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January 31, 2010


ロングターム

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amazonでprimarioが買えるようになりました。

primarioは、そうおいそれとばんばん売れる商品だとは思っていません。
いろんな意味で理解されるのに時間がかかるものだと思っています。

ここでいう「理解」とは購買されて使われてその商品に込められた意図を感じ
てもらえるという意味です。

ロングライフである事はもちろんの事、ロングターム(長い期間)なデザインだと思います。

07:02 PM


マスキングテープ

ライターの江沢香織さんが、昨年の信号機展について触れてくだ
さっています。さらに来月の「方丈」展についても紹介してくださっていま
す。

切り口は「マスキングテープ」。

展示会で写真を貼っていたのはまさにカモ井加工紙株式会社さんが発売されて
いる「mt」を使用しました。

別段その事をどこにも書いたり言ったりはしていませんでしたが、まさに「見
る人が見れば一目瞭然の商品です。

なにせカラーが「渋い」。 あの時黄色から緑そして青にかけて「渋い」色を
選んでランダムに貼っていきました。

最初は整然とパネルに貼る事を考えていたのですが、あの場にはなんだかそれ
は似合わないように感じて「ラフ」な感じを出しました。

街中に言って信号機を見つけて『今日はこれだけ収穫があった。』そういいな
がら部屋の壁にピンナップを増やしていったような感じを再現しました。

11:33 AM

January 30, 2010


学び

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建築家の米田明さんと、ライターの加藤さんと私で3月に「勉強会」を開こう
としております。

場所は六本木のAXIS「Wilkhahn(ウィルクハーン・ジャパン)」のショー
ルームです。

ウィルクハーンはドイツに本拠を構える世界を代表するオフィース家具のメー
カーであるとともにバウハウスから流れをくむウルム造形大学の教授たちによ
るデザインによってその評価を高めた歴史をもっています。

米田さんがバウハウスやウルム造形大学について書かれているのを知りまた
わたしもそこに自分のデザインの源流を感じ続けているので、ウィルクハーン
というメーカーに「縁」を感じました。

会のタイトルは「バウハウスからマイハウスまで」

これはドキュメンタリー作家のトム・ウルフが書いた現代建築評「From
BAUHAUS to our HOUSE(邦題バウハウスからマイホームまで)」をも
じったものです。

建築から生活家電、建築家とプロダクトデザイナーをつなげる意味でつけまし
た。

3月に開催しようと思っていますが、詳細は決定次第ここで紹介していきま
す。

『わたしも勉強したい』そのわたしはわたしです。

05:08 PM

January 29, 2010


デイティール2

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さきほどのお話のつづき

先のボールペンには写真の様な「うつわ(ケース)」に入っています。

ボールペンのキャップがころがって無くならないように「おきあがりこぼし」
のようになっているのですが、実は「ケース」もおきあがりこぼしのように
ロッキングするようになっています。

これも設計の方の工夫とアイディアです。

アルミの円筒形のケース。まことに贅沢です。

03:09 PM


ディティール

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ミースファンデルローエの代表作に「ファンズワース邸」がありますが、その
建築に際して当初の予算を大幅にオーバーして施主であるファンズワースとの
間で訴訟まで起きた話は有名ですが、出来上がったものを写真で見る限りどこ
がどうしてそう高くなったのか想像するのは難しい。

ただの矩形の連続にみえてそこに並外れた細部へのこだわりがあったことにつ
いては想像にかたくないわけです。

ある意味「こまったおじさん」を好きになってしまったわたしですが細部への
こだわりをどこまで追求して来たかについてはあまり自信がありません。

思うに「こだわり」を実現出来る「状態作り」のほうが、こだわる事よりも難
しい。

そういう「核」のようなものが見えてから徹底して「こだわらない日常」に
こだわりはじめました。 難しいなあ。

「こだわり」に確信が持てないものを「こだわった」としてもその互いの間に
できる確執はどうも苦手です。

つまり「こだわり」を共有できることこそが「こだわり」を実現できる近道で
もあり「王道」なのかもしれません。

わたしはとてもシンプルなカタチが多いのですが、そういうかたちが好きとい
う以外の理由もあります。それはこだわりを「共有」しやすいだろうという考
えもあるのです。

もうすぐ発売されるtrystramsのこのボールペンを見てみなさんはわたしが
『これじゃなくちゃぼくぐれちゃう。』みたいにだだをこねて無理からこれを
実現させたように思うかもしれませんが、実はそうではありません。

最初のスケッチもたしかに「これに近かった」わけですが、ここまでシンプル
になったのは企画者と設計者との「合意」というかみんなでデザインをした
結果なのであります。

信じない? ほんとうです。

たぶんわたしはこれまでデザインしたモノたちによってクルマなのか御神輿
なのかわかりませんが、「こういうカタチがわたしらしい」という乗り物に
のってその場にいるんだと思います。

