとカバンの重さが気になって1グラムでも軽くしたくなる。

ステータスというのは見かけも重量も「重い」。

「軽量なステータス」そういう矛盾を束ねたくなって考案したのがこの
スケジューラーである。

同時に50歳を過ぎた人にも「軽くて威厳がある」という有り様が素敵だ
と思う訳である。


「ダイアリーPRIMINE」trystrams 2010年

9:31 AM

January 13, 2012


たたずまい

CRW_0292_JFR.JPG


医療機器のデザインというのは「プロダクトデザイナー垂涎の的」である。

機能的であって清潔感があってさらに知的な佇まいを表現しなければならない。
そういう高揚したデザイナーの気持ちがここにはある。

しかし現場ではロボット同様に「親しみやすさ」が求められていて働いている
人や患者さんに怖がられない存在である事を知った。

同じ目的の機械でキリンの絵が描かれたものも存在する。

「かわいい」は偉大なのである。

「X線撮影装置IMC-125/A」東芝医療用品株式会社 2004年

9:13 AM

January 13, 2012


花が開く

primario_185.jpg


人にとってはどうでも良い話だが、わたしは現役の大学受験は「油絵科」だった。

さらにいえば中学生時代に倉敷にある大原美術館に収蔵されている「現代美術」に
やられてしまってさりとてなにをすればいいのかわからずなんとなく目標に近づく
ような気がして工業デザイン科にすすんだ。

あえなくというか気合いも無く最初の課題であるデッサンの試験で落ちた。
結局は翌年「デザイン科」で受験しその大学に通うようになった。

若いという事は迷うという事だ。

「LOTUS」タケダデザインプロジェクト 2012年

8:54 AM

January 12, 2012


10°

WA-12-S-1.jpg

デバイスタイルの仕事をはじめたのはちょうど10年前の今頃だった。
この仕事で最も印象に残っているのは「スピード」だ。
アイディアから模型が出来るまで「1ヶ月」だった。それも4品目を同時に
作った。

10年前の事なのでほんとうは1ヶ月と5日だったかもしれないし1ヶ月と10日
だったかもしれない。

とにかく打ち合わせのその場で思いついて、それを事務所ですぐ3Dにして
翌日にはスケッチを見せてすぐに決定してその数日後には図面を書き上げて
いたように思う。

後から知ったがあの傑作NEXTコンピューターもスティーブ・ジョブズと
フロッグのエスリンガーがそんなスピードで作り上げたものだったらしい。

7:45 PM

January 12, 2012


無口

SUICA反転.jpg

これまでに色々な公共機器を手がけてきたがもっともカタチとして成熟
していると自身が思っているのはこのSUICAチャージ機だ。

品川駅の新幹線乗り場の内外においてあり、わたしは出張の行き帰りに
「声をかけて」行く。

ほんとに地味で無口だが、箱をそのまま10度ほど傾けてコの字型のフレ
ームに載せているという「大胆」な造形で出来ている。

ちなみに箱の部分がブルーだったり赤だったりという「地味ではない」
バージョンもある。

「SUICAチャージ専用機」JR東日本 2008年

7:20 PM

January 12, 2012


外交官

1do-nabe.jpg

ある作曲家が「スタンダードな曲は曲が一人で歩き出す」と表現していた。

わたしのこれまで手がけた製品の中でもっとも一人歩きしているのがこの
円筒形の「シャッポー」だろう。

あれよあれよというまにいろんな雑誌に載り新聞に載りお店に置かれるよう
になって行き、今月にはパリの展示会にも並ぶ事になった。

取っ手が無い。それだけで外交官のようにいろんなところを飛び回るように
なった。

「do-nabe 240 」セラミックジャパン 2010年

7:07 PM

January 12, 2012


JR-NF170B(1).jpg

この冷蔵庫の基本コンセプトは、白い箱にある。

つまり冷蔵庫ではなくて「冷える箱」という風に考えた。どこに置いても邪魔に
ならない白い箱である。白い箱は有能でハンドルには明日着ていく洋服もかけら
れるし、時にはホワイトボードの役割もする。

居間と玄関をむすぶ線上にある「箱」が理想だ。

ちなみに冷蔵庫や洗濯機の事を「箱もの家電」と業界では呼んでいる。

「冷凍冷蔵庫」ハイアール 2007年

6:49 PM

January 12, 2012


結果

80mm_fix.jpg

80mmという名前は、まさに「80ミリ」で高さも直径も出来ているところから
命名した。

ちょっと太めだが、実はもう数ミリ小さいものも試作したがとたんに存在感が
薄くなってしまってこのサイズにした。

「茶渋が取りやすい」という理由から底が丸くなっていて、それが結果二重式
で持って熱くないカップの誕生につながった本末転倒なデザインでもある。

「80mm」セルフブランド(製造セラミックジャパン)2007年

6:20 PM

January 12, 2012


結ぶ

IDEO-HUBSTYLE.jpg

どうして「HUB(ハブ)STYLE」という名前を付けたかと言えばその形状から
「飛行場」を連想しそこから当時よく耳にした「ハブ空港」という名称をイメ
ージした。

HUBはもともと車輪の中心部分にある部品の呼び名であり転じて「交通の要」
と言った意味で使われるようになった言葉だ。

わたしはこれをつける人がビジネスの「ハブ」であって欲しいという願いを
こめた。 結局このIDホルダーが後のtrystramsのきっかけになった。仕事の
ハブでもあったのだ。

ネームカードホルダー「HUBSTYLE」コクヨ 2008年

6:08 PM

January 12, 2012


20年

wine cellar.jpg

子供が生まれた年のワインをセラーに入れて20年後に「成人式」のお祝い
をみんなでする時のここからワインを取り出す。 喜びの器。

1本用ワインセラー デバイスタイル 2003年 

5:54 PM

January 12, 2012


制服

GINZA2.jpg

公共機器のデザインは個性ではなく「なんでもない」が求められる。
わたし自身自分がデザインした信号なのかそうでないのか遠目には判別で
きない。判別出来ないのは「みんなが良くなった」そういう事だと思って
いる。

LED式歩行者用信号機 信号電材 2005年

5:43 PM

January 12, 2012


ウエルカムゲート

TAG5000.jpg

このゲートを通る人の99.999パーセントは「歓迎されるべき人達」なのだ。
TAG5000 高見沢サイバネティックス 1998年

5:34 PM

January 10, 2012


習慣

このところインタビューを受けたり原稿を書いたりする事が多くなっている。

わたしは「そうなりたい」と思ってきたのでその事をうれしく思っている。

デザイナーであっても「話す事」「文章を書く事」は重要な「デザイン」の
一部だと思っている。

物事には積み重ねが必要だ。いざ必要になってからでは遅いので「必要とさ
れていないときから必要になった時の為に備える」。

話が上手くてもそのまま文章になるわけではない。身振りも手振りも声の抑
揚も見たり聞いたり出来ない中で文章として成立するには、話を積み重ねた
だけでは向上しない。

同様に文章が上手くても話が上手いとは限らない。「難しい漢字」も言い回
しも「改行」も「韻を踏む」事も文字が見えない中では無力だ。

まずわたしは文を書く事の修練をはじめ、その次に講演会を自分で開き話す
というトレーニングをはじめた。

わたしは書く事についても話す事についても「子供の頃の成功体験」があっ
たわけではない。失敗体験も無かった事が幸いと思える程度だ。

実は絵にしてもその「成功体験」は高校までなくて、予備校に行ってみんな
が同じものを同じ時間をかけて事にあたる経験をしてやっと自分のチカラを
自覚する事が出来た。つまり「限定」されていないとチカラが発揮出ないと
いうのがわたしの根っこにある性格だと思っている。

ひょっとすると「プロフェッショナル(仕事)」とは「限定」なのかもしれ
ない。

わたしはデザインが「限定された中での自由」だという事を若い時代に直感
的に感じとっていたのかもしれない。

知らない世界は「自由に見える」。しかし実際にその事に関わるといろんな
しがらみや条件があってその中でいかに美しく使いやすいものを作り出すか
という「楽しみ」を見いだしたからこうやってずっと仕事を続けられている
のかもしれない。

その感覚が生まれてはじめて「書く事」「話す事」にも限定や規範があって
案外に自由では無い事を感じるようになってチャレンジする気持ちが生まれ
たんだと思う。

わたしは今、毎日の生活の中で出会った事感じた事を知らない間に「原稿用
紙1枚か2枚」で書くように考える「習性」が身に付いている。

大抵朝起きて事務所に向かう時にはなにかひとつのコラムを頭に描いて動い
ている。

その物語は「日常」からはじまって結びは「デザイン」である。

9:18 AM

January 6, 2012


楽しそうのチカラ

デザインという仕事が楽しいのは、自分が色々な興味を持つことがそのまま
デザインの滋養になり説得力につながると感じられる事だ。

おかげでどの国に行っても退屈する事が無い。市場やスーパーに行くのも好
きだし空港を見て歩くのも楽しい。

出張に行ってもその先々でいろんな景色や食べ物を楽しめる。

建築が好きで絵画が好きで本も好きで食べる事が好きで人と知り合う事が好
きであればまず飽きる事がない。

かつて会社時代の先輩から台湾でのセミナーに誘っていただいた事があるが
わたしを誘っていただいた理由が『君だったらどこ行っても楽しめそうだか
ら。』だそうで、わたしはなんだか才能を褒められる以上に嬉しかった。

思うにどの国であっても「楽しそうな人」には人はやさしい。

楽しいよりも「楽しそう」であることの方が重要だと思う。仕事をする以上
楽しくない事も現場では起きる。「楽しい」に頼るとけっこうその反動が
起きる。「楽しそう」というのは問題に対して前向きで好意的な信号であり
「ベクトル」だと思う。 

みんなで良くしようと思うベクトルが「楽しそう」である。つまり自分が
楽しいかどうかではなくて「みんなが楽しく」感じ仕事を進める為の大事な
「旗」のようなものである。


10:05 AM

January 5, 2012


菊竹清訓さん

建築家の菊竹清訓さんが亡くなられた。
くしくも柳さんが亡くなられた翌日の12月26日だった。

「メタボリズム展」が開かれた事がはなむけになったと感じた。

5:16 PM

January 4, 2012


視点の概念

かつて専門学校の講師をしていた時に「最初の最初」に出した課題が「最寄り
駅から自宅までの地図」だった。

どこかで「地図というのは物事の理解度とその再生表現を見るのに最適」など
という話を聞いた覚えがあってそれを課題にした。

デザインというのは「重要とそうでない事」の選択でできている。ようするに
簡略化と「強調」にバランスがすぐれていればおのずと紙に再現されるものも
美しくわかりやすい。さらにいえば「良くある書き方」と自分なりの工夫が問
われる。

なぜこんな話を書いたかと言えば、最近こんな記事を見たからだ。

ここには「知識の地図」が記されている。さらにいえばまるでそれは地球その
ものだ。

説明の図は平面で表現されているが実際の「知」は球体だろう。
各人が小さい球からはじまって年を経て知識を吸収して今度はロケットのよう
に細く高く「大気圏」を目指して伸びて行く。

ドクターと呼ばれる人は大気圏を突き破ろうというところまで知の矛先がのび
ていく。同時に大気圏は宇宙同様に年々その最外形が拡大して行きそこをめざ
してまた研鑽を積んでいく。

この話の終着は自分の努力は点にすぎないという地球外からの視点を求めてい
る。

たぶんその大気圏かその外側に「宇宙ステーション」が必要になる。
おのずとその図は高い時点での点と点をむすぶ「ネットワーク」が必要である
事を感じさせてくれる。

11:11 AM

January 4, 2012


0.1ミリの大切さ

皆様へ

新年あけましておめでとうございます。

東京は底冷えがしていましたが、穏やかな三が日でした。

正月の風物詩はいま箱根駅伝ではないかと感じておりますが、圧倒的な強さ
を見せた東洋大学の活躍には目覚ましいものがありました。

「その1秒を削り出せ!」をスローガンにこの1年の練習を重ねたと優勝した
東洋大学の監督がコメントを残しています。

昨年優勝した早稲田大学との時間差が21秒しかなかった悔しさをバネに研鑽
を積んだ結果が大きな差となり結実しました。

今回東洋大学の総合タイムは10時間51分36秒でした。11時間近い長さの中
で1秒はさしたる違いではありません。 往復で10人のランナーがそれぞれ1
秒縮めても言ってみれば10秒にしかなりませんが、その気持ちの積み重ねに
よっておおきな差を生む事を物語っています。

なぜこんな話を書いたかというととても不思議な縁を感じたからです。

わたしは昨年の8月から11月まで富士通デザインのスタッフの方々と「新し
い情報端末の未来像を作る」というテーマでワークショップを重ねておりま
した。

未来像を作り出すという作業の中でわたしがスローガンとして見いだしたの
が「0.1ミリを大切にする」という言葉でした。

新しいという言葉には「遠く漠然とした」ニュアンスが伴います。

言ってみれば「何十メートル」いや「何百メートル」も現在あるカタチから
乖離しなければその新しさを表現出来ないのかもしれません。

デザイナーはその距離感を掴む事に難儀し、その結果生まれるのが「予測し
たその未来たる時代が訪れてもその製品には結びつかない」というプロトタ
イプのためのプロトタイプ作りになりがちです。

