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March 31, 2010
しあわせの現場


先日来「tsutsu」については何度かふれていて、そういう記事の事を読む人
は、製品を売る為の「初期キャンペーン」と捉えられているでしょうね。
かく言うわたしもこの製品の当事者でなければたぶんそう思って読みますから
しょうがない。
別に自分のサイトで自分の仕事をアピールするのは「わるく」はないわけです
から当然ですが、なにを危惧するかというとそうそうに「飽きられちゃう」と
いう危険をはらんでいる訳です。
そういうのをなんとかしたいなあと思い、これは初期も中期も後期も無くずっ
と言い続けるだろうと思う訳です。
なぜそう書くかというと、「tsutsu」をみた人の反応がとにかく熱い。
言葉いらずというのでしょうか、びっくりします。
そう思っていたら二枚のすてきな写真が届きました。
公園で一息ついているかわいいMくんを送ってくれた横田さん。 そして奥様
がつかっている情景を撮っておくってくださった加藤さん。
偶然にもどちらもキャップをはずして実際に使われている様子が伝わる写真
だったのが、この製品をよく物語ってくれています。
置物じゃない。使うもの。そういうメッセージを感じます。
わたしはそのキャップを見ながらこれは「持ち運べる80mm」だと思いまし
た。
80mmは径が大きく重くて落とすと割れますから、外では使わない。
このtsutsuは「だれでも使えるどこでも使える度合い」がとても高い。
自分のデザインが広がるのを感じました。 信号機と80mmを結ぶ線上に
このtsutsuが生まれた事を自分が気づきました。
それにしてもふたりとも写真がうまいですね。
12:24 PM
March 30, 2010
新-大阪
ぼくは最近の大阪が好きです。
『パリの街は誰のことも愛してはいない。そう感じた瞬間からぼくはパリが好
きになった。』そう数年前に訪れたパリに行った感想を書きました。
だれかが殊更街に愛されているんじゃないか、そう思っていると、そこに違和
感を覚える。別段自分が切符を買う時に窓口のおじさんが愛想が悪かろうが道
を聞いても答えてくれない経験をしようが、そのことと街自体の印象は切り離
される。
大阪という街も「だれかが特別に愛されているんじゃないか」そういうニュア
ンスをもっている場所だと思います。
ぼくは大阪のほぼ中心に生まれてちょっと中心からはなれた大阪でずっと育っ
たけれど大阪が人情熱くて「こてこて」な場所だとは思っていなかった。
最近たてつづけに大阪の繁華街である北新地に行きましたが、そういう場所に
あっても、東京でも行くだろうお店を選んで入って行きます。
別段「地域性」というものは期待しない。若い頃大阪に住んでいる時でもそう
いう場所ばかり選んでいたことを思い出しました。
ぼくはこういう感覚はデザインの世界にもあるように思っています。
だれかしらないけれど勝手に作り上げた世界に自分がいなければ「寂しい思い
をする」という、だれの性でもない思い込みです。
大阪的という的はどこにもない。 デザイン的という的はどこにもない。
別段大阪は「だれのこともかまってくれてはいない」。

11:44 PM
March 28, 2010
現場力

今日は加藤さんと新宿で待ち合わせをして伊勢丹へ。
3月24日(水)~4月6日(火)まで、本館5階和食器コーナーでSUSギャリーフェアを
開催中で、これまでもSUSギャラリーのオリジナル商品であるチタンタンブラー
が好評という事で再度フェアが開かれたのですが、そこに今回あらたに「tsutsu」
三兄弟が加わりました。
「tsutsu」も好評のようで、最初に入れた分はすべて売れて追加された分が、
あらたに並んでいるそうです。
まだどこにも紹介が載っている訳ではないのですが、現場力とでもいうので
しょうか、展示されているだけでどんどん売れるチカラを持っている気がしま
す。
みんながほしかったけれど意外に見当たらなかった「それ」が、この製品には
あるようです。 デザイナーモノという範疇を越えて広がって行くのではない
かと思います。

伊勢丹の後、小田急線参宮橋にあるギャラリー「tray」で一日カフェを開かれ
ている横田さんの「Afterhours」へ。
前回衝撃をうけた「カフェオレ」を飲みながらプリンをいただく。
この空間と横田さん夫婦の醸し出す空気がほんとにぴったし。ちょうど取材に
こられていた雑誌社のカメラマンの人とまじってふたりの写真を撮りましたが
ちょっとそれはやめておいてお店の外観。
空気と言えば、コーヒーカップに使っていただいている80mmもよくその場に
似合っています。
忘れるところでした。横田さんさっそく「tsutsu」を購入してくださったそう
です。奥様が使っていただいているそうです。
しあわせの現場。
06:26 PM
March 27, 2010
思考の庭