『ほんとうはこういうクルマに乗っているのは好まないんです。』なっていっ
ても「はじまらない」。

わたしはわたしの「周辺の空気」もふくめてわたしになっているのです。

つまりわたしが気がついていない事もまわりにみんなには見えていて「そうい
う方向」が自然と定まっています。

そうでないと「こんなかっこうのボールペン」は実現しません。
どうみてもこのシンプルなカタチを実現するのは大変そうです。「やれ」では
たどりつけない。

「こだわり」を共有するのはとてもエキサイティングな出来事です。
「冥利に尽きる」という感じです。

12:27 PM

January 28, 2010


なんでもないよさ

このごろ80mmについて書く事が少ないのですが、あいかわらず目の前には
80mmがあってそこに紅茶が入っています。

お昼にはそのコップがふたつになってひとつにはお味噌汁が入って、もうひと
つにはお茶が入っています。

先日紹介した柳さんのカトラリーのお話の中で『いいものというのは、つまる
ところなんでもなくなるものだ。』そんなような事を言っています。

良いか悪いかもなくなるのが「いいもの」そういう感じでしょうか。

そうかといって80mmが「なんでもないか」といえばそうでもないわけです。

二層になっていて「熱くない」という器は案外あります。 しかしそういうも
のはだいたい見た感じは従来の「ゆのみ」だったり「コップ」のかたちをして
います。

80mmのようにただの円筒が案外ないわけです。

わたしはワインセラーのデザインを製造会社で説明する時に『これは冷蔵庫
ではありません。オーディオのようなもので「乾いた場所」である書斎で
使うように考えた「水離れ」をしたものです。』と話しました。

それと同様にセラミックを使っていますが、これは「陶芸」の脈絡じゃなくて
工業製品から発生した「飲み物を空中に保持する容器」のようなものです。

まあ理屈はいいんですが、陶芸からはなれた事によってひっくりがえりにくい
とか茶渋がつきにくいとかうつわの「宿命」から切り離されたのです。

だけれど使っていると「なんでもない」わけです。

この頃では、器をもつと「熱い」という事すら忘れてしまっている部分があり
ます。

天童PLYの方から自分用に買った人が知り合いの方用にまた買ってくださって
いる事をお聞きして、本来製品があるべき姿を80mmがしてくれている事に
うれしくなって書いた次第です。


05:58 PM

January 27, 2010


トークイベント

今日、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIにて「デザインが奇跡を起こす」発売記
念、水谷孝次のさんのトークイベントがあります。

わたしも伺おうと思っています。 

【日時】 1月27日(水)19時〜
【場所】 TSUTAYA TOKYO ROPPONGI 1階カフェスペースにて
【参加について】 ご希望者はどなたでもご参加可能です。
【出演者】 水谷孝次(水谷事務所、MERRY PROJECT代表)
世界のポスター展を総ナメにして一躍注目を浴び、いまやその社会的な活動で
世界中に大きな影響力を持つアートディレクター水谷孝次が執筆した
『デザインが奇跡を起こす 「思い」を「カタチ」にする仕事術』の発売を記念
しTSUTAYA TOKYO ROPPONGI にてトークイベントを行ないます。

02:15 PM

January 26, 2010


マルチペン

デザイナーにとって「先見性」というのは、ある意味「くっついている」チカ
ラなのかもしれません。

なにせ手がけているプロダクトが早くても「半年」長ければ数年先に出るもの
をデザインしているわけですから、ちょっとした「タイムマシン」を内蔵して
いるようなものです。

2008年の7月に開催された「国際文具・紙製品展」のリポートで「複合ペンの流行
がキテるんですよ。」とわたしがのたまっております。

ほんとにキテたかどうかはあの時点では、いささかフライング気味だったかも
しれません。ただわたしは、ロフトや東急ハンズを見えていてそしてたまたま
テレビでもそういう内容の紹介が合ってさらにその展示会での各メーカーの注
力ぶりに「合点」がいったのです。

1年半が経緯して、その時にはまだ出ていなかった(と思うんですが)ゲルイ
ンクの微妙なカラーバリエーションの「自分で選んで作れる」マルチペンの登
場でまさに「予想(?)があたった」ように思っています。うれし。

その話をしたわたし自身は「もたない主義」なので、マルチペンしていなかっ
たのですが、ついに買ってしまいました。

「黒の油性」と「黒のゲルインク」と「赤のゲルインク」。
組み合わせると500円を超えていました。 実にうまいビジネスですね。
たぶん最初から「マルチ」だったら300円台じゃないでしょうか。

「自分勝手」というのは高くつく。 へんな結びになってしまいました。

え、高価なボールペンをデザインしておいてそれはない?
いえいえ、「正当な価値」に妥当かどうかそこだけの問題です。

わたしはマルチペンに「そこまで」は望んでいなかったので高価に感じたので
す。高価と高価はちょっとちがうのです。


09:11 PM


相手のための手帳

trystramsのスケジューラーとジョッターの最終品を見せてもらった。

『こりゃ 究極だなあ。』と内心つぶやいた。

「捨てる技術」についていろいろ思う私ですが、実際の製品でここまでそぎ落
とされた製品がどれだけあるかと思います。

なにを考えなにを言葉にしてどう生活してどうなにをデザインするか。それは
いろいろなかたちがありますが、実際に「生活の糧」であるお仕事の成果物を
「そぎおとす」という事は容易ではないと思います。

Biz-IDに「手帳との相性を考える」という特集が載っていました。

わたしはこれまでに「スケジューラーを買っては使わなくなって」というこれ
までの経験を書きましたが、特集もそうですが、そこには「使わないのがベス
ト」とは書かれていません。 あくまでも「手帳はいる」そういうことがベー
スにあるわけです。

わたしはいったん「無し」までいったわけです。ゼロベース。

でもやっぱり約束事が重なって半月一ヶ月先のことまで日程に入るようになる
と「なにかに書き留めないではいられない」のです。

それは「アイディアが出るようになる」とか「クリエーティブ」という事では
ありません。 約束を守るというもっとも基本的なモラルにまでたどりつく
のです。

わたしは今でも100円しない無印の「らくがき帳」をスケッチを描くために
使いつづけています。
それはなにも考えなくてもだらだらっと描いても惜しくない値段だからで
そんなところで妙な緊張感を覚えたくはないからです。