わたしは5年先を考える時をする前に、5年前を振り返るという作業をメンバ
ーの方々にお願いしました。

そこで浮かび上がったのは、「5年先を見越したデザイン」ではなくて「5年
を経ても生き残る完成度の高さと飽きのこないデザイン」の重要性です。

もちろんまったく時代を変えた製品がこの5年で生まれましたが、それは機
能と一致した時に生まれるのであってその形状そのもので「飛躍」したとい
うものは稀です。

わたしには5年ではなくて20年前であって50年前に生まれても輝きの失わな
いものがある事を知っています。 それらに共通するのはすばらしいプロポ
ーションであり素材の的確な使われ方であり「細部にわたる完成度の高さ」
が備わっています。

プロポーションも素材も実は機能とコストに起因します。すべてが自由では
ありません。

その中でデザイナーの手腕を見せる重要な部分が「細部への気配り」です。
「人は細部にセンスを感じる」
その気持ちを託したのが「0.1ミリを大切にする」というスローガンでした。

実験的に3Dのスケッチで端末の背面に「0.1ミリの高低差」というか波状の
起伏を描いて見ました。

わたしはそれを実証する為に自分が担当したモデルで実際0.1ミリの高低差
で作成しました。

見事なほどにそれは「伝わった」のです。しっかりと「波模様」が浮かび上
がったのです。

それを見た人はわたしが日頃からそういう0.1ミリデザインをこれまでにも
してきたように思われていましたが、実はそのワークショップの中で自分が
見いだした方法に他なりません。

言ってみれば遠くにある山並みを俯瞰することによって生まれた「繊細」さ
です。内部に所属しないわたしと日々製品で関わるっているという複眼の
中からから生まれた視点です。

今回のワークショップで参加者が作り出したモデルには、それぞれ大胆さの
中に繊細な神経が行き届いていたものが生まれたと確信しています。さらに
言えばそれぞれが商品化されても良い完成度がありました。

それこそがインハウスと「アウトハウス」たるフリーランスデザイナーとの
共同作業の醍醐味です。

東洋大学を牽引した主将の柏原竜二さんは今年富士通に就職する。と書いて
この話は終わる。


8:55 AM

December 31, 2011


2011年の感謝

皆様へ

この一年ほんとうにお世話になりました。

たいへんな年でした。公私ともに最後の最後までなにが起きるかわから
な一年でした。

「なにげない日常のありがたさと価値」を実感する年でした。

自らの非力を痛感する事も少なくありませんでした。しかしその非力の
自覚を次につなげなくてはいけないと感じています。

「非力の自覚から有力を成す」 デザインという仕事を通して少しでも
みなさんの日々の幸福と充足につながるように真摯に考え行動したいと
思っています。

この一年ほんとうにお世話になりました。

新しい年がみなさまにとってすばらしい年であるように願っております。

プロダクトデザイナー 秋田道夫

6:06 PM

December 31, 2011


繰り返し

言葉もカタチも「繰り返さないと伝わらない」。

それが今から6年ほど前にたまたま飛行機の中で聞いた落語から得た大きな
スタイルのヒントだった。

名人と評価の高いその老落語家は「繰り返して話をするような芸のない」人
ではない。その方が古典落語の演目の中で何度か同じフレーズを繰り返され
た。

なんだか高い空の上でピンとひらめいた。それは「あえて」なのだと。

わたしはそれまで「自分がそれまでに作ったカタチをトレースしない」と決
めていた。

学校での授業カリキュラムを考える時には出来るだけ「去年やらなかった事」
を考えた。 目的が同じなのに違う課題に換えるのは至難だった。

自分のカタチを変え続ける事はとても難しく高度だ。ピカソがいつまでも人
の記憶に残り続けるのは「変貌」とそれらの変化が高いレベルでなされてい
る事への畏敬である。

わたしは、考えた。「あえて」繰り返そうと。

ピカソが変貌したといってもそれらの段階でとても多くの仕事を成したから
こその話であって、わたしが変貌の段階には達していない。もっとひとつの
スタイルを続けてみようと。

セザンヌは言った「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」と。
それはそのままバウハウスのデザイン理念にも繋がって行った。

わたしはデバイスタイルの仕事の中でその言葉に倣ったかのように円筒で構
成された1本用のワインセラーをデザインし、円錐のコーヒーメーカーをデザ
インした。

そしてその特徴的でありながらモノのカタチとして究極たる円筒形」にこだ
わろうと思った。

プリンターで円筒を用い、ケトルで用い、ボールペンに用い、土鍋で円筒を
モチーフにした。

わたしは講演でも「同じ事を話す」事に抵抗が無くなった。

まだまだなのである。まだまだ繰り返さないと気持ちは相手に伝わらない。


11:23 AM

December 29, 2011


巡礼

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あらかじめショップが閉まっている事は判っていた。おそらく昨日まで喧噪
に近いぐらいに人が訪れた事も快晴のおだやかな日にはなんの痕跡もそこに
はなかった。

生前の柳さんと会い話もされた事のあるTさんから誘っていただきかつ今日は
閉まっていますよと聞いたからだ。

尊敬と行動は一致しない。わたしはかつて『恩返しというのは受けた本人に
は返せないものだ。その気持ちを次の世代に渡すように出来ている』と書い
た事がある。

それがどういう仕組みで出来ているのかは知らないし、そんな「格言」を聞
いた事もない。

さらにいえば恩や恩恵が別段自分にされていなくても「感じる」事がある。

デザインされたものを日常使う事、さらにその制作意図や気持ちの書かれた
文章にわたしは「ありがたい」という気持ちを持ったりする。

「気持ちは製品にこめてあるよ」「製品を愛する事が敬意だとおもっている」
そういうメッセージを静かな空気から受け取った。

7:08 PM

December 28, 2011


紹介し続けることについて

hub2011.jpg


dobnabe240.jpg

奇妙だなと思う一方でやむをえないと思うのが、ロングライフといいながらいつ
も「新製品」ばかりもてはやされる。

プロダクトデザイナーのブログは、この新製品主義という「価値基準」に照らし
合わせて考えるととても向いていない。

みんなが読みたいのは新製品が生まれるまでのスリリングな葛藤だと思うけれど
一番「気持ちが盛り上がっている」製作段階での話はまったくその気配すら公に
出来ないからだ。

勢いプロダクトデザイナーは、だれかの展示会に行ったとか映画を観たとか、
買った、食べた、そして友人や家族の話を「せざるをえない」。

読みたい?読みたくないですよね。クールじゃない。

わたしは「そういう暗黙の流れ」を断ち切りたいと思っている。じゃあなにをし
たかというと「発表後の自らの製品の使用リポート」をし、いろんなところで活
躍している「その後の製品」について長く続ける事だった。

自作を語り続ける事は陳腐な「自慢」に映るのは承知の上でわたしはこういうカ
タチがデザイナーの中で当たり前になるようその最初のステップだと思っている。

宣伝や広報をこえた「責任」のようにも思っている。

コクヨのiDeo hubstyleが発売されたのが1997年の暮れだと思うので、まる4年が
経過した。

自身その発売当初から使い続けていてどこも故障しないし手に触れる事の少ない
ハブの部分は純白のままだ。do-nabeも家で活躍している。

買って安心使って安心いつまでも「フレッシュ」。それこそが宣伝を越えた実感
のこもった使用レポートだ。

5:07 PM

December 27, 2011


みる事

わたしのデザイン哲学というか生きる上で大事に思っているのは
「見てみる事。やってみる事。辞めてみる事。」だ。

美術大学の予備校に通いだしてから石膏デッサンを毎週のように描くよう
になってからそれは見る見る上達した。

それを続けていれば相当の域に達っしただろうなあと今でも思う。

しかし年の瀬も押し迫った頃には、それはもう辞めた方が良いと思った。
得意を続けていればそれはとても楽しいし優越感も感じられるが、それと
引き換えにデザイン全体で大切な事から遠ざかるような気がしたからだ。

大学に合格してから授業でデッサンを2・3枚描いたとき、すでに予備校
で描いていたものとは比べ物にならないぐらいに上達していた。

大学には受験生にはあこがれの存在だった石膏室という巨大な石膏像が並
んだ専用の棟があって、わたしもそこで描くのが合格後の夢だったので、
そこにイーゼルを立てて数枚のデッサンをしてみた。

描いて見てすでにわたしの気持ちはそこにはないことが判った。たしかに
デッサンは大事な「素養」を磨くすべではあったが、ずっととどまる場所
でもないように思えた。

そういう気持ちになった時、わたしのそれまで描きためたデッサンのはい
ったカールトン(画板)がその場所からこつ然と消えた。

わたしはふしぎとそのカールトンを見つける事に執着しなかった。

これはデザインの神様が「それからそこから卒業しなさい。」とわたしに
言っているんだと思ったからだ。

その事があってからわたしは長い間その部屋に入る事はなかったし、ちょ
っとした静物さえ描くのをやめてしまった。大学1年の暮れだった。

そこで学んだのは「見る事」だった。対象物を見る事こそがスケッチだと
思った。

わたしよりもデッサンが上手い人が沢山いる事はよく自覚している。
しかし目の前に「すぐれたスケッチ」があれば数ヶ月後にはそれが自分で
も描けるという目をもっていると思っていて、その気持ちこそが財産だ。

つまり「見てみる。やってみる。辞めてみる。そしてまた見てみる」事だ。

会社員時代に広くコンピューターが普及して、さいわいな事にいち早く図
面をコンピューターで描くCADを導入した会社にいたが、スケッチや手描
きの図面を面白そうにしているわたしの事をまわりからは「いつまでも手
描きにこだわる職人肌」と思われていたがさっさとわたしはCADのトレー
ニングを受けた。

やってみなければわからない。なにが良点でなにが欠点なのか。わかって
いたのは、好むと好まざるにかかわらずこの潮流にはさからえないという
事だった。

独立してからは、ワープロを買い、ファックスを導入し、コピー機をリー
スした。青焼きの機械を買い、大きな熱線カッターを置いた。撮影用に高
価なカメラを買い、撮影用のランプもあった。

ただでさえ狭い事務所は大きなドラフター(製図機)とデザイン雑誌の本
棚と資料のカタログの入った特注の本棚。それらのものであふれかえって
わたしがなんだか住まわせていただいているような感じの事務所だった。

今わたしの手元には、「なにも残っていない」。ファックスですらやめて
しまった。本も大量に始末したし、資料のカタログも雑誌もほとんどない
図面も保存期間を過ぎたものは処分している。

部屋はすっからかんで、自分のてがけた製品やもらった賞状も飾ってはい
ない。

やっと自分が居ても良いと思える事務所を手に入れるために「そうやって
みて辞めてしまった」歴史の上にやっと生まれた「がらんどう」なのだ。


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10:39 AM

December 26, 2011


残された言葉

「デザインは一人で成立するものではない」「技術者との協力の重要性」
「社会から孤立してはいけない」「良いデザインはその製品を使うユー
ザーが良くなければ出現しない」

これらは、25年の時を経てもまったく色あせることのないモノ作りの
本質を言い当てた言葉です。

同時に、正論といえるその言葉にのっとらない製品がその後も生産され
続けられていて、いつまでも柳さんの言葉が「いまさらのあたりまえの
言葉」ではなく「警句」たりえている、この「継続する現状」の強靭さ
としたたかさに、それなりの理由とつじつまがあり、その背景をさぐる
ことこそが重要なのだと。

それはわたしたちに残されたメッセージでもあります。もし現状に思う
ところがあるならば、私たちいやわたしが少しでもそのことに対して
「答え」を出さなくてはいけないでしょう。

わたしが今信号機や券売機といった公共機器の仕事に関わるようになっ
た背景には、柳さんの仕事を知ったことと無縁ではありません。


Pdwebブックレビュー第1回  「柳宗理 エッセイ」より

12:23 PM

December 26, 2011


柳宗理

柳さんがなくなられた。

クリスマスの日に。

わたしは今岡本太郎さんの事を書き、その脈絡から柳さんをウィキペディア
で調べていたら「1915年6月29日 - 2011年12月25日」と出て驚いた。

11:03 AM

December 26, 2011


共感

わたしは『大人は判ってくれない』なんて言う事を若い時に言った覚えがない。

老年に近づいたかと思うこの頃に『この頃の若者はなっていない』と言った事
もない。

大人どころか同世代にも「判ってくれない人」はいたわけで、いつの時代にも
いけてない大人も若者もいるし、いけてる大人も若者もいつもいる。

そういう思考に陥る人に不足しているのは「個々の人が持つ事情と背景分析」
だろう。

おおきなくくりの「概念(偏見)・風評」でもって自分の出会った事例や人を
判断し『やっぱりそうなんだ』と妙に溜飲を下げる。下げるだけなら良いけれ
どさらにそれを「文章にまとめて発表」までしてしまう。

困った事に、日頃「そういう風に感じていた人」が少なくないので共感者がで
てきて『わたしもそう思っていた』と妙に盛り上がってしまう。

つまり分析不足の共感というのは結構簡単に出来てしまう。

しかし次の段階になると「ディティールの調整」という作業がまっている。

どういう事かと言えば「あれは違うだろう」と思っている事柄にたいして実は
個々の感想の「ずれ」があって、そのずれについて触れる事は互いの間で語る
ことは「タブー」なのだ。圧倒的な「同意」のもとにできあがっていなければ
意味がない。その体面を保つ為のネゴシエーションが必要になる