写真のtrystrams「INTED」の金属で出来た試作品を見せていただいたとき、
わたしは自然にその試作品をいろんなかっこうに並べて遊んでいました。
事務所で紙で作った試作品はすでにあったのですが、その時は別段いろんな組
み合わせをしてみるというよりは、行儀よくかっちりとかたまりを見るだけで
したが、外観は同じでもその個々がずっじりとした重さを持つと俄然興味が
「いろいろな組み合わせ」に向かいました。
まったく無意識といってもいいぐらいに『こうやってこうやって』と手が動
く。それを見て『おーこうなるのか。』という感じ。頭で想像するよりも多く
の組み合わせを手が勝手に生み出してくれます。
まるで幼児が積み木を渡された様です。
黒くてシャープなブロックは現代建築のようです。そういえばフランクロイド
ライトは、子供の頃フレーベルの積み木で遊んでいたという話を思い出しまし
た。
「INTED」は整然と机の上に並べるのもいいですが、仕事に疲れた時やアイ
ディアに困った時は、いろいろいじってしばし童心に帰って、リフレッシュす
る作用もあるかと思います。
11:27 AM
March 26, 2010
みんなみている
みんな見ている。そういうつもりで日々をすごしております。
ちょっと前には「見られる自分を意識する」そういう話を学校の講演でお話を
したりしていましたが、それは「気持ちの持ちよう」という次元で話していた
のですが、今はそういう段階をこえて「見ている」という確かな感覚でありま
す。
なにせ「人が見ている」という以上に、自分が「人を見ている」からに他なり
ません。
別段自分が見る人が特徴的だったり「オーラ」が出ているから見る訳ではあり
ません。まったくふつうの人でもわたしは見ている。
今がどういう時代なのか。そういう流動的なものと「時代に影響されない」そ
ういう固定的なものの間にデザインはある。
なぜ「みんなが自分を見ている」と感じたかを言うのは難しいですが、会社時
代の後輩の仕事ぶりや教え子さんたちの生き様にわたしは影響をしていると
感じたからかもしれません。
わたしがデザインでしている事は表現であり意思表示であったりします。
デザインをする前から「それはどうあるべきか」を言語化していたりします。
有言実行でも無言実行とも違います。有意実現でしょうか。意思が在りそれを
リアライズする。
わたしが残して来た事は、「意思」だと思っています。そこには時代との対峙
と時代との折り合いと、そしてそれを突き抜けた一本の筋があります。
けっしてしなやかではありません。かくかくしかじか。
影響を受けていると感じてもなにもわたしのデザインに似ているわけではあり
ません。それぞれの人たちが「自分らしいデザイン」であるものを作っている
時にそう感じるのです。
『いろいろ諸般事情があるけれど、やっぱり責任を持てるのはこれしかな
い。』そう判断した決意のようなものをそこから受け取った時に、自分がデザ
インしているモノ達から感じ取ってくれたんだなあ。と感慨にふけるのです。
意思が伝わるのは、かたちではないし、声でもない。 ましてやネットで盛り
上がっているとかイベントに多くの人が集まったからでもない。
みんな知っているし、みんな見ている。 わたし自身「行かないイベント」
「買わない製品」「読まない話」からもちゃんとメッセージを感じ取っている
から。 しみじみとした影響はもったいなくて言葉にできない。
08:15 PM
容器としての自分
まだ向かいの席が見渡せるような冬場の朝早い電車に乗ると「わたしに似た
人」がいる。
野球帽をかぶって黒いダウンジャケットを着て、ジーンズをはいて、運動靴。
先日もそういう場面に遭遇しましたが、「わたしに似た人」がなんとまわりに
4人もいた。
野球帽からは白髪がちらほら。年齢的にも60歳ぐらいなのかな。そんなかっ
こうで早朝の電車に乗っている訳ですからどうもサラリーマンじゃない。さりと
て「悠々自適」とも思えない。
まあこの年代の合理的な服装がそこに「いきついた」のかと思います。
「容器としての自分」という言葉を思いつきました。 せめて中身には「熱い気
持ち」が入っているように心がけよう。
10:53 AM
March 25, 2010
つつうらうら

先日紹介した青山のセレクトショップ「Rin」ですが、tsutsuが大変好評だと
いう話を聞きました。
明日からは、新宿伊勢丹の催事場でにもtsutsuが登場するそうです。(並ぶの
は夕方になるそうです。ねんのため)
SUSギャラリーにも、問い合わせが多いと聞きました。
かたちのお話しかしていませんでしたが、tsutsuはステンレス魔法瓶として
は、唯一の国内生産品だと言う事です。
なんだかとてもふしぎな縁を感じるのですが、工場がPrimarioと同じ新潟の
燕市にあります。
わたしは、殊更地場産業をどうこうしようというつもりで考えてはいないので
すが、結果的には、その場所で長年培われた高い技術で世界に通じるものつく
りを出来る場所が、九州であったり新潟であったりするのです。
作り手の得意の発見、みんなが欲しいモノの観察、その双方向に開かれた製品
デザインでしょうか。
余談ですが、燕三条までは、渋谷の事務所を出て2時間後には駅に到着するぐ
らいに近いんです。
07:12 PM
March 24, 2010
天賦の才
キーロン・ウィリアムソン。イギリスに住む現在7歳の少年の名前です。
水彩画がとにかく素晴らしい。
そういえば先日読んだ雑誌で小学3年生で微積分を理解し数学オリンピックに
連続出場した青年の話が載っていましたし、アメリカの高校生で将来(といって
も今年のドラフトにエントリーされるかもしれないそうですが)大リーグで
スーパースター
間違いなしの野球選手の事も知りました。
12歳の時に出場したトーナメントで「12打数12安打11ホーマー」という
成績を残していたそうです。 括弧笑いと書きたいぐらい。
この三人の話は痛快ですね。
わたしはちょうど今ブックレビューで小中学生のために書かれた社会学の本を
紹介しようと思って書いていますが、なにかその話とも符丁があうんです。
つまり「そういう人(こども)ばかりではないけれどそういう人も存在する
という前提で話をしなくてはいけないかなと。覚悟ですね。
11:01 AM
March 23, 2010
多様のはじまり
というのもユニクロのジーンズブランド「UJ」が好きだから。
あのロゴはとても「端的」です。 自分が標榜している「圧倒的に外観が端的
であること」と表現が違えど一致していると思ったからです。
Tシャツブロンド「UT」では見えなかったものが見えて来たように感じました。
佐藤さんの話をするのは、ある時期「ベートーベンの運命が好きです。」とい
うのに近かった。 ちょっとポピュラーすぎて恥ずかしいみたいな。
佐藤さんにしろ深澤さんの話にしろ、今から5・6年ぐらい前は、あまりにも
多くの雑誌に紹介されてしまって実体というか本人達の思いが見えにくくなっ
ていました。見えすぎると見えなくなる。
どちらもほんもののチカラがあるけですから今から「見て」も遅くはないだろ
うとわたしは思っているわけです。
佐藤さんの仕事で時間が経てば立つ程すごいと思うのが「TSUTAYAカード」
通称「Tカード」。
Tというよりはふたつの四角いかたちによってくりぬかれた「T」の文字は
つくづく「発見」だなあと思います。
ちょっとサイトを見ていて気がついたのが、上に紹介した旧「ダイワ精工」
現在のグローブライド
のフィッシング用品ブランド「DAIWA」です。
このステンシル型のロゴはかつて見た事があるとか、「視認性がどうか」
なんていう事を思いそうですが、そんなことは佐藤さん自身が「おりこみ
ずみ」だろうと察します。「確信的にそうしてる」わけです。
というのもこの写真でもわかりますが、製品に掲載された時の効果がおおきい。
釣り竿という製品の特徴からこのロゴが生まれていて、製品に載せる際に
苦労するロゴではない。
釣り場で着用する防水服などを見ると相当にこの「ステンシル」は有効です。
柄に見えるわけです。
展示ブースのデザインなどを見ただけでなんだかこちらのテンションが上がる
のを感じます。 アグレッシブです。
端的であってもシンプルではない訳です。
わたしはこの仕事をおもしろいと思うとともにうれしいわけです。なぜなら
デザインが多様になって、わたしのシンプルも「好みのひとつのかたち」に
映ると思うからです。
07:06 PM
「こどもはいいなプロジェクト」のはなし