それとは別にスケジューラーは「相手」があることだと思います。

そのしっかりとした黒革のスケジューラーに書き込んでいる姿を見た時相手は
自分の約束を「大事に考えてくれている」そう感じてくれる効果(本心で)と
いうか場の雰囲気を作り出す働きをもっていると製品をみながら思いました。

つまり「手帳」というきわめて「自分ごと」「自分の使い勝手」に根ざした
ものに「相手からの信頼」というこれまでになかった「心情の形態化」が
あのスケジューラーとジョッターにはあるのです。

12:00 PM


空に近づく

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別段『うに弁当がおいしかった。』ということを書きたくてこの写真を掲載し
たわけではありません。たしかにうに弁当おいしかったですが。

パッケージの左上に載っている「空の弁当」という文字が読めますでしょうか。

東京駅の地下に数年前にリニューアルされた「銀の鈴」の周辺にできたショッ
プに上の弁当は売られていました。

今東京駅はどんどん近代化されその一方で建設当時の東京駅舎を復元していま
す。まさにJRがそのチカラがおおきくなっているのを実感するのですが、
わたしは、この本来飛行場である千歳空港でしか(限定的かどうかは知りませ
んが)手に入らない「空」のお弁当がこうやってJRの構内で売られるように
なっている「状況」がとても今を象徴する出来事のように思えてなりません。

一ヶ月前にも新大阪駅が「空港に見える」と書きましたが、それは以前では
乗り換え場所でしかなかった新大阪駅が近頃ではその駅で食事をしたりそこか
らほどないところに歩いていったりと少し前までは考えられない「ステイ(と
どまる)」場所に変貌した証でもあります。

なにせ駅の正面を離れたところから場所から「鑑賞する」なんていう経験は
大阪生まれのわたしでもそうあることではありません。

同時にこんなところをこんなに大勢の人が歩いているのを見た事が無いという
のも感じます。

そういえば大阪駅周辺もどんどん新しくなっている最中ですし、博多駅も大改
造中です。

わたしの成長(おおげさですね)は言ってみればJR(国鉄)の全盛期から衰退
期の移行を「体験」するのと重なっていました。

それがここにきて急速にそのイメージを変えています。

そうそう何十年も「おいてけぼり」だった実家の最寄り駅もついに「東洋一」
と言われた操作場が整理させてあたらしい建物群が誕生しそうです。

10:18 AM

January 24, 2010


再録 セパレート 2006/4/16

わたしは、デザイナーがいう言葉は信じない。書いてる文書も読む気がしな
い。別にうそを言っているとか書いているとかという事ではないですが、言葉
をいくらつむいでも「デザインの創造の秘密」はそこで解き明かされるとは
思っていないのです。 

デザインじゃないない話の方が本質が語られてるかもしれないですね。

いいデザインしていなくても「すてきなこと」「すごいこと」「感動的なこ
と」は書けると思ってます。

わたしはデザイナーの名前は信じない。どれだけいいものを作り続けていても
「名前」で、デザインができるとは思ってません。

デザイナー個人とデザインしたもの、そしてデザイナーの言葉は、分離して考
えるべきだと思っています。

結果論として「やっぱり彼だからできた」とか「彼のあれはいいですね」とい
う分にはかまいませんが、自動的に「デザインの価値」が生じるとは思ってま
せん。

デザイナーの「仕事」には、かならず駄作もあれば傑作もある。いいものはい
いというし、そうでなければどれだけ有名であっても「あれは良くないよね」
と言うようにしてます。逆にいえば、それまで「ひどいもの」デザインしてい
ても傑作が出ればそれまでどれだけ悪く書いていようが瞬間、わたしの評価は
180度ひっくりかえります。

デザインしたもの「だけ」を見るべきです。どれだけ苦労しようが困ろうが、
それと「これと」は別だと思います。

それにつけてもみんな「言葉」を求めてますね。ミースだとかコルビジェのよ
うに他界してしまってもう新作も声も聞けなくなったのであれば、文章に頼る
しかないのですが、本人が生きている限り、新作が生まれる限り、その「デザ
インされたもの」を淡々とウオッチして「これはいい」「これは良くない」と
決めればいいのです。

ちなみに私は自分がデザインしたもののうち「文句なし」と言えるのは、そう
はありません。ただ「駄作」にはなんらかの他因があったりするので「悪く」
言われても結構「いいわけ」できちゃうかな。

___________________________________

今ブックレビューを書いていますが、その背景にはこういう気持ちが含まれて
います。しかし自分の中で俯瞰というか違う視点も生まれたような気がして
その第一弾が坂井さんの本だったわけです。

「ことばでかたちは生まれない」「生まれたとしてもそれは多様だろう」
そう思っています。

次回たぶんみんなが「それを取り上げてほしい」と思っていた本について
ブックレビューを取り上げます。

わたしはその文中に上のような事を書こうか書くまいか考えていました。
かつて書いたこの文に「すんなり」たどり着いた事には意味があると思って
いますし「そういう事」を書かなくて済みました。

10:11 AM

January 23, 2010


柳さんのカトラリー

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住友信託銀行が顧客に配布しているライフスタイル誌「発見上手」の2010年
冬号にインタビューが掲載されています。