せっかく得られた貴重な仲間「大人はだめだよ」集団の中で必然的に「大人の
判断」が生まれる。

つまりだめな大人もだめな若者も「自分の中」にある。


9:55 AM

December 25, 2011


クリスマスイブの日に

昨日、facebookとツイッターのアカウントを削除しました。

10:24 AM

December 22, 2011


蔦屋書店

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代官山に今月出来たばかりの「蔦屋書店代官山店」にあるイベントスペース
「GARDEN」で今日から「大人ディズニーのステーショナリー」というイベ
ントがありtrystrams製品も展示販売されるそうです。(下の写真の右奥に見
える棟。書店内の文具コーナーも素敵)

「現在日本で最も進んだ空間」。それが先日訪れた時の感想です。
感想じゃなくて客観的事実でしょう。

ここは旧山手通りに面した鬱蒼とした樹々に囲まれた巨大なお屋敷跡があっ
た場所。何だろうと思いこそすれ中をうかがい知ることもできなかった。
近くには槇文彦設計の有名なヒルサイドテラスとデンマーク大使館が立ち並
んでいる瀟洒な場所です。 代官山駅から渋谷に向かうほどに「大人度」が高
まるような気がするものです。

去年だったかこの新生蔦屋の横にハワイアンテーストのテラス式のカフェが
できて、そのテラスから「何ができるんだろう」と工事現場を眺めておりま
した。

洋書のコーナーも大変充実していてかつレンタルビデオも通常のお店ではお
目にかかれない旧作も多く揃っていてまさに「ロングテール」な品揃えだと
感じた。

新宿伊勢丹のメンズ館から始まった「高級大人路線」が書店とビデオの世界
にも広まった感があり、trystramsの製品コンセプトが時代とリンクし出した
事を感じています。

8:10 AM

December 20, 2011


30歳

わたしが入社して半年ほどして中途採用で入ってきた方がいた。

すこぶる腕の立つその人は入社してすぐに頭角を現した。それはまさにセ
ンセーショナルだった。

ひとりのチカラで会社のデザインががらっと変わるその現場に立ち会った。

わたしよりも6歳年上だったので会社に来てほどなく30歳を迎えられた訳だ
が、ことあるごとに『30歳のエポックを作る』と言われていてまさにその
言葉を実現された。

わたしはその方がそれまでどういう道をたどられたのかは、専門学校を出
てその会社まで同業種の2つのメーカーを経験していた事しか知らなかっ
た。ご本人もその事について積極的に話す人でもなかった。

勝手な想像で20歳には社会に出ていていたので、10年目の節目として30歳
に特別な意味があるのだろうと思っていた。

最近になってその方が大学にも行かれていた事を知った。

ひょっとしたらわたしよりも社会に出た時の年齢が上だったかもしれない。

そうだとするとものすごい勢いで会社を駆け抜けた事になる。

「体内時計」がふつうの人よりもずっと早く回っていたのかもしれない。

わたしはその『30歳のエポックを作る』という言葉が強く頭に残った。

そして自分も30歳になる前に結婚をし会社を移った。

結果的にわたしには「30歳のエポック」たるデザインは誕生しなかった。
逆に言えば30歳になる前に生んだ仕事をずっと越えられなかった。

今偶然にも、友人には30歳を過ぎたばかりの人が何人もいる。

別段「30歳のエポック」を必ず作らないといけないとは思わない。しかし
その人なりに「くぎり」を設けてそこに向かう事はモチベーションのひと
つにはなるかなとは思う。

12:26 PM

December 15, 2011


心根

一ヶ月前にツィッターにこんな事を書いた。

「この仕事で大事な事は何か。この仕事でしなければいけない自分の役割は何
か。この仕事を通して世に問える事は何か。この仕事を通して世にどう貢献出
来るのか。」

その文章に対してこんなコメントをした人がいた。
『これじゃサラリーマンはつとまらない』

じゃあサラリーマンっていったい何だろうか。

「この仕事で大事な事はあまり考えない。この仕事での自分の役割は大切じゃ
ない。この仕事をしても別段世の中に変化は無い。少しも世の中に役立つとは
思えない。」これが模範的なサラリーマン像なんだろうか。

それじゃあ、あまりにもサラリーマンという存在が悲しい。

例えば就職難の今にあって「これじゃ 仕事人としてやっていけない」という
返答を試験官に回答して採用してくれる会社があるだろうか。

というより「正論かもしれないけれど、これは建前ですよね」と面接で答えら
れる「勇気」のある学生がいるだろうか。

たぶん「つとまらない」と書いた人は『それじゃあ、職場で浮いてしまうし
上司の機嫌を損なう』という自分の近い環境での「生存」を理由にそう思われ
たのかもしれないけれど会社は「この仕事で大事な事は何か。この仕事でしな
ければいけない自分の役割は何か。この仕事を通して世に問える事は何か。こ
の仕事を通して世にどう貢献出来るのか。」を真剣に考える「会社人」を求め
ていると断言出来ます。

別段そんな「格言」めいた事を毎日誰彼に言う必要も無い。

ちゃらーくかるーく『そうっすねー』と上司に返事してもかまわない。それも
それなりに勇気がいる話だけれど心根は『自分がすることは社会に貢献する為
にある』そういう気持ちでいてしかるべきだと思う。

もちろんコメントを書いた人は「そんな事はわかって」書いたでしょうが、少
なくともその気持ちは「伝搬」すべき事ではないと思う。

広げるべきは「希望の持てる事」であってほしい。

6:47 PM

December 15, 2011


はじまり

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この2辺のカタチはわたしのデザインの「根っこ」です。

その昔、自分の事務所の名前であるDESIGN BASICの文字の下にこの形を
添えていました。

それは自分のデザインのベースである「ベーシック」を端的に表現したも
のであり自分がデザインの基礎を学んだバウハウスのポスターにある直方
体と円錐と球にできた影からインスパイアーしたかたちでもあります。

説明すればこれは直方体(とは限らないですが)の左上45度から光が当た
っている様子を表現しています。

光の強さは「陰の濃さ」で表現されます。 そしてこの直方体は光沢が無
く(つや消し)本来は見えているだろう上部と左部のエッジ(角)の稜線
に出る「光のライン」も出ていないという事を表現しています。


まあそういう硬い表現はさておいて一番言いたいのは、人は2辺の見える
カタチで見えていない2辺を想像し、さらにいえばこの直方体の高さまで
「感じる」事が出来ます。

半分の情報でそのカタチを表す事ができているとも言えます。

この方法で出来たものの一つがデバイスタイルのロゴの先頭(上)につい
ている4本のラインです。あれは反対を向いている三角形の「陰」です。

それは「in」と「out」を表現しています。


この情報を減らして相手に伝える事は、自分の考える「デザインの基本」
のひとつです。

しかしながら「モノの見え方」についてある種のトレーニングを積んでい
なくては、ここからは「立体」を想像する事はできません。

つまりデザインは「予備学習」があらかじめ必要な表現とも言える訳です。

わたしはそういう「予備学習」を伝えるのも大事な仕事だと思っています。

最近観た映画の中でこんな言葉がありました。
「人の価値はなにをしたかではなく、どれだけのものを他人に残したかで
決まる。」


9:36 AM

December 11, 2011


開拓者

先日グーグルのトップ画面の挿し絵が「トムソーヤの冒険」の一画面だった。
わたしが好きな「塀のペンキぬり」のエピソードを絵にしたものだった。

これはきっと原作者であるマーク・トウェインにまつわる何かだと思ったら
その日が彼の誕生日だった。

わたしはこの「塀のペンキぬり」が好きというか非常に商売とデザインにつ
いて「本質的」な要素を持った話だと思っている。

いたずらばかりしているトム・ソーヤがおばさんから罰として塀のペンキ塗
りを命じられる。

その長い塀をポチポチと塗り始めたトム・ソーヤに友達が近づいてくる。
そこで『いやな事をやらさせちゃってるぜ。』とトムがぼやいていたらこの
話はなんの記憶にも残らない。

悪知恵というか「スマート」なトムはそこでひらめく訳です。『いやーこん
なに塀のペンキ塗りがクリエーティブでアグレッシブで知的な作業だとは知
らなかった。』と楽しそうに友達に話す。

『へー(シャレじゃないです)そんなもんかねー』と最初友達は思う。
しかしトムは、ペンキを塗りながら近づいたり離れたりしてペンキの塗り具
合を確かめながら時々にんまりと微笑んだりしている。

『えーほんとに楽しいかもしれない』そう友人は思いはじめる。そうこうす
るうちにその気配を感じた別の子供達が集まりはじめる。

『そんなに面白いならオラッチにもやらせてくれ』そう言い始める。

『けっ こんな楽しい遊び(仕事)をだれが手放すものか』そうトムは言い
放つ。『もちろんタダとは言わないよ。手持ちがいまこれだけしかないけど
これでやらせてくれよ。』

『なんだよ これっぽちじゃ本来譲れないけれど、日頃の仲だからやらせち
ゃおうかな』とうそぶくトム。

かくしていっぱい集まった友人達が交代で塗ってくれたおかげで「罰ゲーム」
たる塀のペンキ塗りがあっというまに終わったとさ。めでたし めでたし。

これはわたしの中で勝手に「発酵」した話で原作とは忠実じゃないのですが
おおまか「こういう風にとらえている」。

どうもこの「ペンキ塗りエピソード」は相当に有名なようで(だからグーグ
ルにも採用されている訳ですが)わたしのように「子供のための話とは思え
ない教示」を感じる人は少なくない様です。

経営の神様と言われている松下幸之助さんのエピソードにこんな話がある。

小さい頃から丁稚奉公に出された幸之助少年が店番の手伝いをしていると、
そこに来たお客さんの旦那衆によくタバコを近所に買いにやらされる。そし
ておつりやお駄賃をもらうのが楽しみだった幸之助少年が一計を思いつく。

『あらかじめ買っておいたら手間も省けるし相手にも喜ばれるんじゃないか』
そしてためた小遣いでタバコを買い置きする事をはじめるわけです。

そこには「だれがどの銘柄のタバコ」を吸っているかという観察があるわけ
で「売れないタバコは買い置きしない」という工夫も生まれる。

もちろんこの「プチビジネス」は功を奏するわけですが、もちろん丁稚仲間
や番頭にもにらまれるが、それにめげない精神力があるわけです。

これもわたしが読んだエピソードをわたしの中で発酵させたので正確ではあ
りませんが。

まあ 自分はそのペンキ塗りを「見に行かない」だろうし、タバコは自分で
買いに行きそうで、話に出てくる商売をする側にもお客側にもならなさそう
な気がしますが、空の上からマーク・トウェインに『パソコンは使っている
しネットはしているしブログもやってるし、ツィッターもfacebookもやって
るでしょ。そりゃ見えない塀塗りだよ』と言われているような気もします。


9:25 AM

December 9, 2011


書き味

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trystramsの担当者の方から教えていただいた最近出来たばかりの秋葉原アトレ1の
「デフリシュール秋葉原店」を見てきた。

靴やシャツも売っていて評判の高いオロビアンコ製品が多く扱われている文具と服装
が融合した新しい形式のお店だ。

そこに年内の予定でtrystramas製品を置いていただいていて写真のPrimineもショーケ
ースに展示されていた。

そこにはこういう説明文が書かれた小さいプレートが添えられている。


「ペンが字を書いてくれる」

それがはじめてこのペンを使ったときの感想です。

これまで経験した事の無いすばらしい書き味はペンの持つ重さから
くるものです。やや大振りの直径11ミリの磨き上がられたステンレ
ス製の本体とペン先を包む真鍮製の軸による組み合わせはずっしり
とした感触を使い手に与え「心地よい緊張感」を生み出します。

その緊張感が紙にペン先を付けた瞬間、自らペンが走り出すような
疾走感に変貌します。一見矛盾する外観と書き味のコントラストは
何度使っても感動を覚えます。

わたしがこの「Primine」の名付けたボールペンをデザインにあたり
イメージしたのが、結婚の誓約書。家を購入した際の契約書。など
人生の節目で活躍してくれるカタチでした。

これ以上無いシンプルな形状とすばらしい書き心地は書く事の大切
さを再確認させる力を持っています。

プロダクトデザイナー 秋田道夫


これは、先日打ち合わせをした時に『来店した方が実際に試し書きをしてみようとい
う気持ちになるような活動をしましょう』と提案した事の最初の一歩だ。

この製品は先日書いた「デザインの領域」を逸脱しているものだ。
見かけがあまりにもスタイリッシュな為に筆記具に一家言ある人程に躊躇と偏見が生
まれて門前払いというか食べる前に拒否されかねない。

デザインに詳しい人ほど「こう言う事をデザイナーはしたがるんだよね」と知ったよ
うな気持ちにさせるだろう。

つまり「こういうデザイン性に特化したものに書き味の良さはありえない」という気
持ちにさせる。

私自身スタイリッシュな万年筆を買ってその書き味に失望した経験を持っているので
その気持ちがわかるのだ。

すべてはこのペンを持てば判る。紙に書いてみれば判る。

このペンは「機能性」で出来ているのだ。

機能性とデザインを融合させるのは容易ではない。しかし「稀」にそういう事もある
のだ。

わたしは毎日この製品を使い、続けている。わたしはその事を伝える責任がある。


9:29 AM

December 7, 2011


なるほど

なにげなく検索していたらあるブログにたどり着きました。

そこにこんな事が書いてある。

「地震・かみなり・火事・親父」の「親父」というのはもともと「台風」
の事を言っていた。台風の事をむかしは「大山風(おおやまじ)」と
呼び「親父風」と変化していつのまにか「風」が吹き飛んでしまった。