先日タイトルだけ載せてそこから先を書かなかったのですが、ちょっとどう書
けばいいのか迷ったのであります。
「こどもはいいなプロジェクト」。
その内容の説明をする前に書いておきたいのは、このプロジェクトはボラン
ディア活動とわたしは思っていない事です。
ちゃんと利益を生む「いい企画」であると共通の理解をもってすすめられるも
のにしたい。
わたしが『いい事しちゃってるなあ。』と自己陶酔するための道具ではないの
です。まあそういう側面も無くはないですが。陶酔するならまたそういうのは
別のかたちでしたいと思っています。
善行はちょっとこわい。
人は「良い事してるな」と思うと、そういう事に反対な人の事をどうもよろし
くは思わなくなりがちです。 傍目に見ていると良い事にそうでない感情が
くっついてきてしまう。それは本末転倒なわけです。
ゆえに「抜けている」というか「つっこむみどころ」のあるぐらいがちょうど
いい。
つっこみどころは「利益を生む」あたりではないかと。そういう事を先に言っ
ておきたいわけです。
さりとて利益ばかりを追求していては、それもよろしくはないだろうと思う
わけです。
先日のタイトルにおおきな一文を加えました。「つかえるものを作ります」
これは大事なコンセプトです。
善意のかたまりが、数ヶ月後には「いらないもの」に風化してはなんにも
ならない。
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わたしは大学の卒業制作で「小学生の為の椅子と机」をデザインしました。
そのテーマを選んだのにはある事が影響していました。
卒業制作をどういうものにするかを考えていたとき図書館にあった海外の
デザイン雑誌にフランス政府(だったと思うのですが)が、学校で使われる
椅子と机のコンペを開催しその入選作が掲載されていました。
たぶん今見ても「しゃれた」デザインと思える作品が並んでいたように思いま
す。
実際にそれが製品化されたかどうかまでは調べていませんが、なにより国がそ
ういうこどもたちの使うものに「デザイン」を導入しようとする「心構え」が
すばらしいと思いました。
そして自分でどういうものが考えられるか試したいと思って卒業制作のテーマ
に選んだわけです。
まず実際の小学校へ行って「現状リサーチ」をしました。
当時、教師として入ったばかりの高校時代の同級生の学校を訪問しましたが
千里ニュータウンにある出来たばかりのその小学校は「オープンスペース」で
何学級かが仕切りひとつで同時に授業をしていましたが、その生徒たちの元気
さが印象的でした。また別の学校は従来の鉄筋コンクリートで太い柱にかこま
れていて採光も十分とはいえず、個々の生徒が元気でも全体ではなんとなく
沈んでしまう事を感じたりしました。
つまり「椅子や机」だけでなく学校自体もデザインされていなくてはと感じた
わけです。
リサーチでわかった事は、高学年になると背の高さにおおきな差が出来て、
机(もちろん椅子も)サイズがまちまちになること。 グループ学習をすると
机の高さが合っていない事がはなはだしい事がわかりました。
そこから机や椅子の高さが容易に変えられるデザインが生まれました。
また地元の教育委員会にいってどういう基準で、小学校の椅子や机が選ばれる
のか聞きに行きました。
『値段ですね。』 そう言われました。
もちろん当時はがっかりするわけです。そういう話は。
しかしその経験は、今の自分にとても役に立っています。
信号機をデザインするときに「同じ値段でちょっとデザインもいいものを」
と言ったり「総務マター(総務の方が決める事という意味でしょうか)は
数字で良さが伝わらなくてはいけない」と話したりするのは、その時の事が
大きく影響しています。
わたしはそういう事は「時代の変化はそうない」と思っていますから。
つまり「リアルデザイン」です。 センスを相手に依存しない事です。
プロなんだったら「同じ条件」でより良いもの、さらにいえば安くて良いもの
を生み出さないといけないと思っています。
「値段で決めています」というのは逆に考えれば「フェアー」です。
値段で勝負できれば「いいデザインが学校に入る」わけですから。
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「こどもはいいな」と思ったのは、この数年わたしのまわりでちょっとした
ベビーブームが起きました。
そのあかちゃんが小学校に入る頃、すてきな学校だったらいいなあと。
あかちゃんがいない人も、そういう「すてき」があるならほしくなる。
そんな空気をつくりたいと思ったのです。
12:05 PM
March 22, 2010
ナガワサ文具センター
神戸にある老舗文具店「ナガワサ文具センター」は、わたしにとって大切な
思い出の場所でもあります。
わたしが高校生ぐらいの時から神戸(三宮)に行く度に立ち寄っていたお店な
のです。 三宮の高架下のアーゲート街や、ナガワサ文具のちかくにある「ミッ
チャン」という輸入雑貨のお店を覗いては「海外」を感じていました。
昨年の暮れ、trystramsの企画の方々とともにそのナガサワ文具店センターを
訪問させていただく機会があったのですが、わたしは感慨一入でした。
こうやってネットに掲載されていて、使われている写真は実際にお店の方が工夫
されているのを見るととてもうれしいわけです。
ここにはわたしの青春も載っています。
11:47 AM
March 19, 2010
tsutsuという名の水筒

tsutsuの写真を撮ってきました。
凛とした佇まいをしています。
それからお知らせですが、北青山にあるセレクトショップ「Rin」ですでに
販売を開始しています。 最初にお目見えしたお店の名前が「Rin(りん)」
というのもなんだかふしぎな一致を感じます。
04:13 PM
March 18, 2010
陰翳