内容は「柳宗理さんのカトラリーの魅力」についてお話をしています。

読まれる人の年齢層は、わたしかそれ以上の方がほとんどかと思うのですが
視力に考慮されて文字も行の間隔も広く大きい。 かく言うわたしも老眼鏡
なしで読めるので助かるのです。

私自身も長く愛用している柳さんのカトラリー(フォークやスプーン)につい
てお話をさせていただくのはとても光栄でうれしい事でした。

嬉しいと言えば、わたしがその役をさせていただくに至った経緯をきいてまた
うれしくなりました。

このあたりの話はしてもいいのかどうか判断がつきかねるので伏せますが
「ブックレビューをしていて良かった」そういう話だと思ってください。

「デザインの父」の話をする「デザインの息子」のような気持ちです。

07:45 PM


ものを捨てる勇気

ものを捨てるひとが勇気ある人だとは思わないんですね。

勇気があってもものを捨てない人もいるでしょうし。

たぶん勇気じゃなくて「個性」なんじゃないかと思います。

勇気があると思うのは「買わない人」でしょうね。ものをもたなくても事足り
ると思える人は勇気があると思います。

しかしわたしはプロダクトデザイナーですから「研究」もしなければいけない
ので極端な話「必要ないもの」も買って試さないといけない時が出てきます。

それはなかなかに「苦痛」でもあります。なにせ自分が「作った(?)」空間
に折り合わないものを「許容」しなければならないのですから。

思うんですが「雑然」に以前はもっと寛容だったように思うんですね。
作家や文化人の部屋の写真を見ても乱雑に原稿がちらばっていたり収集したり
したものが部屋にどっさりあるのを「かっこいい」とすら感じたものです。

しかしそういう時代にあってもわたしは結構片付けていました。
雑然はどうも苦手なんです。

時代がどうあっても「片付いている」のが好きですが、さりとて他の人に
片付けろとは思わなかった。

そりゃ「個性」だろうと思っていました。

だから「ものを捨てること」を勇気だというのはどうも苦手です。

ものを捨てる事に関する本はその本が捨てられることを許容しているのでしょ
うか。

わたしは「きれいにちらかす人」がかっこいいと思います。

05:03 PM

January 22, 2010


気の効いたデザイン

道の向こう側からよそ見しながらこちらに歩いてくる人がいたら「よそ見」を
しないで歩いている人が避けなくてはいけない。 いや避けるでしょう。

理不尽と言えば理不尽だけど「そんなもの」だと思うのですね。

まっすぐ道を歩くという事は気が利くということです。世の中は道路と違って
見えてはいませんから、そういう「道が見えている」ということは道理にきが
ついていて「見えない道が見えている」という事です。

さらに言えば気が利くとよそ見していても「前から来る人の気配」を察するで
しょうからおのずと避ける回数も増えます。

気が利くということは、つまりそういう理不尽と戦わなくてはいけない。

こう書いているからといってわたしが『気が効いててほんと毎日大変です。』
と言いたわけではありません。

想像がつくから書いているだけの事です。

言えるのは「気が利く人」が、その大変さを話してもほとんど理解されないで
しょうね。 なぜなら気が利く人にその話をしないだろうから。

不思議と言えばふしぎです。 たぶん「自負」があるというか「避けるテク
ニック」に磨きがかかってプライドが生まれてそれでもって同じようなプライ
ドのある人とは「ぶつかりたくない」わけです。いやわけだろうと想像する
わけです。

『君は左から避けるのか? 僕は右から避けるのが得意でね。』なんていう
話にはたぶんならない。 なぜなら「気の効く人」に「気の効かなさ」を
見つけるのが「気の効く人」だから。

ね、だんだん気の効く事が難しくなるでしょ。 デザインもそうなんです。
だんだん「気の効いたデザイン」が面倒にみえてくるのであります。

『デザインが理解されないんだよ。』と嘆いているぐらいがちょうどいい。

08:19 PM

January 21, 2010


「自分の知らない問題点と仲良くすること」

昨日の講演にわざわざ聴講に来てくださった青年Sさんからお礼のメールをい
ただきました。お礼を言いたいのはこちらの方です。

そのSさんが昨日の話の中で印象的だった言葉が『自分のわからない問題点を
許すというか認めるというか仲良くするのがいいんじゃないですか。』という
感じでお話しした事を簡潔にそして「伝わりやすいように」翻訳していただき
ました。

ほんとに自分の「価値」は自分にはわからないものだと思います。

脱線すると会社員時代に『きみはスケッチ描き過ぎ。スケッチブックの中には
すでにいいアイディアがいくつも眠っているよ。』と言われた事を思い出しました。

今も昔も「源泉掛け流し」「ためるつもりなし」な感じです。

いいですね「自分の知らない問題点と仲良くすること」そういう人にわたしも
なりたい。

製品は自分の考え通りになったから製品じゃないわけです。

そりゃ「感性品」にすぎない。完成品とはちがいます。
ましてやスーパーじゃないし。すべてがわかっているわけではありません。

たぶん大事なのは、他の人の意思や愛情の「あつめどころ」としては、足らな
いけれど情熱的である必要があるかと。熱があると自然と人が「手をかざし」
によってきてくれるようなそんな気がします。別にその炎がきれいかそうでな
いかでなく「熱」にあるんだと思います。