なるほど腑に落ちた。

「地震・雷・火事・台風」ちょっと語呂が悪い。

12:09 PM

December 7, 2011


formroom15

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昨日予告した「日経MJ」を買って読みましたが、セラミックジャパンの特集記事
で思った以上に詳細な内容でびっくりした。

そして良かったと思った。良かったのは今年の4月に開いたformroom13でセラミッ
クジャパンの代表である大橋社長に製品作りにかける社長の気持ちと熱意を大勢の
若いデザイナーや学生のみなさんに聞いてもらえた事がよかった。

わたしは自分の何をプレゼント出来るかを考える。

ギフト(天賦)をどうプレゼント(貢献)に変換出来るかを考える。
まあ天賦といういのは大げさだけれど、こうやって自分がなりたかったプロダクト
デザイナーをまがりなりにも30年続けられている事に対する感謝の気持ちをどう
みんなに還元出来るかを考える。

そのひとつが講演会だと思っている。当初考えていたのはデザイン入門だった。
デザインは人生を豊かに出来る工夫のひとつだ。なにもそれは製品作りに関わる事
だけでなく日常の中にある様々な事柄について「一工夫」するのがデザイン的な
発想だと思っている。

同時に「ベテラン」にあってもいつまでも難しいものでもある。
いつまでも初心を忘れない為に「入門編」というか最初の一歩である「発想」を豊
かにするのは、習熟だけではない事を知って欲しかった。それどころか習熟は物事
を小さくしてしまう事を認識する必要がある。ベテランと初心者や未経験者がまじ
ってうんうん唸るのはとても新しい発見があった。

回が進むにしたがってわたしのデザインした「製品」が世におおく出回る事になっ
て、formroomの役割も変化してきた。

つまり教える側がそのデザイン理論を実践している様をみんなに見せる事が出来る
ようになったのだ。

デザインは理屈でも論理でもなく「すてきなデザイン(製品)」というものによっ
て一番多くのメッセージを相手に伝える事が出来る。

製品についてどういう意図でどういう意識でどういう意思でそれが作られたのかを
生の声で伝える事ができるようになった。

そのひとつがdo-nabeを通した「クライアントとデザイナーの関係の大切さ」であ
り、trystrams を通した「企画とデザイナーの相乗効果の大切さ」だと思っている。

わたしはバイヤーの方とも話がしたい。デザイナーとデザイナー。プロデューサー
とデザイナー。プレス(広報)とデザイナー。デザインはデザインの周辺で出来て
いる。

「デザインは相手の気持ちが判っていないと出来ない仕事」だ。

今度12月の17日には「formroom15」を開きます。

9:50 AM

December 6, 2011


瀬戸モノ

明日発売の「日経MJ」に瀬戸と瀬戸物についての特集が掲載される。セラミック
ジャパンについての紹介も出る予定。

わたしは瀬戸という街がまだ勢いを残していて町中を流れる川が陶磁器に使われ
た土によって薄茶色になっていた頃にその場所から程ない場所にある大学でデザ
インの勉強をしていた。

セラミックジャパンが先代の杉浦社長と栄木さんを初め何人かのデザイナーと
「デザインを大事にする会社」として設立されたのが、奇しくもわたしが入学し
た1973年だった。

1973年は大変な年だった。「ティッシュペーパーの買い占め」で未だに語り続け
られているオイルショックの年であり、課題で必要な木工用ボンドや塗料の値段
が毎日のように高くなり、購読していた美術雑誌の定価が倍に跳ね上がった。

そういう最中にセラミックジャパンは誕生した。

今年の初頭に国立近代美術館で栄木さんの展覧会が開催された時の、紹介記事に
こんな事が書かれている。

「当時、瀬戸では和食器のデザインは伝統デザインの模倣アレンジに価値があり、
洋食器やノベルティは欧米貿易商の持ち込むデザインで事足りていて、デザイン
としての「独立」はなかった。......五百も陶磁器工場が林立しているのに陶磁器
デザイナーもデザインを望む工場も皆無の状態であった」

結局その当時の模倣と量産がその後自らを衰退の道へと誘ってしまった。人件費
の安さだけではもっと安く人の雇用出来る国へ移行するのは、まさに歴史の教訓
通りだった。

セラミックジャパンはいち早く「時代に逆行した」。今も製品の多くは輸出をメ
インにしていない。MoMAshopなど限定された海外のショップでしか扱っていな
い。あの高いブランド力を持つMoMAshopですらある意味国内のセレクトショッ
プと同じ線上にしかない。

do-nabeについても評判が高くても多くは作れないし作ろうとはしない。
結局こういった時期にあっても堅調にビジネスをしているところはそう「荒い
商売」はしようとしないししないことによってそのイメージがキープされている
事を知って欲しい。


5:43 PM

December 6, 2011


マナー

このブログをたまたま見てしまった何十人かの人にお願いがあります。

それは
お客さんや友達か帰る時、その相手が通りから見えなくなるまで見送っ
て欲しい。

そしてお客さんが帰ってすぐにドアをがちゃんと閉めたり、チェーンを
おろしたりしないで欲しい。

こういう事を書くとすぐに「ビジネスが上手くいく」とか「商売の基本」
と思うかもしれないけれど、そうじゃありません。 こういう事を実行
しても「まったく商売には結びつきません」。

かつこういう事は「年齢には関係がない」のです。年配の人でも平気で
ドアを閉めてすぐにがちゃがちゃとチェーンをかける人がいます。

わたしは自らの「安全」とか「保安」というよりも相手の感情を大切に
考えます。

そうこんな簡単な事ですら勇気と信念がいるのです。

1:19 PM

December 6, 2011


デザイン馬鹿

デザイン馬鹿と言う言葉があるけれど、これは本来「逆」の意味だろう。
デザインは聡明それ以外はあまり感心しないというべきだろう。

そういえば富山のデザインコンペの際に講評の言葉でわたしは何度も「馬鹿」
という語句を用いた。

日頃人にもモノにもそんな事を言った使った事が無いわたしは、そういう言葉
でしか「そうなって欲しい」気持ちを表現出来ない自分の力不足に自分が嫌に
なりまさに言葉の毒で自家中毒を起こしそうだった。

スティーブ・ジョブズが亡くなったのが10月5日でその後「ステイ・フーリッ
シュ(愚かであれ)」という彼がスタンフォード大学の卒業記念講演の際に引
用したフォールアースカタログの最後のページに書かれたメッセージがその後
世間で多く語られたけれど富山のデザインコンペは、数日前の9月28日だった。

なぜ「デザインで馬鹿になれ」と長年デザイナーをしていたわたしが言うかと
言えば「なまじの聡明さでは物事は突き破れない」と思うからだ。

昨日の晩偶然にアマゾンの創設者であるジェフ・ベソス氏がプリンストン大学
での卒業記念講演の内容についての日本語訳を見た。

小さい頃から計算が得意だった彼がヘービースモーカーの祖母に対して『タバ
コ一本につき寿命が2分縮むらしいからおばあちゃんが一日にこれだけ吸うと
トータルすると9年縮む事になる』と話したら祖母が大泣きしだした。

頭の良さを褒められると思っていた彼はおおいに困惑をしたけれど、祖父が彼
にこう言った『お前は確かに頭がいい。でもな賢い事よりもやさしい事の方が
大切で難しい事だといつか気がつく時が来る。』

『才能や聡明さは「ギフト(天賦の授かり物)」でやさしさは「チョイス(選
択したもの)」だ。 持って生まれたものを何に使うのかを選択しその選択に
誇りを持てるだろうか?』

結局デザイナーは「片時も馬鹿にはなれない」。わたしもそういう事は判って
いる。 しかしその聡明さの選択が時代を読み間違っている事も少なくないし
困った事に「道理」にかなったことが「愚行」にも映るものだ。

愚かであれというのは「今にあっては間違って見える事でも自分の信じる事に
素直であれ愚直であれ」という事だろう。

10:46 AM

December 5, 2011


デザインという存在

昨年の今頃、萩原修さんとおでんを囲んでの「座談会」をさせていただいた。

その中で『デザインという言葉はどういう言葉に置き換えるのが「より正確に」
伝わると思いますか?」という難題が参加して下さったから方から質問が出た。

その質問された方はよくよくデザインと関わられている方であって、
状況がわからない門外漢の方が『デザインってなんですか?』という質問をさ
れたのとはまったくその状況が違う訳で、デザインに関わって30年位にはなろ
うかという3人が「デザインという言葉」という言葉を鍋にいれてぐつぐつ
(ぶつぶつ)したわけです。

結論はもちろん出なかったけれど萩原さんが『とにかくデザインという言葉を
安易に使わないように日々努めている』という話が印象的だった。

今年鼎談した、桐山さんも紫牟田さんも萩原さんもわたしもとにかく若い時か
ら「デザインまみれ」で育って仕事をしているのでいささかをこえてその言葉
に「疲弊」している。

そして多分その言葉が拡大解釈されて都合よく当てはめられる事に危機感すら
感じているわけです。

物事は「言葉」を持たなければ「存在」しない。らしい。少なくとも伝搬しな
い。

会社時代のデザインセンター長だった黒木さんは『デ・ザイーン』という発音
でデザインという言葉を話された。

わたしはその発音を聞くとドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの存在論
の著作の冒頭に出てくる「存在(Sein、ザイン)」となにか通じるものを感じ
てしまった。

デザインとは「デ・ザイン」。「あるべきもの」そう感じる訳です。

わたしは目の敵のように「デザイン家電」に対して「対峙」してますが、なぜ
そうなのかといえば、じゃあダイソンの掃除機や扇風機を「デザイン家電」と
よぶだろうか?アップルの一連の製品を「デザイン携帯」や「デザインPC」と
呼んだ人がいるだろうか。そう思う訳です。

まったく「デザイン性」を感じないものは「そう呼ばない」。逆にデザインと
機能が高い次元で実現されているものは「デザインXX」と呼ばないのであれば
おのずと「デザイン=x」のxになにが入るのかは明らかな訳です。

つまりデザインに関わるほどに「デザイン」という言葉を使うという事は「あ
る時点にそのものを収め込んでしまう危険」を感じざるをえない。

「サポート」するものによって歩くようにはなるけれど今度は走れなくなるわ
けです。

存在を定義する事は存在を越えるものを枠にはめてしまう。

7:38 PM

December 3, 2011


ジレンマ

わたしにはおおきな「ジレンマ」がある。

それはブラウンのオーディオセットでは「いい音がしそうに感じない」という
ジレンマ。

もちろんすてきなデザインには違いがないがそれはあくまでもスタティックに
おかれた状態の写真であって、「インテリア」にしか見えない。

わたしはその事にオーディオメーカーに入ってすぐに直感した。

単にブラウンだけでなくブリオンベガをはじめイタリアのデザインについても
いえる。

「ボーダーライン」は「ラジオ」もう少し進んで「レシーバー」と呼ばれたア
ンプとチューナーが一体になった製品まではぎりぎりそのデザインと音がバラ
ンスする感じ。

音がいい事の為にはそれぞれの機械がギリギリまで自分をチューニングし体脂
肪を減らし筋肉をつけた感じ。つまり「役割」によって筋肉のつき方がかわり
体型が変化して兄弟であっても全然フォルムが変化する感じ。

気がついてしまったわたしは正直目標としていた「MoMa」から縁が無くなっ
てしまった。

美術館は「美しくバランスした構成」を評価するが「諸事情」には頓着がない。

いや「諸事情」の塊は評価するかもしれないが、それは「アノニマス」の美しさ
であってデザイナーには「還元」されない。


「音楽を楽しむ」というスタンスはデザインだが「音楽を苦しむ」というとんで
もない世界にはデザイナーは住めない。

7:23 PM

December 3, 2011


colorful

スケッチ2.jpg


昨日取りためたポッドキャストを聞いていたらこんな話をしていた。

岡本太郎さんがインタビューに答えて『赤・黄・緑。原色の中にこそ神髄がある。
わたしは原色が好きだ。原色しか着ない。』と言った後に最初顔しか映していなか
ったカメラが引いて全身を映したらなんと「くすんだ色」の服を着ていたそうだ。
(正確な話ではないのでそのまま引用しないでね)

なぜこんな話を書いたかと言えば「考え」と「行動」は異なるし、大事な事はそれ
が「事実」かどいうかというより「そういう発想」が出来るというチカラが大事な
事だと思う。 残る言葉は「遠い」。