昨日の勉強会で横田さんがサイトに載せてくださっているこの写真が話題にな
りました。
話がここからはじまったという方が正確な表現でしょうか。
この直径と高さが同じ寸法でできた円筒形の物体。
そこに光が差し込むと円筒に表情が出る。 その光が変化すればそのものの
佇まいが変化して見える。
わたしはかつて「うつろうデザイン」と表現しました。
ここにはそのひとつの実際が在る。
カタチでは在るけれどそのかたちはまわりを映す為の反射板でもあるわけです。
主体と周辺。しかしあるときその関係は反転する。
それこそがうつろう(移ろう)カタチ。
07:09 PM

11:34 AM
勉強会の翌日
昨晩、予定通り六本木にあるAXISにショールームを構える「ウィルクハーン
ジャパン」で勉強会を開催しました。
「参加された方々はしあわせだ。」
あまりこうい表現はこれまでしてきませんでしたが、わたしは話の中盤から
ずっとそう思いながらその場にいれることを話す側から思っていました。
米田さんが壁を作っている間に、わたしは床を作っている。 米田さんが天井
を作り始めると今度はわたしは庭の整えをしている。 そういう作業を加藤さ
んが見守りながらその案配をする。
そんな「家」を作るような会話でした。 一緒の作業や話題に頓着しない。
一見脈絡が内容で、2時間で「すてきな家」があっというまに参加している方
々の前に出現したような瞬間でした。
こんなダイナミックなトークショーのあり方があったのか。そういう感慨が
ありました。
『やさしいだけではだめだ』『小さくなる事で広がる』『パースペクティブが
無い事のおもしろさ』きりがないですね。
根底に在るのは日本にいること。そこから生まれる「我慢という名の哲学
の豊かさ」そういう事ではなかったかと。
「そこにいたわたしはしあわせだった。」
場を与えてくださったウィルクハーンジャパン様 ありがとうございました。
11:05 AM
選定式

今日はお伝えしたい事がいろいろあるのですが、わけても大切なお話から。
先日、田町にある芝浦工大でJIDAデザインミュージアムNo.11の授賞式と展
示会が開かれました。
写真は選定書授与の様子です。式には信号電材株式会社糸永社長をはじめ設計
と試作に関わった大城さん、遠藤さんそしてわたしも列席しました。
会場が教室だったという事もあるのですが、授与式というか卒業式のようにも
思えます。
卒業はしませんが、わたしとしてもひとつの役割を果たしたという気持ちがこ
みあげてきました。
信号機がデザインについて語られる事もなければ、ましてやデザインがこう
やって選定されるということも画期的な事です。 おおげさではなく日本のプ
ロダクトデザインの新しい1ページを開いたと捉えています。
わたしは公共器機というジャンルにもこうやってスポットライトがあたって
そのことを良くする事が、社会全体のデザインを向上させる一歩だということ
をひとりでも多くの人、多くのデザイナーや将来デザイナーを目指す学生さん
にしってもらえればと思っています。
10:31 AM
March 17, 2010
受け止めよう
「失態は成功につきもの」
「失敗は成功の元」というけれど、失敗は失敗の元でもあるし、成功は成功の
元でもあるわけです。
できるだけ失敗はしたくない。そうならないように務めるべきだと思います。
「そうならないように」という配慮がなぜか失態を生む。
思うに昨年の春にイベントをしようと思ったところから失態続きだなあと。
それは日頃していない事をするわけですから当然といえば当然の事です。
ルーティンであれば起きない事も起きる。
失態は成功の尾ひれですね。受け止めよう。
プロダクトデザイナーとしてしてはいけないのは、自分自身は失態しないよう
に事にあたって、その結果使う人に失態を「受け渡す」事だと思います。
10:34 AM
勉強会
今日は勉強会です。
米田さん、加藤さん、そしてわたしも楽しみにしております。
尚、定員に達しておりますが、若干名であれば参加していただけると思います。
直接会場におこしください。