ちなみに、Sさんはわたしのブログの書き出しの一行目が気に入ってくださっ
ているそうです。 はい意識しています。

07:17 PM


記憶に残ってほしい

昨日、予定通り日大芸術学部デザイン学科で特別講義をさせていただきまし
た。

学生のみなさんが、聞いてみたい事をどれほどお話しできたか自信はありません
が間違いが無いのは、「今まったく今この瞬間わたしが思っている事」である
ことは確かです。

いつまでたっても「上がり」という事がありません。
上も下も無限の空間の中で自分が仕事をしているそういう感じです。

自分がこれまでデザインしたお話をするのがたのしくて「楽」なんですが、
そういう事ではないような思いがあるんです。

わたしは「記憶に残ってほしい」のです。自分が気持ちよくなれるかどうかより
何年後か思い出せるそういう話をしたいというハードルをいつも自分に課してい
ます。

11:00 AM

January 19, 2010


合理性

先日放送された情熱大陸で紹介されていた画家石井一男さんのお話。

予告編を見たときからこれは話題になると感じていました。

あらかじめどういう方なのか調べてその時間をむかえたのですが、驚いたのは
66歳という年齢とその生活ぶりから想像してイメージとかけ離れていた事でした。

とにかく元気で健康で健全な事。その血色のいいはりのある顔はとても魅力的
でした。写真の中の石井さんと別の人のようです。

人は住んでいるところで貧しさを決めるのかもしれませんが、わたしは住むと
ころに住まわさせるのでなく、「住み倒す」という感じが好きです。

そう言う意味ではちっとも貧しくない。つつましいのです。

わたしはあの古い長屋にありながら、絵を描く為の収納型のイーゼルがかなり
良いものであること。その真上にしつらえた4列の(たぶん)蛍光灯は、作業
に夜も集中できるように十分な明るさをもっているだろうし、ひょっとしたら
蛍光管も「昼光色」になっているように思います。

さらに演歌やクラシックや落語を聞いているラジカセもたぶん中高年用に流
行った音のいいタイプだった。 テレビが新聞でカバーされているからといっ
て貧しいわけではないのです。 そう押し入れにふすまがなくてすだれだから
といって貧しいわけではない。破かないですむしドアのように手前の空間を用
意しなくてはいけないわけでなし。合理的なんです。

そうそうそれから石井さんの服装もすてきでした。清潔感いのちですね。

以前情熱大陸で見た女性のピアニストの事がすごく印象に残っています。
パリだったそのアパートにはグランドピアノしかない感じで、生活のいっさい
がピアノという感じにとてもおおきな「宇宙」を感じました。

夜中になったら屋根が開いてピアノが宇宙船になって飛んでいきそうでした。

合理性は「冷たくない」それもいいたいんですね。合理性は「合理的にみえ
る」んじゃないんです。行動の動線に乗っていて「無秩序の秩序」なんです。

わたしは会社を出る時机の上にあるものを全部引き出しに入れてすっからかん
にして帰っていましたが、実は引き出しの中はぐちゃぐちゃでした。

一見合理的で整理されているようですがそうじゃないんです。
ほんとうに合理的なのは「同じ生活をしてみないと合理的の意味が見えてこな
い」。

熱い? 熱いですね。だって石井さんの話は来月の展示会と一脈つうじるもの
があってタイムリーだと思うからです。

06:53 PM

January 18, 2010


再録 今


わたしはとにかく「今」が好きなんですね。
「昔」はきらいだけれど「過去」は好きかもしれない。
「未来」はなんか恐いけれど「将来」は好きかもしれない。

今はいいですね。なんだかいろんなものがあって「好き」が
多様化されて。いいですね。自分らしく生きることが昔より
しやすくなった感じ。

WallPaper誌に載っていたB&Oの新しい液晶らしきテレビの
デザイン。そのテレビのまわりに配置された細いポール状の
スピーカーがすでに発売されて15年ぐらいたつと思うのです
が、全然古くない。そしてその「テレビ」はスピーカと調和
が取れていてちゃんとあたらしい。

変えなくていい過去を持つことはすばらしい。


2005年9月30日

07:53 PM

January 16, 2010


筆記具


1TRK.jpg

trystramsのサイトでも「方丈」の告知を掲載していただきました。

わたしがtrystramsをデザインしていて良かったと思うのは、これまで自分が
フィットする文具がなかなか見いだせなかった状況を自分で切り開く事をでき
るという事です。

これまでもっとも困っていたのが「スケジューラー」でした。
いろんなスケジュール帳を買って試してすぐにそれを使わなくなるという繰り
返しを続けていました。そしてたどりついたのがA4のコピー用紙にイラスト
レーターで自作した月予定用をプリントアウトしてクリアフォルダーに入れて
もち運ぶという方法でした。

これが不思議な事にデザイナーに限らず何人かの人が同じような事をしている
と知った事です。 それも管理職の方に多いとわかって、これはわたしの担当
する「AUTHNTIC」にふさわしいスケジューラーになると思ったのです。

クリアホルダーにいれる用紙というのでは芸が無いし、もっとコンパクトなも
のの方が持ち運びやすいと思ったので「半分に折る」ことを考えました。

縦に二つに折るのが一般的でしょうが、そうすると手帖の延長線上に見えるし
コンパクトといっても結構かさばるので、横に半分に折りました。

そうするととても「たたずまい」がスマートになるんですね。
そして最大の長所が「一週間が途中で断ち切られない」ということです。
縦におるとどうしても水曜日と木曜日のあたりでおり曲がる、一週間が6日
だったらまだ収まりますが、3対4とか4対3に折る事になります。