____________________________________________________________________


今度12月16日に滋賀県立大学で2回目のスケッチワークショップを開催しますが、
学校の先生をされている南政宏さんがすばらしいポスターを作ってくれた。

わたしはかつて南さんに「遠目に良く出来た人になって下さい」と話したそうだ。

これは本来的には「人のミバ」ではなくてプロダクトデザインについてのヒントに
言ったつもりだったけれど南さんが「捉えた」ように人にも当てはまるのかもしれ
ない。

デザインは遠目が命だ。もちろん近寄って見て手に取って良く出来ている事は大切
だが「近づいてもらえる」ためにはまず遠目で「なにか」を発していなくてはいけ
ない。

人は身近なもので出来ている。SNSは身近なものでその90%で出来ていて後の残り
の10%が「遠すぎる」話で出来ている。

言ってみれば「日常」と自力ではどうしようもなさそうな「社会」で構成されてい
る。

もちろん身近は大切だがその身近が「だれにでもある」という事に気がつく事はも
っと大切だ。

デザインとは「だれにでもある感情」をカタチに落とす行為だ。

自分に起きた事が「自分だけがそうなっている」のか「誰にでもありえるのか」と
考えるのかによって対処法が変わるし、それがデザイン発想の原点である。

わたしは幸いにもこのブログを書き続けることによって「その事」に気がつく事が
できた。

同時にその事をみんなに伝えたいと思うようになった。「発想のヒント」を生の言
葉で伝えたくなった。

わたしは講演会に参加してくれた人にこう言う『明日からブログがしゃべりだしま
すよ』と。

わたしは昔「近目」を大切にしていた。例えが唐突だが宴会があるとその最後まで
残っている人だった。まあ義理堅いとも言えるが、逆にいえば「自分の話題が出な
いように見張っていた」のかもしれない。

この頃は発想が逆になってさっさとその場を切り上げもするし、あまり参加もしな
くなった。「自分の話題で盛り上がりやすくする」というか別段褒められなくても
かまわないという心境になった。

わたしには「遠目」が大事なのだ。身近い人ではなくて遠くでわたしの文章を読む
人に伝われば良い。

わたしは気候の話も景気の話も政治もその時々のニュースも取り上げない。
それはどうしようもない事やその事の成り行きや状況について「見解が別れるもの」
については触れないという事だ。

つまり「自分の考えと違う」という感情によってここに書かれている事を「門前払
い」されては困るからだ。

そういった意味では具体的な製品やデザイナーについても「いいと言い切れる」事
以外はふれない。

先日スケッチワークショップに参加してくれた大学院生の方は7年前にこのブログを
読み始めてくれたそうだ、当時高校生だったそうで、その話を聞いてわたしは改め
てこのブログの大切さを思った。


10:29 AM

December 2, 2011


NEXT

次は「服」なのかなと漠然と思う。

もちろん縫製についてまったくと言っていほどのわたしには服を語る
事はできないけれど、使用者としての感想も意見もあるわけです。

というか「プロダクトデザイン」に翻訳出来る服はあるはずだと感じて
います。

そういえばイギリスのプロダクトデザイナーの巨匠「ケネス・グランジ」
がマーガレット・ハウエルでシャツをデザインした事を思い出した。

7:05 PM

December 2, 2011


モラルをデザインする

スケジュール.jpg
デザインでなにが重要かと聞かれれば「価格」と答えるのは何度も書いていますがそ
れはなにも「安く設定する」事ではありません。

それは秋岡さんがuniを当時の鉛筆としては破格の50円という値段をデザインした事か
らもうかがえます。

今日日経トレンディーに一連のtrystramsによるスケジューラ製品の記事が掲載されて
いたのでそれに関連して製品コンセプトを書きたいと思います。

写真のスケジューラーは10000円。破格のスケジューラーです。
普通のスケジューラーや手帳であれば厚紙に革の模様を押したものが主流で毎年買い
替えるものですから本当の革を使うというのは不経済です。

じゃあなぜ「本革」にしたか。それは中身を差し替えて永く使ってもらいたいという
思いがこもっているからです。 つまり「エージング(経年変化)」を楽しめるもの
にしたかったからです。

1.多様である事
コクヨS&Tの櫻井さんが日経トレンディーの記事の中で企画主旨を述べられています
が、実はわたしも同じ事をしていました。つまりパソコンソフトイラストレーターを
使って一月単位のスケジュール表を作成してA4の透明ファイルに入れて持ち歩いてい
ました。

なぜか?老眼が進んでいるから。
もともと20年以上前に購入したファイロファックスを使っていた時期もありますし、
今評判の年度手帳も購入した事が何度かありますが、尽く続かない。

ひとつには「筆無精」というか話の内容を手帳に書き記すのが苦手である事で、名刺
入れに次第に手帳が変容していきました。

もうひとつは日程を「全体」で捉えたい。という気持ちがあるからです。
全体で捉えてかつ日程に書き込む要素が増えてくるとどうしても日にちのマスが大き
くないと困る。

そういう矛盾を「受け止めてくれるスケジューラーが無い」という事からA4の紙に自
作のスケジューラーを生み出した訳です。

しかしA4のフォルダーはコンパクトではありません。
横方向に折ると(つまりA5サイズ)になるわけで、こう言うものは結構ありますが、
スケジューラーは「横位置」にしたいわけです。当たり前ですが、一ヶ月は横方向に
7日(一週間)で週の数は最大で6行だいたい5行ですから、どう考えても「横長」
になります。さらにいうと「週の真ん中」が存在しない訳です。7日ですから。

わたしは週の真ん中で「ばっさり」折るのが嫌だったわけです。そして生まれたの
が3週目と4週目の間に横方向に折り目のある「縦位置」のスケジューラーという訳
です。

2.大人である事
大人という言葉は正直好きな事なではありません。『いったいどこにオトナがいる
んだ』ニュースを見ていて思うわたしですが、じゃあ現実には少なくて「空想の概
念」たる「大人」が誕生できる製品をデザインしようというのが、わたしのここ10
年の「隠れテーマ」でもあります。

大人とは「おとなしい」に通じると思っています。音無しに通じると思っています。
つまり存在感を不要に強調しない事がある意味「大人」かと思いその「様(さま)」
をかたちに落とそうと思っています。

わたしは「しつけのあるデザイン」という言葉を何度も言っていますが、しつけが
必要なのは子供や若者だけではありません。やんちゃが許容されている(と思って
いる)のが、おとなではなく「年を取った人」ですが、わたしは「それを見ると・
それを持つと」『あっ忘れそうな挟持がよみがえった』そういう製品デザインにし
たかった。

わたしは先日のワークショップでも「大人向け」のデザインをしましたが、そのコ
ンセプトが「歳を取る事が素敵な事であると若い世代に伝える役割がある」としま
した。かっこよく「老けて」欲しい。

そういう人に相応しい華美じゃなくてシックで高級感のあるそういう姿をこのスケ
ジューラーにこめました。

3.持たない主義の人が持ちたくなるデザインである事

開く.jpg

わたしが文具や小物をデザインする時に考慮するのが「出張」です。
自身頻繁に出張があるので、どういうものを持っていくかいかないかというのは大
事なポイントになっています。 必要があるけれどできるだけコンパクトであって
欲しいわけです。かつ「使える(判読出来る)」ものでないといけないわけで、相
反する要素の中から生み出される訳ですが、そのおかげで「見たことがあるようで
実際には存在しないプロダクト」になるとも言えます。

薄いだけであれば「二つ折り」で十分です。当初「カーボンファイバー」にしたい
と思っていたぐらいですから。

なぜ写真のように「三つ折り」なのか?
それにはちょっと切ない思い出があります。 最初の会社に入った時、出入りの業
者さんがいろんな付き合いのある会社からお歳暮代わりにもらった手帳を使ったり
します。そんな業者さんの一人が打ち合わせの時に「別の会社の手帳」をつかって
いたのを目にしました。数年後わたしはその会社に自分も入る事になったのは皮肉
ですが、人は「ブランド」が好きですからイメージの高い会社のものを使いたい気
持ちは判りますが、「残念」な気持ちはいがめません。

つまり「ノーブランド」というか会社付き合いと「切り離した」モノを使うべきだ
と思う訳です。

それと三つ折りは関係あるのか?あるんですね。
ひとつには「スケジュールになにが書いてあるかが相手から見えない」わけです。
早弁(3時間目にお弁当を食べちゃう事)の際の目隠しの「教科書」のようなもの
がこの「三枚目」の板です。

写真で見て判る通り三枚目にかかったゴムベルトには左寄りに「止め」があります。
これは左側に自分の名刺を入れておく場所です。もちろん相手からもらった名刺を
入れてもかまいません。じゃあ右の大きめのスペースはなにかといえば飛行機のチ
ケットや新幹線の切符を入れておくスペースです。

つまりここに挟むと相手からもらった名刺が見えないわけで、一日のうちで何人も
何社も打ち合わせをする人に取って別の会社の名刺を見せないで(見られないで)
済む為の「モラルファザード」です。


この製品を一見してこんなにいろんな要素が凝縮されているとは思わないでしょう
ね。じゃあどうして書いたかと言えば、先日品川にあるコクヨ本社でオフィース家
具の展示会が開催されましたが、その際にtrystramsのマネージャーをはじめ担当者
の方々とお話しする機会がありました。

わたしはその場で宣言したわけです。『この製品群のプレスをします。』『良さを
伝える為にわたしも協力させてください』と。

このスケジューラに限らずボールペン「primine」も見た目だけではその製品の神髄
は伝わらないと思います。値段に「納得」してもらう為には、その意図を語り、実
際に使ってもらわないとわからない製品だと思います。

「デザイン」という言葉が軽くその製品の「実像」から遠ざける事もあるのを教え
てさせてくれたモノたちなのです。

9:39 AM

December 1, 2011


挫折に至れず

先ほどの秋岡さんの話の中でブルートレインやuniの仕事で思い通りに
行かなかった事が書かれていましたが、わたしはそれは「選ばれたから
こそ感じる事が出来た挫折」だと思います。

時代を考えればプロダクトデザイナーとして成立していて重要な案件に
ついて「選ばれた」わけで、ふつうは選ばれない。

挫折を味わう状況に至れない。

6:43 PM

December 1, 2011


秋岡芳夫展評

秋岡芳夫展に対するすぐれた評を見つけました。

どうももう一度展覧会を見に行った方が良いような気がしてきました。

そういえば昨日バスツアーの添乗員の方が帰り際にマイクを通してこんな事
を言われていました。

『同じ名所に8度訪れるべし。という諺があるそうです。4度は季節ですね。
春夏秋冬を味わう事。そして天気の良い時とそうでない時。それで8度です』

6:05 PM

December 1, 2011


かなわない

「かなわない」という文言が浮かんだ。

かなわないには「叶わない」もあるし「適わない」もあるし「敵わない」
もある。

「あいつににゃかなわない」と思ったので多分「敵わない」ですね。

久々にある方のブログを読んでかなわないと思ったわけです。

本人はなにもそういう事を意識していないだろうけれど、さりげない分析
力と記憶力と冷静さそういうものが相まってすてきな文章が生み出される。

考えてみれば、おおくの「敵わない」人をこれまでに見て来た会ってきた。

しかし残念というかそう思う人にはなぜだか欲がない。もちろん自分が出
るという野心が無いからこそ冷静で客観的でいられるわけで「自分が出る」
というある意味スピードを手にしたとたんに人はなにかが眼前の景色から
飛んでしまう。

客観性が諦めと結びついてはあまりにも人生がつまらないと思うのは、
「自分が出る」というわたしだからの観点にしか過ぎない。

だから自分と違う「敵わない人」が好きなのかもしれない。


5:33 PM

December 1, 2011


案外

SHIRO.jpg


以前ツィッターにわたしが「案外」という言葉が多いという指摘が載っていた。

わたしは意識的に「案外」という言葉を使う。「意外」という言葉を使うべき
ところも「案外」という言葉を使う。

どう違うかと言えば、「意外」という言葉にはなにか「上から目線」というか
自分が勝手に作ったイメージと現実が違う事を意味しているように感じるから
だ。

それに比して「案外」というのは、わたしについたイメージと異なる事をして
いる様を表現するものだと思っている。

「意外」というのは自分がモノなり人に「つけた」イメージと異なる事に対し
て「どうしてそうではないんだ」という批判も感じる。

「案外」というのはすこしとぼけていて「やさしい」。まあわたしが勝手に思
っている事なので言語学的に鑑みて正しいかどうかはわからない。

____________________________________

昨日は駆け足で長野の善光寺と松本城を巡るバスツアーに参加した。
あらかじめワークショップの最終プレゼンテーションの日程をにらんで「おつ
かれさま旅行」を考えて申し込んだ。

わたしは物事に「あらかじめ期待しない」。期待とがっかりはセットで出来て
いて、自分の想像の外に現実は横たわっていてそれらのすべてを他人のつなぎ
あわせた「既成」では、現実のすべては把握しきれない。

さらにいえば期待は相手を苦しめる。別段それまで意識しないもの達に「なに
か」のレッテルを貼る事は重荷以外のなにものでもない。

「楽しみ」そういうのが、平和だ。

昨日はまったくの「秋の最終日」だった。通年よりも温かく厚着気味のわたし
は動くとちょっと汗ばむぐらいだった。翌日に10度も気温が下がるなんて少し
も想像出来なかった。つまり少し先の事も人はイメージ出来ない。

案外だったのは、昔訪れた時には気がつかなかったけれど、あまりに唐突に
その姿が見えた事だ。 駐車場からすでにどんとその全貌が見えた。

案外と言えば、松本城をこうやって正面切って撮影した写真があまり無い事だ。

人は写真に「情報」を期待する。
被写体を斜めから撮影して2面もしくは3面の情報をさらにいえばここにいる白
鳥を入れて城の横にある赤い欄干をもつ橋を入れて撮ろうとする。