10:13 AM
March 16, 2010
足らない自分を意識しつつ
「哲学書の多くは哲学書について書かれた解説書である。」ある哲学書にそう
書かれていました。
昨日、渋谷のおおきな書店で店員さんにこう聞きました。『哲学書のコーナー
はどこですか?』 けっこう勇気がいります。
というか50年をすぎた人生の中でそういうことを人に聞いたのははじめてか
もしれません。
哲学書というのはふしぎなもので日常の中では「タブー」に近いものがある。
それを口にしてはいけない。 それについてはできるだけさりげなく忍び寄る
ように語らなくてはいけない。
その一方で、「あるレベル」を越えると、とても簡単に話される。というかそ
こを前提に話が進められると言って良いくらいに「日常化」している。
タブーであり「踏み石」でもあるわけです。
おもしろいのは、だれがその踏み石やタブーを乗り越えるかと言えば中学生
だったり高校生だったり例外的に小学生だったりするわけです。
なぜそうなるかといえば自分の知力を「しめす」手だてが彼らにはないわけ
です。
試験問題というのは理解力を計る手だてですが、100点を超えるともうそこか
ら先の能力を見せる方法が見当たりません。
そういう「そこから先」にあるのは難解な本になる。
わたしの中学時代にもそういう人がいて『この本質を知りたいから原本を読み
たいそのためにドイツ語を勉強したい。』なんて話していました。
本来は「おとな」のために書かれた(?)哲学書が「背伸びしたい少年の脚
立」になっているのが実情ではないでしょうか。
哲学書はなぜ難しいのか?
理由は二つあります。 まずは言い回しが「難しい」。哲学は先日の外山先生
の本でいうところの「メタ化」が究極まですすんだ状態ですから、ものごとを
「その言葉」でできるだけ多くの事柄に通ずる公式を見いだそうとしています
し「抽象化」「結晶化」の先にあるものですが、そう容易にほどけるものでは
ありません。
ふつう考える難しさはここにあると思うのですが、実はもうひとつの事の方が
難しくしているポイントなのです。
それは「本の中にいっぱい本があること」です。
ある事柄を証明する為に『あの本にはこう書かれている』『また別の本では
こう解釈されている』という事がどんどんでてきて、その一行を理解するため
に何冊ものまた難しい本をあらかじめかぶつかった時に読まなければいけない
わけです。
難しいというか難儀です。
俗なわたしは「本を難解にしたいが為に前人のいい文章をはめ込んでいる」
というぐらいにしかその事を理解(解釈)していませんでしたが、少しわかっ
たのです。
それは「前人への畏敬と敬意」から生まれていると。
つまり勉強(学習)をすればするほど『あ、自分が世の中ではじめてこの事柄
についてうまく説明できる人になれたと思ったら、数百年(数千年)も前に
もっと端的(抽象化)にその事柄を説明されている。』という経験をするわけ
です。
つまり優れた人程「既にそこに在る」という事に気がつくわけです。
そして書かれた文章に「あの本やこの本」が登場してくるわけで、それは「引
用」ではなくて「敬意」の証なのです。
そういう「道順」は読者にはわかりませんからどうしても「難しくならざるを
えない」わけです。
ここで最初に書いた「哲学書の多くは哲学書について書かれた解説書であ
る。」という話に戻る訳ですが、そういう作者の「こころのたどった道」を
説明してくれる「副読本」というか「ガイドブック」があまた生まれるのも
道理な訳です。 「解釈のためのはしご」ですね。
はしごだったり「脚立」だったり「モノ」に帰結するのも面白いですが。
じゃあわたしがなぜ昨日「哲学書コーナー」でまどろんでいたか。
吹き出していただいてもかまわないのですが、わたしが思うにわたしのデザイ
ンは「哲学的」だと思ったからです。
なぜ「哲学的」に思えるのかわかりませんが、今日の分析をもとに考えると
「すでにすぐれたものが在る」という思いでデザインしていること。
そしてその「結晶化」「メタ化」の行き着いた先がミニマルな形状である
こと。つまり「プロポーション」なんです。
以前であれば古代建築や遺跡にその範を求めていたのですが、そういうスタイ
ルの問題ではなくて「言語のプロポーション」にこそ範があるのではないかと
思ったのです。 別に言葉にプロポーションがあるとは思わないですが、抽象
化されていくプロセスを「思考」に求めてみたくなったのです。
哲学が「モノ」に置き換えられないのか。「モノ」が哲学に置き換えられない
のか。
思うにこれは「趣味」なのかもしれません。
『ゴルフ好きです』『スキーが趣味です』と同じように『哲学が趣味です』
という感じ。
別に哲学科の学生じゃないので「落第点」はないだろうと。
昨日、なにを買ったか。
フッサールやフーコーやガタリなど現代哲学の並んだ棚から55歳をすぎて最
初に読む「哲学書」として選んだのが、「小学生・中学生のためにかかれた社
会学の本」。ほんとに同じ棚に並んでいました。
もうひとつ恥ずかしい話をすれば「本の厚み」と「さらっと詠んだところの
内容」と「値段」のコストパフォーマンスを頭の中で案配していたわたしが
そこにいました。
06:52 PM
March 15, 2010
tsutsu