横で折ると一週間が「生き生き」してきます。そして連続感が生まれます。

そういう手順でtrystramsの「スケジューラー」は誕生しました。

05:42 PM

January 15, 2010


「方丈」展

1HOUJYOU.jpg

本を置く場所としてお借りしたこの小さな六畳程の空間に、10年以上も事務
所を構えるとは思っていませんでした。

しかしこの居心地の良さは、これまで何度か引っ越した場所のどこよりも高い
のです。

「自分らしさ」といっても何が「らしい」のかよくわかりませんが、判ってい
るのは感覚的に自分に「あう」「あわない」を感じ取って、その中から「あ
う」ものを集めて、そこから生まれる「空気」のことを「自分らしさ」だと
思っています。

デザイナーにとってどういう場所で仕事をするのが最適なのか。
その答えは無限にあることを考えるきっかけになってもらえればと思い、自分
の「日常空間」を展示することにしました。

確かな事は、わたしがデザインしたこの10年の間に生まれた製品はすべて、
この「方丈」の場所であることです。

                                     秋田道夫

07:38 PM


学ぶという事

先日、ひょんなことから出身大学にある資料館(美術館)の収蔵品がインター
ネットから検索できる事を知りました。

そこには有名な作家の絵画や彫刻にまじって、買い上げになった卒業制作の
作品も含まれていたんです。

またぞろ「あの頃」を思い出した訳です。卒業制作のことについては何度か
ここで書いているのすがつまり「間に合わなかった」わけです。

県の美術館で開催された展示会にはなんとか間に合ったそんなかっこうでし
た。

というわけで当然そのリストには載っていない訳です。こうかくと間に合って
いたら選ばれていたかのように書いているようなものですが、それはね。

その後大学としてではなく専攻として参考に置いていってというお話を先生か
らいただいたのですが、わたしはそれを辞退しました。

小学生のための椅子と机というテーマだったのですが、A1サイズのパネルが
9枚ぐらいそれも今と違って木枠のパネルだったのですが、それと原寸の椅子
と机がサイズ違いで3セットという結構大作(かさばるという意味で)で
結局『いいね。』と言ってくださった先生に1セットプレゼントして、パネル
と椅子を大阪と東京にふりわけてもって行きました。

その後、その時の痛い経験をかてに毎日ID賞を取る事が出来たのですが、その
作品を学校のイベントに貸してほしいという話が合った時にも断ってしまった
のです。

今の自分では考えられない謙虚さ(?)ですが、それを良しとしなかったん
でしょうね。
自信があるけれど自信が無い。よくわからなけれどそういう感じです。

今にしてみれば卒制も保管の場所も仕方もよろしくない個人よりも大学の方が
延命しそうですし、コンペの作品も了解が得られるならば寄贈してもよかった
んじゃないかというのが今の自分の考え方です。

なにが変わったかと言えば「参考になるものだけが人のためになる」というよ
りは「参考にならないものからも人は学べる」そういう感じでしょうか。

だれが見てもいいものもすばらしいですが、時代が経つと風化してしまうもの
からも時代が経つとだんだんよくなるものもあるかと思います。

みんな風化しないのであれば「風化」がわからない。

わたしは自分の展示会もそういう風に捉えています。ベストだとか満点の展示
とかそういうことよりも「なにか」をそこに出す事によってみる人が自由に
学んでもらえる。 それを見る事によって「あの展示がよかった」と思えるな
らそれはそれで役に立てたと思うのです。

いいわけじゃないですよ。 それが「良い」わけです。

11:04 AM

January 14, 2010


色気

山中俊治さんのブログ「デザインの骨格」がおもしろい。

以前ブックレビューで取り上げさせて頂いた三原昌平さんの著書「プロダクトデ
ザインの思想」の中でもひときわ山中さんの文章は光っていました。

読む側が読みたいだろうという点をきっちり把握しながらじらしながらすぱっ
とそのポイントを最後に明確にする手腕があざやかで、しかも言葉の選び方が
実に当を得ていて簡潔にしてよみやすく「地味」があります。

地味だけでなくそこにはほのかに「色気」すら感じさせます。

その色気を解説することは難しいのですが、きれいな数式や基板を見た時にも
感じる透徹したものに含まれる「甘み」にも近いのかもしれません。

「脳内メジャー」や「未来予想図」はデザインを語るエッセーとして傑作だなあ
と思いました。


12:04 PM

January 13, 2010


ALL IN ONE COVER

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All aboutでtrystramsのALL IN ONE COVERが取り上げられています。

選人はライターの納富廉邦(のうとみやすくに)さん。

モノに限らす食べ物にも飲み物にもすべての事に精通しているような納富さん
です。 業界には精通しない(できない)と思っているわたしですがいつのまに
か、知っている人が多くなっているわけです。

このブックカバーというかノートカバーはぐっとくるものがあります。

05:11 PM


ウォーターデザインスコープ

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坂井直樹さんの事務所「ウォーターデザインスコープ」のサイトです。

04:57 PM


講義

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日大芸術学部デザイン学科インダストリアルデザイン専攻に来週講義に伺いま
す。

リアルという言葉をこの頃良く使います。 リアルは「生々しい」とは違う。

リアルにはすこし「理想」が入っているかと思っています。

あるがままとは違って「そうありたい」という思いと過ごす事が「リアル」
なんだと思っています。

03:10 PM

January 12, 2010


動かせないものとどう向かい合うか

対談をわたし自身も読み返しているのですが、感じたことがあります。

それはエンジニアリングを体得している人がプロダクトデザインをする事の
アドバンテージというか「わかっている強み」についてですが、いみじくも
今回「コクヨデザインアワード」でグランプリになった浅沼尚さんも大学では
工学部を卒業されていて現在大手家電メーカーのデザイン部に属されています。