わたしは写真は「情報」だと思っていない。そこにあるものを絵画的に全体を
正面からどんと撮るのが好きだ。そうでなければ一部分を拡大して構成する。

すべての期待には応えられない。他になされたもの「以外」に「案外」答えが
あると思っている。

10:28 AM

November 29, 2011


秋岡芳夫という存在

目黒美術館で開催中の秋岡芳夫展を観て来た。

デザイナーに限らずクリエーターには「エネルギー」がある。そのエネルギー
がなにに「昇華」されるのか、そこにわたしは関心がある。

会場に入ってすぐの場所に大量の「竹とんぼ」が展示されている。
そのおびただしい数の竹とんぼのひとつひとつの完成度とバリエーションの多
様さに驚く。

展示を通して三菱鉛筆「uni」のデザインが秋岡さんの所属していたデザイング
ループ「KAK」の手によるものだとはじめて知った。

学研の「学習」「科学」の付録であった実験模型がKAKのデザインという事は
以前から周知していたのですがuniもそうだったというのは驚いた。

なぜならわたしが工業デザインにはじめて興味を持ったのは「uniの1ダースケ
ースとそこに附属していた芯研器」だったからだ。

uniを調べていたらこんな記事を見つけた。

秋岡はデザインだけでなく、商品コンセプトの構築そのものにも深く関わって
いた。驚くべき事に、秋岡は価格のデザインにも関わった。

わたしが「価格は最大のデザイン」と言った50年前にすでに秋岡さんはそう看
破されていた。

uniのケースがその後簡易なものにかわり芯研器が消しゴムに取って代わられた
事にいたくがっかりした当時の事を思い出す。

わたしは信号機をデザインするにあたって「小学生が無意識に見ている公共物
が美しくなる事がまわりまわって将来のデザインレベルが向上する」そう考え
ていたのですが、考えてみれば秋岡さんが小学生の為の学習教材に「本気」で
取り組んで当時の最先端の工業デザインセンスを注入していた事がわたしに無
意識に作用していた。

結局わたしは「秋岡さんに育てられていた」。
今の今まで気がつかなかった。58年目の秋にわたしは秋岡さんの教えを知った。


5:06 PM

November 28, 2011


発信とはなにか

「わたし自身がわたしのデザインの足をひっぱってはいけない。」

____________________________________

大きな仕事が一段落した日にちょっとした「決断」をした。

ツィッターとfacebookのブックマークをパソコンからiPadからiPhoneから削除
した。

ブログの文章を全部廃棄した事もある自分なのでツィッターもfacebookも即ア
カウントを削除とも思いもしたが、いささかの「未練」と責任もあるかと思い
当分は「フリーズ」状態にする事にしたが実質上「終了」だと思っている。

このブログに集約する。

わたしはプロダクトデザイナーにとって「怖い人」でなくてはいけない。そう
思った。やさしさや人間味をもうアピールする必要は無いと思った。

すべてはプロダクトが語るものだ。そしてなによりわたしのデザインしたプロ
ダクトは雄弁だ。

発売当初は理解されないものでも年を経て語り出す。わたしが『理解しろ。わ
かってくれ。』と言ったり書いたりするのは陳腐だ。滑稽だ。

発信とは、信じるものが発する事だ。わたしは自分のプロダクトを信じている。

6:13 PM

November 28, 2011


継続するワークショップ

こんなに物事に長い間集中することはそうこれまでにも無かったなあと思う。

今日の午前に富士通デザインで8月からはじめた進めていたワークショップの
内覧会を開きました。

大勢の主にデザイナーの方々にショップの主旨とその成果を見ていただきまし
た。

わたしはとても好評だったと思っています。

なによりも見ていただく方々の感想以前に、わたしと参加メンバー5人の間に
充実した内容に確かなプライドが芽生えていました。

「自分たちが納得するデザイン」そこに目標を設定しました。自分を説得でき
なければ周りは説得出来ない。

わたしは「ワークショップの為のワークショップ」をするつもりはありません
でした。

頭で作るだけでなく手を動かすだけでもなく両方がバランスよく機能するワー
クショップを目指しちゃんとその成果が出せたと思っています。

しかし一番重要なのは参加したわたしを含めて6人のデザイナーが「ワークショ
ップを受ける前」と明らかに違う成果をこれから開いてくれた会社と社会にお
返しをすることだと思っています。


3:26 PM

November 24, 2011


過去の事は昔の事ではない

handdrill_image.jpg


別段今ハンドドリルをデザインしているという事ではありません。
このスケッチはわたしが大学の2年生の時に課題でデザインをし、4年生に
なったときに2年生の時に作成した木製の模型に着色して完成させた写真を
そのまま再現した3Dスケッチです。

先日大阪から上京した友人と会う数時間前に探し物をしていたら偶然出て来
たその写真を自慢しに見せた訳です。

たぶんそれは人から「昔の通知表」を見せられて返答に困るようなものだっ
たと思うのですが、当のわたしが感慨深かったわけです。

変わらないなあと思った訳です。実は今の私が見てもこのデザインは「好き」
です。四角柱と円筒しか無い世界。それはまるでデバイスタイルのワインセ
ラーでありキャノンのBJプリンターと同じ世界観です。

わたしは今から38年前にすでに「秋田道夫」だったわけです。

それはたぶんバウハウスでありミースでありブラウンです。38年はたしかに
遠い昔ですが、そのまた38年前にはすでに「原型」が生まれていました。

言ってみれば素直に学んだままをカタチにしていたというに過ぎません。
あえていえばあまりに素直に自分を追わずにすでにあったものに学んでいた
というべきでしょうか。

わたしにとって会社でのデザインはなんだったのか?
言えるのはカタチを学びに行ったわけではないということです。かたちを試
すというか問いに行ったんだと思います。会社に社会に。

さらに不埒な事に会社に入った年に大きなコンペで優勝してしまったわけで
す。ほんとうはそんな結果が出るのは何年か先だった方が良かったのかもし
れません。

わたしが壁にあたったのはまだ先の事ですが、それは壁ではなくわたしの気
持ちの問題だったと思います。

自分を出そうとして自分を見失ったという事でしょうか。

7:06 PM

November 22, 2011


やさしいデザイナーの話

大阪のプロダクトデザイナー江口海里さんがLGモバイルデザインコンペ2011で
ゴールド賞を受賞しました。

3回連続ゴールド賞という快挙です。

これまで何十年開かれた様々なデザインコンペで3年連続で上位の賞を受賞した
という話をわたしは知りません、ほんとうにすばらしい事です。

_____________________________________

江口さんを知り合ったきっかけは去年の春に梅さんが開いてくれた「やさしいデ
ザインの話3」に江口さんが聴講しに来てくれた時でした。

もちろんそれだけでも友人になっていたとは思うのですが、さらにわたしの気持
ちを打つ事がありました。

それは江口さんのブログの文章でした。

これまでにもいろんな参加者が講演会の感想をブログに掲載してくれて、いつも
楽しみにしているのですが、江口さんの文章は「格別」でした。

正直話したわたし以上にわたしの言葉を理解してくれていると感じたぐらいです。

その日に参加されなかった人もその文章を読むだけでわたしの話を聞いたような
気持ちになれるぐらいに「書き切ってくれて」いました。

自分を出さずに筆者の気持ちが表現出来るというのはとても高度な文章力です。

わたしはとても彼に感心し関心を持ちました。

あれから1年半、実はそんなに最近の事とは思えませんでした。すでに知り合っ
て3年ぐらいが経ったのかというのがわたしの感想です。

本人の確認した訳ではありませんが、その講演会から後江口さんから「迷い」が
消えたように思っています。

「基本」「ベーシック」「スタンダード」「ふつう」わたしの話はそういう言葉
で埋め尽くされています。そしてデザインしたモノも「その通り」だと思ってい
ます。

そこにはトリッキーも魔法もコツもなくこの道を進むにはショートカットはなく
さりとて「遠回り」もない。まさに坂道にまいた水がそのまま下がって行くよう
なものです。

わたしはこれまでにわたしの話を聞いた人がその翌週にはまた別のデザイナーの
話を聞いているという記事を何人も見てきました。それはまるで何人もの有名デ
ザイナーの話を聞いてパッチワークのように縫い合わせなくては全体が掴めない
心持ちを感じます。

わたしは成長する木はどんな土からでも栄養と水分を吸い上げるものであり、ど
んな状況でも対応分解する能力は外にはなく個人の体内にあると思っています。

江口さんはわたしの話の中から的確に自分の栄養になる事を吸い上げたわけで
「土地を探し歩く事よりまず地面に足をおろして根の長さ根の範囲を広げる事こ
そがすべき事」と気がついたのだと思います。

別段自分の話を褒めている訳ではありません。多くのデザイナーはそれぞれ経験
に鑑みて哲学を持っています。説得力を持っています。パッチワークにしている
のは「聞き手」の問題です。

わたしは優秀な一人の青年が大地に荷物をおろしそこに「農業」をはじめるかの
ように自分をまわりを耕しはじめ、確実に「成果物」を収穫している様を見せて
もらっています。


6:47 PM

November 21, 2011


何度も言うよ

dek-1112cart002.jpg


『やっぱり売れないと次につながらないじゃないですか。次につながらなければ、
製品の改良や改善もできない。それをどれだけ賞賛されても、実際に買う人が少
なくて、3年後に消えてしまうというのは悲しいですね...。』

これはエキサイトイズムの中でのわたしの発言。

何度も言うよ。何度も書くよ。という感じ。

先日大阪でヨドバシカメラ、そして東京で新宿伊勢丹を見てきました。

デザイン家電は一部のものが残りそして残り続けた結果また「新しい局面」をむか
えているというのが感想です。

エキサイトの中でいう「3年で消えてしまうもの」はその3年を過ぎました。もう市
場にはありません。エキサイトの記事自体が2年近く前の事でもあります。

残念ながらデザイン家電と呼ばれているもののほとんどにこれといった「新機能」
はありませんでした。
別の言い方をすれば値段を上げてもいいような機能は見当たらないという事です。
あえていえば「素材」と「仕上げ」が「新機能」でした。

結局値段が高いと売れない。もちろん記事にはなるし「デザイン愛好家」が1万台
は買ってくれる(1万台もあやしいですが)のかもしれないけれどそこから先には
急激に深刻で困難な状況が待ち構えている。

どうして何度も書くか(書けるか)といえば「それでもいい」といった記事があま
りにも当時多く見かけたわけで、そんな「コンセプト自体」を褒めて記事を書いた
人がほんとうに消費者側に立った場合にその価格を「容認」できるものか。その疑
問がずっとあるからに他なりません。

さらにいえば「意図的」とも思えるほど雑誌にデザイン家電と呼ばれたものが最近
登場してこないという「顛末」を見るからです。

「新しい局面」とはなにかそれは「価格が一番のデザインである」という事ですね。

そういえば、今度MAの湯沸かしケトルが3色になって再登場します。
値段は5000円程度。ステンレスバージョンが8000円だったので相当に安い。
なによりも驚く(デザイナーが驚いていてもしょうがないですが)のが「4年ぶり」
のリニューアル。

わたしは未だに発売した当初の製品を使い続けていますが、そんなに時間が経った
とは思えない。(品番が07ですからすぐに2007年製とわかるのですが)
それどころか市場の中で今でも「独自のカタチ」をしていますからますます新鮮に
映ります。

業界的に言えば初期投資(金型作成・図面化)を回収して製品のコストダウンが出
来るようになったんだと思います。

それにしても4年前と同型のものが再登場するというのは、聞いた事が無い。


2:08 PM

November 19, 2011


経時変化

いまですね「経時変化」というものに興味があるわけです。

長い間に使う人の手によって独特の「味」が生まれるそういう製品や素材に
ぐんぐんと惹かれている訳です。 

それは自分自身がだいぶ「経時変化」してきているというのが背景にあるか
もしれません。

わたしはtsutsuをデザインするにあたって想像したのが「べこべこになった
ステンレス製の円筒形の物体」でした。

もちろんすっきりなんの傷もないのが最高ですが、何十年も使い込まれて
いろんな場面でついたへこみや傷もまた味になり愛着に繋がるのではないか
という事です。

わたしが今愛用しているジーンズは、神戸で買い求めたキャピタル (Kapital)
というブランドのものですが、2年前だったかに買ったものが、やっと今す
こし色が落ちて来てひげと呼ばれるしわの部分が白くなってきました。

さらに書けばよく持ちあるている大と小のトートバッグは京都の信三郎帆布
店のものですが、これもそう簡単に「味」はでません。毎日のように使って
やっと2年ですこしへたり色が薄れて来た。

そういえば昔から欲しいものに「山ぶどうのつるで編んだカゴ」があります。
入手の難しい希少な山ぶどうのものはちょっとしたかごであっても高価です。
しかしそれは5年10年どころか100年後に民芸館に展示されるぐらいの耐久
性をもっています。

つまり経時変化はそう簡単に「味」を出せないぐらい頑丈なものがであり、
長い歳月をかけて使われてやっと使い手の「持ち物」になるという有り様を
さしていると思うわけです。つまり風合いは「ごほうび」みたいなものです。