「水筒」の流行を最初に感じたのは、数年前「Re:s」という雑誌dで「水筒
特集」を目にした時でした。
本の特集では、むかしながらの水筒を地方の雑貨店(金物店でしょうか)に
眠っている「デットストック」を探す話が載っていました。
そこから「男子弁当ブーム」やエコの視点から水筒の見直しが起きた。
その中から昔からあった登山用品としての水筒が今時のデザインを身にまとっ
てどんどんセレクトショップに並ぶようになった。
書いていて、わたしはむかしから「水筒」というかジャーを海外に行った時に
見つけては買ってきていたのを思い出しました。
ブームになった登山用の水筒も今から15年ぐらい前に買ったものが種々10個
近くありました。
そういう「水筒の基盤」が自分の中にあったからだと思いますが、加藤孝司
さんに南青山にあるSUSギャラリーにつれてきていただき、そこにある
ステンレス水筒を見た瞬間に「びび」っとなにかがスパークしました。
ステンレスを使った製品がおおいわたしですが、さらに多いのは「円筒形」の
プロダクトです。
trystramsのボールペンのような「水筒」はどうだろうか。そう思ったわけで
す。
最初にうかがった時は昨年の夏だったと思いますが、そこからしばらく「発
酵」の時期を経て昨年の暮れぐらいから製品化がはかられ、来月の中旬に
発売される「通販生活夏号」でお目見えします。
名前もそのまま「tsutsu(筒)」。
サイズは200ml、270ml、360mlの三種類。 もうすこしお待ちください。
08:37 PM
小さいほどいいんだぞ
ほぼ日に連載中の吉本隆明さんのお話には、つまされることが多い。
「ぼうず、お墓っていうのは小さいほどいいんだぞ」
泣けてきます。
わたし自身お世話になった可愛がっていただいた「大人」がどんどん鬼籍に
入られて、人生ってなんのかを考えます。
わたしはそんなに素直に「人の言う事」を聞く方ではありません。
人の言う事に影響されるのに、言う事は聞かない。最悪ですね。
和さず動ずる。
思うになにが「かっこいいのか」その一点なんだろうなあ。と。
わたしはそのすぐれた先輩たちの残した言葉をずっと考え続けるわけですが
結局のところ残るのは「ことば」なんだろうなあと。
人は大きな家を残したとか、こんなおおきなクルーザーに乗っていたとか。
そういうことを「成果」と思うのかもしれませんが、わたしは手元に別段
「モノ」を残したいと思っていません。
「モノ」はプロダクトとしてみんなの手元に残れば良いと思っています。
わたしは自分のために「デザイン力」というのはほとんど使った事が無い。
(まあ机と棚は作りましたが)
動ずる人が願うのは動かない「モノ」なのです。
02:43 PM
March 13, 2010
ぶつぶつ
以前ここで紹介した内田樹さんの新書「日本辺境論」が新書大賞2010に選ば
れた。 実は次点(2位)になった野中広務さん辛淑玉さんの対談をまとめた
「差別と日本人」もほぼ同時期に読みました。
偶然とはいえ、日頃読書量の少ないわたしが、新書のワンツーをほぼ同時期に
読んでいたのはよろこぶべき偶然というべきでしょう。
そういえば「思考の整理学」も昨年文庫本で一番になり、数年前のベストセ
ラー「鈍感力」も読んでいたり、みんながおもしろいと思うものをたまたま
手に取っているのは面白い。
「みんながおもしろい」と書きましたが、「日本辺境論」「差別と日本人」
どちらもそんな「おもしろい」なんていうスタンスでは読めません。
ベストセラーといっても数年前の「美しい」とか「品格」というタイトルの
本は手に取る事はなかった。 とにかく過去は良かったというスタンスはわた
しは立てないのです。
それでいえば内田さんも野中さんも「過去も辛かった」というか過酷でそれを
表にしないチカラについて書かれているので、この数年で世の中の「空気」が
がらっと変化した事を示しているように思います。
それでいうと渡辺淳一さんの「鈍感力」も外山さんの「思考の」も別にそこ
の部分にふれないでいるのも好対照です。
ベストセラーといえば勝間さんの本についていた「今起きている事はすべて正
しい」を知った時には『これは良い言葉だ』と最初思いました。
たしかにそうだ「いってもしょうがない事はいわない」というスタンスには
わたしも賛成ですが、でもそれはあくまでも「自分の起こした事」が原因の
場合だけに「適合」するのであって、自力でどうしようもない「差別と日本
人」で語られる人はじゃあいんたいどうすればいんだろうと思う訳です。
ましてやデザイナーは「今起きている事はすべて正しい」という事ではない
スタンスで世の中を見ているわけで「今正しいと言われている事にも疑問
をもつ」というのがひとつのカタチかと思います。
まあ スタンス至上主義でやっているわけではありませんが。
タイトルとはまったく違う話になってしまいました。わたし自身が「ぶつぶ
つ」言った(書いた)という意味ではあってますが。
05:20 PM
実現



熊本にある旭製作所の事務所部分の移動にあたって内装のデザインを手伝わせ
ていただきました。
一番上の写真が完成間近の現場の写真。下の2枚はわたしの事務所で作成した
完成予想図。
施工業者の方々の努力によってゲート部分の奥行きと幅に違いはあれど予想図
とたがわない実物が出来ていて、驚きながら嬉しくなりました。
インテリアデザインの醍醐味はこういう「実現性」にあるんだと思いました。
ゲートの向こうに見える間仕切りには、窓が開いていてそこに旭製作所の技術
を象徴するように硝子の円筒が廊下にそって長さ20メートルぐらいにわたっ
て埋め込まれています。
清潔感と神秘性があいまった空気が生まれています。
12:31 PM
March 11, 2010
JIDAデザインミュージアム
一昨日、JIDAデザインミュージアムに信号機のプロトタイプ「CUBIT]が搬入されました。
搬入に来てくださった信号電材のOさんと品川でその様子をうかがいました。
携帯で撮られた会場の写真を見てびっくり。
信号機「CUBIT]のすぐ横に六本木ヒルズに導入されて話題になったセキュリティーゲート
「TAGー5000」が置かれていました。
今回は今までの会場だったAXISではなく田町にある芝浦工業大学のエントランスホール
で開催展示されているのですが、その広々とした高さのある空間にとてもそのふたつが
なじんで(マッチ)いました。あくまでも「携帯の画面」ですが。
思うにふたつは「公共機器」ですから、展示されるというよりは「そこにすでにある」ものに
近い。特にセキュリティーゲートはそこで使われていてもおかしくはないわけです。
そういうものが「めでる」というか「見る対象」というがなんともおもしろい。
会場にはtrystramsでご一緒している柴田文江さんの話題作カプセルホテル「9HOURS」
も展示されているということです。
展示総数はこれまでで最高の55点ということもあり
ちょっとというかかなり今回の展示はおもしろそうです。
08:32 AM
March 10, 2010
SPIRAL
今日から「SPIRALオンラインショップ」でtrystramsが購入できるように
なりました。
05:10 PM
March 09, 2010
ブックレビュー
今日からPdwebの「ブックレビュー」が新しい回に変わりました。
外山滋比古著「思考の整理学」。
04:07 PM
March 08, 2010
おいでください