審査委員長である山中さんだったというのも興味深いのですが、そこで表現さ
れた新しいデスクには、これまでの「天板と脚の組み合わせ」に、現在では
必然と思えながらおざなりになっていたPCのケーブルを収納させるところに
あたらしい可能性を感じさせてくれていますし、坂井のいうところの「リセッ
ト」する力をみたように思います。

とはいえそれもプロダクトデザイナーの考えるべき事の「範疇」ではなかった
かなという気がするのです。

今さまざまな部品や基板という製品にある「内蔵物」がシームレス(自在)に
なっている感があります。

そのことが「中身はなんとか収まるだろう」という感覚にプロダクトデザイ
ナーもデザインを学ぶ学生さんもなっているんじゃないかと。

昔を良しといういう良い方はしないように気をつけているのですが、そういう
わたしも学生から社会人になる中で一番「壁」だったのが、「動かせないもの
とどう向かい合うか」だったように思うのです。

これは「昔話」でもなんでもなくて、「一本用ワインセラー」やコーヒーメー
カーでも「最初のカタチとはまったく違う帰結」をしてああいうカタチをして
いるのです。

まったく中身は「シームレス」でもなんでもない。シームレスなのはデザイ
ナー自身だというのが結論です。

コンペにもある「定型」というか「枠」というのがなんとなく出来ていて
アイディア主体で『実際になるとそのとおり出来るのかどうか、できると面白
いなあ』というスリリングがどんどん無くなっていますが、それはある意味
「エンジニアリング」の工夫に対する面白さをデザイナーがおきざりにして
いると思います。

わたしがエンジニアリングに精通しているとは思っていませんが、その事と
向き合いながら「恐れ続けている」そしてそれをなんとかしたいと考えている
姿勢は今もあると思います。

これはだめよという事を書きたいのではなくてプロダクトデザイナーにとって
とても面白くて醍醐味でもある部分と向き合うとより「プロダクトデザイナー
ライフ」が充実するという事を言いたいのです。


04:45 PM


源泉

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この対談の事を一言でどう表現しようか考えていたんです。

そこで考えついたのが「源泉掛け流しの温泉のような対談」というコピー。

この長い文章の中には、いろんな要素が詰まっていてそのひとつひとつには
あまり頓着せずに、次の話題へ移行しています。

そのことが読んでいる人特にプロダクトデザインに関わっている人や詳しい
人には「喰い足らない」そう思われるのは重々承知しています。

でもそのことによって「前の10年」なにがあったのか、それぞれの人の中で
物語や思い出が蘇るそういう働きをしてくれるんじゃないかと思っています。

坂井さんと対談して思ったのは「豪腕」であることです。

どういう事かと言えば、それまで開けた事の無い話題の箱や扉を事も無く
開けていくそういうチカラがとても強いことです。

みんながよってたかって『開かない開かない。』と話しているジャム缶を
『あそれ貸してみて。』と言ったかどうかの間にすでにその瓶の蓋は開いて
いるような感じです。

そこには「開かなかった」という事実すら存在しなかったように。
がんがん扉が開いていくそういうのを目の当たりにしたのです。
なにかあるなら自らすすんでなんとかそればいいんじゃないの。そんな感じ。

それから坂井さんが山中俊治さんをはじめこれまで仕事をした人たちのことを
とても大切にして敬意をはらっているという事です。 懐が深くヒューマン
です。

同時に坂井さんはサービスの人でもあるので、目の前にいるわたしのことを
しきりと持ち上げてくださっています。 そしてわたしはそういうのをうれし
いものですから「いただきっぱなし」になっています。

そこの部分が気になるならその部分を「青い文字」に変えてもらって青いフィ
ルターを乗っけて消してもらえればと思います。

いずれにしても濃い対談です。5年後10年後この対談を読み返すのがたのしみ
です。

同じサイトに連載をしているブックレビューも今回は、坂井さんの著書である
「デザインのたくらみ」を取り上げています。こちらもあわせて読んで頂けれ
ばと思います。

01:15 PM

January 11, 2010


流れをこえたところで

昨日、水谷さんの「情熱大陸」を見ました。

お会いして見るのとそうでないのでは多分感じられ方は違うんでしょうが、あ
の画面の中で話された水谷さんはまったくいつものとおりでした。

話されるテンポも口調も笑顔もわたしの知っている水谷さんでした。

とはいえ、どういう日常でどういう思いでMERRY PROJECTをされているか
どういう状態なのかそれはあの番組でしか知り得ないものでした。

若い時どうやって「仕事」を習得されたか。興味深いものでした。はからずも
先日書いた「問わずに問う事」に符丁が合っていました。

「聞いても答えてはくれない」「ごみの中にこそデザインの神髄が隠れてい
る」 それはほんとうに必死な思いの中から生まれた方法論だと思いました。

もうひとつ大事な事を教えてもらったのは「はずかしい思いを自らしに行く勇
気とそういうものに卒業もふさわしい年齢もないんだ」という事です。

小さなイベントですらいろんな「はずかしさ」が隠れています。そういう時に
はなぜそういう事があるのか理不尽とすら思いますが、そういう先にしか用意
されていない「真理」があるんだと考えるのです。