数年で壊れてしまう製品(商品)には「経時変化」という勲章は与えてもら
えない。

ここに「興味がある」と書くには背景があるし単に興味で終わらせるつもり
もありません。「経時変化」の楽しめるそういう製品を生み出すべく動き出
しているそういう序章をここに記した次第です。


10:17 AM

November 17, 2011


シュール信号

IMG0936.jpg


先日東京で仕事をされていた大工さんが写真を送ってくれました。

ゆりかもめの「日の出」駅近くの「タブロイド」というイベントスペース
で撮影されたそうです。

なんともシュールな風景です。

3:31 PM

November 14, 2011


keishou(蛍照)

また丸です。円筒です。

80mmをそのままおおきくした格好をしています。

わたしはこういう誰でも考えそうなカタチをデザインするとそれまでにあった
道路(道)の真ん中にゲートを作って『はい、今日からここを通る人は有料です。
』と主張してしまうようなものなのかなと思う事があります。

しかし反対に言えば「すでに通れてもいいはずの道の真ん中が閉まっていたのに
そこを一般に開放する工事を成した」という捉え方もするわけです。

つまりそこが「通れなかったのは不自然」だったわけで真ん中も道になることに
よってこれまでの何倍もデザインの可能性が広がるのかもしれません。

わたしは「すでにあるべきものがないからそこにあるべきものをこれからつくる」
そういう風に捉えて先だってのカトラリーと同じように「SSD(スーパースタン
ダードデザイン)をしたいと思っている訳です。

前説にしては長くなりすぎました。

これは光る手洗器です。
もともと滋賀県立大学で教鞭をとられている南政宏さんの手によって世に生まれ
た物です。

その様子は開発段階から南さんのブログで知っていましたが、あの試作が光をえ
て世に問うた瞬間非常に大きな反響を呼びました。様々な新聞雑誌で取り上げら
れたわけです。

「光る手洗器」というブランドを作りかつ普及させるために小型でシンプルなバ
リエーションを企画された段階でわたしにその役割をふってくれました。
つまり「お鉢が回って来た(まわしていただいた)」わけです。

ただの円筒ですが、光ると俄然「別物」です。手を洗うという機能に照明器具の
機能が付加されてなんともいえないムーディーな空間が生まれます。インテリア
性が高いというべきでしょうか。

以前南さんをこのブログで紹介した時「ハイブリッド」と彼のデザインの才能を
評しました。

それはグラフィックとプロダクトのハイブリットですが、実はもうひとつの因子
があってそれが建築です。

先だってもTBSの広場で開催されたイベントの展示デザインにも現れています。
(COOL KYOTO開催をご覧下さい)

そういった三つの因子が高いレベルで融合されて南さんのデザインが生まれます。

わたしは南さんの才能を高く評価しています。

それは単に南さんの事だけではありません。私自身が「褒められた」時のうれし
い経験があるからです。

会社に入った年に毎日ID賞のグランプリになりましたが、その時に大学時代の先
生から数ページにわたるお手紙をいただきました。

そこにはその先生が経験した一等と二等は雲泥の差が有り結局は一等に選ばれた
ものしか後世には伝搬しない。と言った事がお褒めの言葉とねぎらいの言葉にそ
えられていました。

そういう嬉しい経験はその後こうやって35年の時を経ても記憶しているものです。

わたしはその行為をつなげなければと思っているのです。

今回光る手洗器に蛍照(けいしょう)と名付けました。古い短歌のタイトルに
「蛍照水草」(ほたる水草を照らす)というのがありますが、わたしが照らし出
したいのは南さんそのものです。

そして教え子さん達にその考えを「継承(けいしょう)」してほしい。


あっ 大事なお知らせを忘れそうでした。
今週の水曜日(そのTBSのテレビ番組「みのもんたの朝ズバッ!」で8時10分か
らの「みの味」のコーナーで「光る手洗器シリーズ」が取り上げられるそうです。

今後の展開が楽しみです。

南さんのブログと「相互紹介」

「デザインは良き事であれ」いい言葉。 あっ、わたしが言った言葉だった。



shoukei.jpg


9:46 AM

November 9, 2011


スーパースタンダードデザイン

今 カトラリーのデザインを手がけています。
まあカトラリーというのが「iPhone」のようにその情報そのものがシークレット
というジャンルではないと思うので、プロジェクトの最中には書いたりしない
「禁」をやぶってしまったわけですが、非常に難しい。

当たり前ですよね。これまでどれだけの数が世の中に生まれているかを考えれば。

しかも「スーパースタンダードデザイン」略して「SSD」を生み出そうと力んで
いるわたしにはさらなる高いハードルを設けてしまったので、さらに困難。

実は「いい線」まで行っていた訳です。「これなら自分でも長く使っていられる」
そういうカタチが出来たと思ってメーカーに見ていただいたら『これはXXXの
シリーズにそっくりなんです。』という返事が来て、ここから完全に固まってしま
いました。

それは海外のもので戦前に生まれて現在も売られているものでまさに「スーパー
スタンダードデザイン」でした。実際に買って使ってみると泣きそうでした。
「使いやすい」おおぶりでどうかなと思った「裏期待」が見事に裏切られました。
ホームラン。

こんなにカレーが華麗にショクセルスプーン見た事が無い。

わたし思いました。実はそのカトラリーシリーズ知りませんでした。知っていた
けれどそんなにすごいと思って見ていなかったというべきでしょうか。

完全に記憶から飛んでいた訳です。

そういうもの という言い方も変ですが、デザインを感じさせないものでありか
つそういうものをずっと作り続けてしかもビジネスとして成立しているわけです。

まさに目指すべき物を見つけた訳です。

まあ「手は止まった」わけですが、そのメーカーの方にこう言いました。
『いやー全然その製品を意識しないで、カトラリーはこういうものだと自分で
考えた物がそんな銘品と似ているなんてすごいですね。わたしのセンスは。』

お後がよろしいようで。

10:36 AM

November 8, 2011


独身デザイン

別段「独身デザイン」があるわけではない。まあ「独身者向けの製品デザイン」
はあるかもしれませんが。

学校を出て、しばらく会社の寮にいたわたしは学生時代よりも多少は自由にな
るお金も出来て本を買いまくった。様々な海外の雑誌を年間購読したりしていた。

今だったら買わない物を色々買った。レコードやオーディオにも出費した。

面白いのは「デザイナーがこのデザインを理解しなかったら誰が理解するんだ。」
という今から考えればなんともへんてこりんな理屈で「使いにくそうな飛んだ
製品」も買っていた事だ。

おしそうに見えないプラスティックの食器。どう考えてもむちゃなカトラリー。

「パーマネントな物」とか「ロングライフ」という概念はあまり無かった。

その後結婚したけれど、しばらくは「ダブルインカムノーキッズ」だったので
独身時代よりもさらに優雅だった。 

まだバブルという時代ではなかったけれど、いつでもみんな「バブル」が嫌い
じゃないだろうと思います。

ちなみに入社した時は不景気のどん底だったけれど個人ベースでそんな風には
捉えていなかった。

さてさてそうこうするうちに待望の赤ちゃんが生まれ、当たり前のように生活が
一変する。

別段子供用品にまみれた訳でもないけれど「使いにくい物への理解」や「ミバの
ために高い製品を買う」という気持ちはどんどんどこかへ行ってしまう。

インカムがひとつになってキッズが出来て独立して。そりゃあね。大変です。

特注の本棚に並んでいたあまたの本はどんどん「過去の集積物」になってほこり
をかぶりはじめました。 まあそこから先は今のままです。

当時は、インターネットも無かったので「今月の購入品」なんてものや「こんな
レストラン行きました」という事を人に告げる事もなかったわけですがネットが
普及してその中に「むかしの自分」が何人も発見するわけです。

『あー独身デザインだー。』正確に言うと「独身者特有の選択眼と購入意欲」と
いう感じでしょうか。そういう人からわたしは20年から30年先をこころならずも
歩いている。

『その先にはきっと塀がありますよ』と思ってみていた訳です。でもどうしようも
ないし「独身デザイン」は経験しておいた方が「デザインへの理解が深まる」と
思いますから。

7:07 PM

November 8, 2011


余裕

以前だとこういう写真を良く載せていました。
写真を載せるだけだと思われるでしょうが、結構「気を使うもの」です。

正直今は、こういう写真を載せる余裕がない。でも写真はなにか「語っている」
改めてそう思いました。

円筒群.jpg


4:55 PM

November 8, 2011


tsutsu箱.jpg

4:49 PM

November 6, 2011


意味

「意味」というのはなかなか判りにくい。

わたしがいろんな学校で講演をするようになってその学校の掲示板やカリキュラ
ムを見るとほんとにすごい人たちが学校に講演にこられている事に驚く。

とても贅沢の一言だが、たぶん学生時代にはその事のもつ「意味」というのは
実感出来ないだろうと思う。

なにせ私自身がそうだったし、とにかく学校に行くという事自体に意義を感じて
いたわたしはまだしも、「今日はあの人か」なんて言う風に相手によって出たり
出なかったりする人もいるし、もともと少ない学生数にあって、とんでもない
少人数でその「贅沢」を味わう事も少なくなかった。

とにかくその時には「意味がわからない」わけです。

そういう自分の経験もあるので、わたしは講演先の出席者が多かろうが少なかろ
うが気にしない。

どうしてそういう有名な人達が学校に行くかと言えば、自身が過去に先輩達から
教わったという思いがあってそれを少しでも世の中に「お返ししたい」という
思いがあるからだ。

まあ最初は「学校に呼ばれる事自体」に名誉やプライドのくすぐりを感じている
けれど10回20回はそんな主だけで続くものではない。

先日の川上元美さんの展覧会のオープニングで東京芸大の同級生である松永真さ
んが「いい事」を言われていた。

当時は学校の方針でグラフィックデザインやプロダクトデザインを目指す人も工
芸の授業を受けたそうだ。そのとき関係ないだろうと思った彫金や漆細工もその
後めぐりめぐって自分のデザインに影響をしている。そしてなにより人間国宝や
名人が唾が飛んでくるような距離で一生懸命伝えようとしているその人の様や意
気込みを同じ場所と同じ空間で感じられた事が貴重な体験だと。

その人達の偉大さは後になって判る。判った時には遅いのかもしれないけれど
その「無念さ」「後悔」が後の人達にはちゃんと伝えたいという気持ちに繋がる。


6:23 PM

November 6, 2011


文化

昨日は、デザインタイドに出展されているカロデザインの山口さんをお誘いして
お昼ご飯とその後のお茶をつき合ってもらった。

山口さんとお話しするようになったきっかけは昨年の暮れに開催した萩原修さん
とわたしの対談に参加してくださって、会の後に一言二言交わす中で「感じるも
の」があって今年は小林幹也さんの経営する「タイヨウノシタ」で対談(鼎談)
をさせていただいた。

その対談の前に打ち合わせをかねて中央線のある駅で食事をした。

わたしも昔は何度か足を運んだその駅は、なにか山口さんと食事するのはいい場
所に思えたからだ。

「案の定」とても気持ちがいい。学生時代に同じ下宿にいた学校の先輩と後輩が
以前住んでいたアパートの「現状」を20年ぶりに見に行った。そんな風情だった。

食事をした後喫茶店を探しながら歩いていたらまさしく1970年代を彷彿とする世
界だった。わたしは探し当てた喫茶店で流れる古いテレビの古いドキュメンタリ
ー番組を眺めながら『このらくちんさは危険だ。危ない。あんまり近寄らない方
がいい。』そう言った。

そこで展開されている世界と時間は「なにもデザインしたモノが世間に出て行く
前の野心はあれどなんのチカラもない学生が気持ちいい空間」だった。

自分が結婚もしていない子供もいない「自分の都合で全てが決められる」時にト
リップしてしまう。さらに言えばデザインなんていらないような気になってしま
う。

結局その街にいたのは2時間ちょっとだったと思う。
家族でそこに行っていたらそうはならないそこには行かない。そう思った。

発展を拒んだ世界ではデザインはいらない。自分とは関係のない時間と世界に生
まれたデザインは「受け入れられる」というか「すでに生まれたモノは肯定」す
るが、自分が関与出来る時間に生まれた新しいモノは否定する。そういう気持ち
が「その空間と世界」によって成立する。

わたしは「居心地の悪い」ところにいなくてはいけない。居心地の悪さを良きも
のに変える意欲の生まれる素敵でちょっと不安なところに身を置いていなくては
いけない。


11:23 AM

November 4, 2011


ポストデザイン家電

EP2近影.jpg


UCCエコポッドEP2が売れている。
発売して一ヶ月ほどだが,オーダーに生産が追いつかない状態が続いているそうだ。
ひょとしたらわたしがこれまでに関わった中でもっとも販売台数の多い製品になる
かもしれない。

売れるには理由がある。販売価格がだいたい5000円で今はエコポッド10個入りカー
トンが附属されていてポイントのつく大手量販店で購入すると本体の実質購入価格は、
4000円ぐらいという事になる。

「値段が最大のデザインである」
わたしがエキサイトイズムのインタビュー記事でおおきく取り上げられた文言です。

そのインタビューが出る前後からわたしは「デザイン家電」というか生活家電の仕事
をすることが無くなっていた。

trystramsで文具を手がけ、tsutsuという名のステンレス水筒を手がけ、do-nabeと
いう名の土鍋をリリースしn-benchという四万十のヒノキの間伐集成材を使った
ベンチを作り、最近では96'という名のサプリメントのパッケージをした。