17日の講演会ですが、まだ受け付けております。
わたしはこういう「こと」で、妙にかたちをつくったりしたくないので
正直に書きますが、あと7名大丈夫です。
友人いわく『平日の夜(水曜日)というのがなかなか仕事やなんやかやの予定
を確定しにくいんですね。』そうでしょうね。
無理してでも聞く価値有りですよ。
と書いていたら後5人になりました。
11:48 AM
March 06, 2010
ベリーニ
プロダクトデザイナーで天才と呼べる人はいるのかなあ。と先日考えていて
その最右翼というか「それを考えるに足る人」を思った時に浮かんだのが
「マリオ・ベリーニ」でした。
ふしぎな事にそのタイミングでベリーニのインタビューがエキサイトイズムに
掲載されていました。
むかしすごかったアイドルの事を『今でいうとキムタクかなあ。』という
表現をしますが、わたしはここ10年を見回してもベリーニと比較できるデザ
イナーを思い当たりません。
ベリーニすごいところは「造型+新素材」が体現されていて破綻がないところ
です。
「今までに見た事が無いのに生まれた瞬間に古典になっている」そういう
ものに彼のデザイン以外ではそう目にかかれない。
とはいえこれは「卵からかえったひなが最初に見たものを親と思う」ような
もので、もっと以前からデザインを網羅的に見て来た人には別の見解がある
だろうとも思います。
ベリーにはほんらい「建築」をしたくて勉強をしていたのが、いろいろな
運命であまりにもてがけた「本来じゃなかった」プロダクトデザインですばら
しい結果を残したのでなかなか建築をできなかったのですが、後半生は
建築家として活動をされています。しかしベリーニ大好きなわたしは間断なく
すばらしいプロダクトデザインの雨を世界中に降らし続けてほしかったなあ。
わたしの中で「ベリーニがここからいなくなったこころの空白」はずっと埋
まっていません。
04:43 PM
March 05, 2010
忘却力
今度のブックレビューに、外山滋比古著「思考の整理学」を取り上げます。
昨年から話題でありつづけている本ですが、基本発売から間もない本は取り上
げないスタンスなんですが、安心してください。最初に発売されたのは今から
20年以上も前の本です。
ブックレビューでふれていることはここでは触れない(ちょっと触れてます)
ようにしますが、キャッチフレーズ的な紹介をすると
『これは恐るべき予言と警告の書です。なんと20年前にウィキペディアの出
現を言い当てています。』となるわけです。
ははは 嘘ですよ。 長年の経験に裏打ちされたアイディアの出し方とまとめ
方が読みやすい文章で淡々と綴られているだけです。
しかし読み終えるとわたしのキャッチコピーの意味が理解できるかと思います。
恐るべきは書かれています。 それは「積極的に覚えた事を忘れなさい」と
いうことです。
知識のストックは機械がしてくれる。だからあなたはエネルギーをクリエー
ティブに注ぎなさい。そういう事です。
さらにその忘れるということが、「ある結果」を別のカタチで見せるでしょう
でしょうと。
そこから先は本文が出てからにしておきます。
予言の書と言えば、「思考の整理学」よりもさらに20年も前の60年代の初頭
に作家の安部公房さんがこんなことを言っています。
『コンピューターの発達により問題解決能力は人から置き換わられるであろう
、その時問われるのは問題提議能力だろう』と。 おそるべし。
01:40 PM
March 04, 2010
フラット
わたしは自然に出来た立体にはふたつの種類があると思っています。
それはものがぐっとせり上がって隆起してできた立体と、周りのものがどんど
ん浸食されて一部の「硬いもの」だけが残った景色を見た時に感じる立体です。
おおくの場合、人の評価は隆起にしか目がいかない。目立つという事はそうい
う事だと思われている。
わたしは昔から「グランドキャニオン現象」という表現を使う。
それはどういう事かといえば、ある時代においてはほとんど「平地」というか
平凡としか見られていない人が、時代の風化に耐えて「一貫した姿勢」を続け
ているといつのまにか「隆起」に近いような目立ち方をする人やモノについて
そう表現するのです。
一昨日の2日に川崎和男さんが「COOL LEAF」と呼ぶ新しいデバイスの製品
発表をされました。
昨年の秋に桑沢研究所のイベントで審査員として同席されてから、わたしの
中で川崎さんと方がとても気になってしょうがない存在となりました。
いまさら川崎さんをわたしが語るのも陳腐ですが、改めてそのデザインの世界
に向かう姿勢に驚きを感じるようになりました。
川崎さんがどういう「立体」なのかを問えばたぶん大方の人は「隆起タイプ」
に分類というか評するのでしょうが、わたしはなぜか「グランドキャニオン」
に思えるのです。
わたしとその上の世代の優秀な資質をもったデザイナーは、その人生を企業の
為に捧げる事が「ふつう」でした。
わかりませんが川崎さんも自らに課せられた過酷な運命がなければ、企業の
なかで手腕をふるい続けておられたのではないかと思います。
企業は一見一枚の「プレート(岩盤)」です。そのプレートはそう簡単に「高
さ(位置づけ)」を変わってみられる事はありません。その中でどう立体して
いるかをだれも見ようとはしない。でもそういう事を多分受け入れる事も川崎
さんには可能だったというのが私の感じるところです。
そういう「立体視」をいったん離れる事によって俯瞰した時期があったと
思います。
わたしはそういう時期に川崎和男さんに電話をしたことがあります。
今から25年ぐらい前の事でした。自分が今後どうしようかと思っていた時に
ある方に紹介していただいたのが川崎さんであり、その時はじめて川崎さんが
川崎和男になったのです。
わたしは福井までお会いしに行こうと思っていましたが、ちょうど台風が来て
タイミングを逸してしましました。
わたしには電話を通して感じた「やわらかさ」を忘れられません。その後川崎
さんはどんどん世間で見聞きくるようになってどんどん自分から遠い存在と
なりましたし、メディアで読んだりする文章は、あの電話口の川崎さんとは
別の方のように思いました。 隆起の時期だったんですね。
ここにひとつの「誤解」があります。それは隆起ではなく、会社を離れて自分
の高さをいったんリセットされたところから「本来あるべき高さ」へ自分の
評価軸というか「立体視」を問い直す作業の時期だったというのが正しいよう
に思います。
自然物に対する「高さ」は厳格に定義されていますし、そこには国土地理院
という「リファレンス(標準)」を司る機関があります。
ところが人。わたしたちデザイナーにとって国土地理院は存在しません。
デザイナーはチカラを評価するためにコンペに作品を問います。わたしが不勉
強なのかもしれませんが、川崎さんがコンペに問うた形跡をうかがうことが
ありません。(多分学生か社会人になったばかりにはそういう腕試しはされて
いたと思いますが)
プロのプロダクトデザイナーにとって評価されるべきは「製品」にある。
それは単に自分が『こういうものを考えました』ではなく、製品化にあたって
どう人を説得し感動させ実際の製品にこぎつけるか、そこの「精神力」「説得
力」「知識力」つまるところ「人間力」を総合的に判断されるべきだろう。
そう考えられたのだと思います。
プロダクトデザイナーにとって関わった製品を評価する「国土地理院」を作ろ
うと尽力されたのがグッドデザイン賞という場であったのだと思います。
わたしはリファレンス(標準)を作る仕事がそう派手でも報われる仕事でも
ないと思っています。伊能忠敬は後世「見えている人物」ですが、当時はたぶ
ん計測器を背負って海岸べりを計る姿は奇妙でなにをしているかを知る人は
いないでしょう。
じゃあ計測作業をしやすいようにかっこいいジャケットを作って「計測してい
ます」と表示される「軽い」電光掲示板を作るのもデザインだし、そういう
つらい作業も「報われる」ようにすべきじゃないのか。 そう考えられたのか
と想像の羽を広げます。
わたしは今デザインを巡る世界が沈静化していると感じています。
そういう中にあって継続的にそのエネルギーを出し続けていた川崎さんが目立
つのは道理だと思いますしそれこそがグランドキャニオンと思うゆえんです。
ここで最初に紹介した「COOL LEAF」の話に戻るのですが、そのデバイスが
「フラット」であるのは偶然だと思えないのです。
平面が立ち残ったグランドキャニオンの上(頂上)は本来平地でフラットなの
ですから。
11:47 AM
March 03, 2010
NOSIGNER
今年は、NOSIGNERさんの年だと思っています。
先日紹介した「REAL DESIGN」にも彼の事が大きく取り上げられていました
がそのデザイン誌に限らず、このところ名前を見る事がとても多い。
最初に会ったのは、今から三年前になるのでしょうかJIDAのデザインミュー
ジアムの選定表彰式の場でした。
自己紹介をしていただいたのがきっかけであり最初に名前を知ったはじめてで
もありました。さっそく事務所にもどって彼の名を検索して『なるほど』と
思ったわけです。つまり一度会うと印象に残る。
わたしは彼の臆さず自分を相手に伝えようとする姿勢が好きです。
わたしは同じ会場でその10年ぐらい前に展示会を開いた若いデザイングルー
プの事を思い出していました。 わたしはそのイベントに近い人とその人たち
について伺った時に出た言葉が忘れられない。『彼らには恥を受け止める勇気
がある』。
同じような感想をNOSIGNERさんにもつのです。
あたらしい事が「恥」を伴わずに生まれる事はない。
もしそうでなければそこには周到な準備とシステムが背景にある。
思うにNOSIGNERさんにとって「周到な準備とシステム」はすべて頭の中に
あって、その事の為に実際のエネルギーを使う気持ちはあまり感じられない。
そのエネルギーはすべて「あたらしいモノ作りとその場に関わるひとたち」の
ために注がれる。
「不用意な周到」ではなく「周到な不用意」をこころがけてすらいる。
不用意と書いても実際の彼はとても効率主義者であって無駄な事はいっさい
しない。
100のエネルギーが30しか相手に伝わらない事が判ればその「ロス」は日本
も海外も同じだと感じていて、その減衰を海外にそそごく事にした。
まだまだ日本の人たちに彼の姿は見えていないけれど、確実にその成果を
海外であげてきていて、姿が見えるようになるのが今年だとわたしは思ってい
る。 見えた時にはとっくに前を歩いている。そういう存在だと。
時代を知っている。そういう気がする。
今度は彼にそのあたりの話を。みんなと一緒に聞いてみたいと思っています。
タイトルは「アンテナ」。
10:50 AM
March 02, 2010
勉強会参加募集