わたしはいつも時代の鏡だと思っている。
そういった意味では生活家電を手がけなかったことはそのまま市場の声を反映してい
ると思っている。

デザイン家電は、わたしには過剰な仕上げと色彩だっと思えた。家電というもののも
つ「使い倒される」という使命を果たすにはあまりにも繊細でそれは鑑賞物のように
思えた。

ユーザーに気を使わせるという有り様は不思議だ。わたしが黒い材料を使ったりステ
ンレスを多く使っているのは自分の「アイコン」ではない。

毎日ハードに使われてもびくともしない頑丈さと「きれいに保ちやすい」材質にこだ
わりを時として出来る傷や凹みさえ「愛情」につながるような製品の有り様を模索し
た結果だ。

製品を紹介する記事の多くは箱から出したばかり、通電もしないで美術品のような佇
まいを「愛でる」。

先日大阪へ行った時、駅前の大型量販店「ヨドバシカメラ」に寄った。
かつてはデザイン家電も扱っていたがその姿を見かけなかった。デバイスタイルのワ
インセラーは健在でサーモマグやケトルタイプののコーヒーメーカーが今もかわらず
展示されていてそこに新たにep2の3色が並んでいた。 IHのコーナーにはMAがしっ
かり存在して、さらにいえば値段が発売当初と一切変化していない事だ。

売られ続けているという事実ともう一つ大切なのはディスカウントされているのをネ
ット以外の量販店で見た事がないという事だ。

手がけた製品の多くがお披露目された時に、『もっと高い値段でも売れるのではない
か』と言っていただけた。しかしメーカーもわたしも上げる事は良いとは思わなかっ
た。

逆に言えばそれまで売られている製品にくらべれば高いか同等だった。デザインで売
られているものがその機能と材質を考えると高い値段設定だと思えた。

わたしはデザインというものは、ユーザーに対するサービスでありメーカーを越えて
その製品全体のレベルアップをはかるための気持ちを表現するものだと思っている。

デザインが良いという事はコストを下げ部品を減らすものであってメーカーもユーザ
ーも満足な購入の喜びを提供するものだと思っている。

EP2は「デザイン家電」とは呼ばれないだろう。群でなければ比べるモノが無ければ
総括する名称は生まれない。


5:41 PM

November 3, 2011


0.1mm

スケッチが大事じゃないといいながらまたスケッチを載せているのも変ですがこの
スケッチは今から35年前の学生時代に描いた弥勒菩薩像。

これはロットリングという製図で使っていたペンの補充用「インク」からダイレク
トに紙に描いたものですが、どうしてあんなスポイド状のものからこんな細い線を
紡ぎ出せたのか自分でも不思議であります。 到底今の自分には描けない。
それぐらい大学時代の後半には描写力が高まっていた。自慢話はこれぐらいに。

今、富士通デザインでワークショップをさせていただいています。

その事の詳細はまた別の機会にちゃんとしたいと思うのですが、そこでスケッチ力
の向上と企画構想力とプレゼンテーション技術を伝える事をしています。

会の始めには、コピー用紙に横の線と縦の線を何本も引いてトレーニングをします。

そこで参考の為に自分が昔描いたスケッチを何枚か持参しましたが、その中にこの
絵ではないのですが同じ時期に描いた仏像のスケッチがありました。

よく「石膏デッサン」の重要性を話しますが、そこで描くのはもっぱらギリシャ時
代の彫刻かそのレプリカのローマ時代の大理石像から写した石膏像がほとんどです。

そこには「仏像」はほとんど入っていないのですが、そこには理由がある。推測で
すが。

「難しい」。描くのが。 ギリシャ彫刻は体格もよくまさに筋肉隆々で顔も鼻は高
く目も大きくすべてのパーツが起伏に富んでいる。

他方仏像は顔はつるっとしていて身体もなで肩でこれまたつるっとしている。およ
そドラマは作りにくい。

わたしは学生時代そのギリシャ彫刻から仏像に興味が移っていった。つまり難しい
ものを描いてやろうという野心が芽生えていた。

そういう事はすっかりすっきりわたしの記憶から忘却されていた。

今年に入って2度奈良を訪れる機会を得て東大寺の大仏をはじめ興福寺の国宝館にも
行き数年前に東京で見た阿修羅像にも再会した。

なにかがわたしに働きかけてきた。
プロダクトデザインというものは言ってみれば「ギリシャ彫刻」のようなものだ。
およそすべての「起源」も「方法論」もヨーロッパでありアメリカであるわけです。
だからといって自国の文化を強引に引用するような事はこれまでわたしはしてこな
かったし、これからも多分そのベースは変わらない。

しかし手だてと使い方はあるように思えた訳です。

繊細さ。そう繊細さは重要なデザインのファクターじゃないか。そう思った。

これまでよりも1/10細かくデザインのディティールを掘り下げてみようと思っている
のです。 つまり0.1mmの工夫を。


BUDDA.jpg


6:30 PM

November 2, 2011


デザインにとって重要なのはスケッチではない

WS2037.jpg


まあこんなスケッチをブログに載せたら「スケッチ自慢」としか思われないでし
ょうがわたしが言いたい事は「そういう事」ではありません。
昨日の晩津田沼にある千葉工業大学でスケッチのワークショップを開きました。

一般の方の参加もオッケーという事で総勢60人ほどだったでしょうか。

上と下のクルマのスケッチはその時に描いたものですが、格別上手いという訳で
もありませんが、そこでホワイトボードに貼った全紙サイズの模造紙にそれぞれ
10分ほどで描いたというスピードはちょっと誇ってもいいかもしれません。

ワークショップが終えた後、山崎先生の研究室で懇親会があった時に先生がわた
しにこう言いました。『アキタさん 今日はキモの話をされませんでしたね。』
そうとても鋭い先生であります。

『アキタさんが言いたいのはスケッチは重要じゃないよという事なんだよ。』と
そばにいた学生さん達に解説してくれました。

そうなんですよね。確かにスケッチはうまいに越した事はない。さらに言えばデ
ッサン力は造形力に直結しているし、デザインの「深さ」にも関係してくる。
とは思いますが、それが全てではない。

これくらいの絵がかけたとしても、絵だけだったらこんなにいろんな学校にも呼
んでもらえないでしょう。

そこに集まってくれたわたしと年が近いデザイナーの方や日頃研究所にいらっし
ゃるデザインと関係のない方は津田沼に来てくれなかったでしょう。岡山から来
てくれた学生さんも湘南から駆けつけてくれた後輩もここにはいないでしょう。

山崎先生も言われていましたが、スケッチを大事と言わないわたしが『スケッチ
のトレーニングをしましょうか。』と言い出した事そのものが「新鮮」だったそ
うです。

ちなみにわたしは去年千葉工大での「スケッチワークショップ」での参加者の熱
心さと集中している様子に感動して、その数週間後滋賀県立大学で「スケッチワ
ークショップ」を開きました。そこにも外部の大学からも参加者が来てくれて大
盛況でした。

「すべらない講座」と言っても過言ではないでしょう。絵の苦手な人にとって
「絵が上手い」というのは魔法のようなものです。ピアノをひけないわたしがピ
アニストの指先に魅了されるようなものです。

わたしは昨年の滋賀県立大学で久々にクルマの絵を描いて「これは伝わりやすい
テーマ」と思って今回もクルマを描きました。 わたしはクルマの絵を描く事は
「まったく」なくてひさしぶりに描いてまたその一年後の昨日まで一枚のクルマ
の絵も描いてません。

嫌み? そんなつもりはありません。クルマも建築も携帯もコーヒーメーカーも
「等価」でありなにかを描いていれば描けるものです。

つまり「目」と「手」がいかに連動するかがポイントであり、描く対象のどこに
特長があってどういう縦横比なのかが読み解けるようになるのが「スケッチのキ
モ」です。

わたしがこういうスケッチをずっと描いていたらtrystramsの四角い箱も「tsutsu」
も「do-nabe」もも「あんなシンプルなカタチ」にはなりません。

それらのものは「絵が上手くかけないモノ」ばかりであり「スケッチとして面白
い変化もコントラスト」もそこにはありません。
「絵ではかけない美しさ」です。

その昔オーディオの製品に美しい製品群がありました。わたしはそのシンプルで
平面的で「起伏の無い」いわゆる「スケッチだと面白みに欠ける」デザインがど
うして社内の「会議の場で承認」されるのか不思議でしょうがありませんでした。

今にしてみればとても「勘違い」をわたしはしていたと思います。絵が面白い事
と製品になった時に「面白い」という間にはおおきな隔たりがあるのです。今ス
ケッチを描く事無くデザインが作られるのことが多くなって「スケッチが珍しい」
のかもしれませんが、別段手描きの昔に戻る必要はありません。
造形の選択肢が増えたのです。


WS1203.jpg


9:32 AM

October 23, 2011


学び

jdn.jpg


先日、名古屋学芸大学で特別講義をさせていただきました。

学校にはわたしの出身校で恩師であった河村学科長がいらして今回ご縁をいただ
いた次第です。

わたしの話を学生の方々も熱心に話に耳を傾けてくださっていましたが、それ以
上に熱心で集中してお話を聞いていて下さっていたのは出席して下さった6人ほど
の学校で教鞭をとられている先生方ではなかったかと思います。

多くの教える側の方に公聴していただけたのはとてもしあわせな事だと思います
が言って見ればわたしも58歳ですから、若い先生と学生さんの年齢差よりも先生
とわたしの年齢差の方がおおきいという事実がそこにはあります。

たぶんわたしの話の多くは社会に出てみないと「わからない」。
そうなんだろうなあと思う事は出来てもそれは「絵空事」であり概念であり本の
中の話とそう変わらない。

それゆえに学生時代に出来る事をお話するようにはしていますが、やっぱり話の
核は「そう思ってそうしたけれど、そう上手くはいかなかった」という経験によ
って聞いた話はがぜん輝くものだと思います。

話は変わりますが、メーカーのインハウスデザイナーを対象にワークショップを
現在させていただいています。

コンセプト作りからプレゼンテーションまで関わっていますが、同時にスケッチ
のトレーニングも織り込んでいます。というか一番大事なのはワークショップ後
もスケッチをする「くせ」を日々の仕事に組み込んでもらう事なのかもしれませ
ん。

考えてみるとわたしが最初に専門学校で受け持った授業が「スケッチ」でありそ
の翌年が「プレゼンテーション」だった事を思い出しました。

わたしはプレゼンテーションをここではあまりおすすめしてきませんでした。
それは例えると趣味やスポーツ自体が素晴らしくても解釈の違う人達によって本
来の目的から違う世界に変容してしまうようにプレゼもまた「勝ち抜くため」と
品も節操もないタイトルを見る度に「人との差はつけるものではなくてつくもの
だそれでつかない差ははじめから大した事がない」そう思う訳で、プレゼンテー
ションを語る気がうせていました。

先日そのワークショップで『どういうプレゼンテーションをしていたか』そうい
った質問に対して答えたのが、今日たまたま目にしたこのキャノンのプリンター
のプレゼンテーションでした。

1990年という事は独立して2年経った頃ですが、ポストモダンの後アメリカのクラ
ンブリックというデザイン系の大学院大学から起きた「セマンティック」というデ
ザイントレンドがあって「カタチの意義」というか例えばパーソナルコンピュータ
ーのようにこれといったメカニズムが無く集積が進んで内容物と外観に直接関係
を結びつきにくくなった中で「その器械の働きを形状におきかえよう」という意味
だとわたしはセマンティックを解釈していました。

そのことによって実は「プレゼンテーション」が需要な部分を占めるようになった
わけです。つまり「見ただけではどうしてそうなったかが解釈出来ない(別段かっ
こわるくなくても)」わけです。

そのきっかけから「結末(カタチ)」までをたのしく(?)説明する為に手を尽く
しました。

そういうプレゼンテーションに「気合い」が入っていた時代の作品の一つがこの
「ピラミッド」です。

この「ピラミッド」のデザインコンセプトは実は「噴水」です。情報が湧き出るよ
うにこのプリンターから生まれてくる。(印刷されてくる)そういうコンセプト。

噴水には吹き上がるタイプもあれば滝のように静かに水が落ちるタイプもあります。
(こういうことを調べる訳です)

そこで「引用」してきたのが、ルイス・カーンの有名な建築「ソーン研究所」のア
プローチにある「噴水(泉)」です。

大理石をうがった切り口から水が落ちている写真。

そこからなぜかいっきにインカのピラミッドに話が「飛躍」してこのカタチにたど
りつきました。(そんなインディアナジョーンズみたいな飛躍の理由は忘れました)

なにがいいかといえば「噴水」もわたしが勝手な「妄想」の産物ですから、結果
ピラミッドになってもだれもわたしを「叱れない」。

わたしは「仕事を楽しむ」というのはこういう事ではないかと思うんですね。
ある製品があって自由気ままにアイディアの羽根を広げてどこまでもいってしまう。
しかしダメだと思えばいつでも全部捨てて「目の前の物体を美しくする事自体に戻
ってくる」その振幅の中に哲学もカタチの滋味も生まれるんじゃないかと思います。

学びは自由です。

9:49 AM