タイトル 「勉強会」
日時 3月17日水曜日 午後7時から9時
定員 30名(先着順)
場所 ウィルクハーンジャパン ショールーム AXISビル 3階
東京都港区六本木5-17-1 AXISビル 3F
参加費 500円
申し込みお問い合わせ先 aiua@sky.plala.or.jp
12:05 PM
March 01, 2010
茶のこころ

展示会が終わって机も椅子も、もとの場所にもどって来て改めて自分の「考え
る場所」とはどうあるべきかを「考える」日々です。
ちょうどそのタイミングでリース物件であるAppleG4を更新するか否かの問
い合わせが来ました。そのG4はすでにリース期間はとっくに終了していて、
それまでの月一回分のコストで一年間使う事が出来ます。が、今では「外付け
ハードディスク」の置き台としてしか日頃機能していないのですが、その中に
は「使いやすいソフト」であるイラストレーターのVer.8.0が入っています。
だから何かの時には、取り出して来ては使う事もあるのです。
しかしわたしは、そこの「たまの便利さ」というころは捨てようと思いました。
現状の中でもっともシンプルな「部屋の佇まい」足り得るところを選択する事
にしてひとつでもモノを減らそうと決めました。
部屋が今どんどん広くなっています。狭いが広い。「心象風景は無限に拡大」
というのは大げさですが、「モノを考えやすく」するためには、必要なもの
と対峙して我慢と便利さの相克をしながらその空間を生み出すのです。
三原昌平さんが個展を開くというお知らせが届いたのは、自分の「方丈」展
の準備の最中だったのですが、部屋が片付いていない時にはどうも紹介して
は申し訳ない気持ちがしたので今日になりました。
タイトルは「プロダクトデザインとしての茶室 tea&mind展」
三原さんのサイトで千利休について一般的な認識のずれを指摘されていますが、
かくあるように三原さんのスタンスは常に「常識とはほんとに常識だろうか?」
という視点があります。
アップルに対する愛情と問題点、自動車に対する愛情と問題点。デザインと
いう事に対する造詣の深さと現状の問題点。
たえず「モノと心の有り様」を掘り下げられています。
わたしのテープカッターについて褒めていただいた言葉はまさに「いぶし銀」
でしたし、それについてさらに「その後賞賛されているものが、誕生した時の
状況」を書いていただいたのは恐縮しつつわたしも学ばせていただきました。
今回の展示会にしてもただ「茶の世界に入る」だけでなく「茶の世界を取り巻
く周辺」について言及されるところが三原さんの真骨頂だと思いました。
それにしても「茶のこころ」というメッセージが届くタイミングがわたしに
とって絶妙でした。
11:57 AM