笑顔にあふれていた30分でしたが、なんだかわたしはジンとしたものが残っ
た30分でした。


07:13 PM

January 10, 2010


直線美

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文具はブームだ。そういう流れに「したい」と思っているのでそう書く訳ですが
文具は永遠にブームなんじゃないかとも思うのですね。

そう思うのも理由があってこのニチバン「直線美」発売まじかというのにすでに
検索数がすごい。

家電ウオッチでもすでに使用レポートが出ています。

テープカットするのにぎざぎざの刃が無いと結構たいへんなのは、自分がデザ
インした時に経験済みですが、逆にギザギザがなくてすぱっと切れる刃をつけ
てしまうと危険なことになってしまいます。

端的にいうとふつうのテープカッターはテープを「切っている」のではなくて
「割いている」という表現の方がただしいのかもしれません。

「直線美」の場合刃ではなくて「ギャップ」というか段差をもうけることに
よってテープ全体の半分だけが刃の金属にあたることによって「直線にさけ
る」ようです。

できてしまえばね。なんとでも書けますが、考えつくのは大変です。
本体のデザインも「直線美」であります。

06:34 PM


問わずに問う事

Yahooの「知恵袋」の中に『プロダクトデザイナーになりたい。』という質問
があります。

結構その「問い」は反響が大きかったようで「プロダクトデザイナー」の検索
でも上位に位置しています。

問いも答えもなんだか切ないというかそれを見てした人があまりしあわせを感
じないかと思うのでわたしなりに「回答」をしてみようと思いました。

まず「プロダクトデザイナー」というのは資格ではありません。
明日から「わたしはプロダクトデザイナーです。」と名刺を作ってもだれも文
句は言わないというか言えないと思います。

いやまず「プロダクトデザイン」ってなんのかを自分なりに掘り下げて考えて
みる必要があります。

わたしは「中学生のためのプロダクトデザイン入門」でこう書きました。
「ひとの気持ちがわからないとできない仕事」だと。

逆にいえば「ひとの気持ちがよくわかる人」はおおいにこの仕事に向いていま
す。 わたしはそういう意味でそういう質問箱に問う行為そのものが「わかっ
ていない」ように思うのです。

まず自分がプロダクトデザイナーになりたい気持ちの「真意」と向かうべきで
す。なぜなら「自分がしたい」ということを抽象的にそういうところで問うて
いったいなにが得られるんでしょうか。

自分が足りないところを問う前に「なにが相手にプレゼントできるのか」
「なにが自分とつき合っていてよかったと思ってもらえるのか」そう考える
べきだと思うのです。

プロダクトデザインで「絵のチカラが必要」だと言われているのは、「絵が
必要」ではなくて「相手とコミュニケーション」を円滑に進める為に必要なの
です。なにも「絵だけがうまいとほめられる」為にあるのではありません。

ただ「上手い」ということは相手の気持ちに感動もあたえる力をもっているの
でないがしろに出来ませんが、さきほども書いたように「相手の気持ちがわ
かって、コミュニケーションがうまくできる」のならさほど絵に頼る必要もあ
りません。

なんだかそういう問いをされるだけで、時代が「プロダクトデザインがあまり
世間に知られていなかった」時にもどってしまったようで残念なんです。

なぜならデザインの世界が多様で「おおきな会社」と「有名なデザイナー」
だけではないという事がインターネットを通してわかったはずなのに、その
広がった世界で『世間は狭い』というのはなんとも矛盾を感じます。

ここで成功しているデザインの専門教育をうけていない人たちをあげるのも
もうしわけないのでやめておきますが、現在入るのが難しい美大を優秀な成績
で卒業してすら就職をするのが難しいことも現実としてあるのです。

「ひとの気持ちがよくわかる人」になるにはどうすればいいか?
例えばアルバイトで飲食店に勤めている時にそこで使われている食器が「洗い
にくい」「乾燥しにくい」「こわれやすい」「重くてたいへん」そういう声を
集める事です。そういう目で「まわりを見ている」ことです。

そうやって感じた事を、3Dのソフトを買って自分で絵にする。粘土を使って
模型を作る。陶芸教室に通ってそれを焼いてもらう。そしてその飲食店が
チェーン店だったら社長にその器をプレゼンテーションする。そのアイディア
をプレゼントする。

ビデオショップでバイトしているならその展示されている棚がほんとうに「見
やすいか」「取り出しやすいか」「どこに並べたものがよく借りられるか」
そういった流通の仕方やお客さんの行動をずっと見ている事です。

『こういう展示棚であればもっと多く収納できて通路が広くなる。』また模型
を作る完成予想図を作成する。そして責任者にプレゼントする。

実にたのしいですね。わくわくします。身の回りを納得できる生き方から
愛される生き方からプロダクトデザインはうまれるのです。

プロダクトデザイナーはいい仕事です。 でも「いい仕事といえるプロダクト
デザイン」は自らの手でそうするのです。

どういうところを通るのが大事ではありません。あなたがしたことで相手が
しあわせになれる道を探す事です。

11:49 AM

January 09, 2010


余白

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先日すぐれたコマーシャルには「余白」があるといった主旨の事を書きました
がずばりそういう商品名のガスストーブがありました。「YoHaKu」

なにより佇まいが美しい。

これはいいなあ。

北欧の家庭用品や家具を扱っている「ILLUMS」との共同開発となっていますが、
デザイナーはどなただろうと調べたら、東京ガスとリンナイのデザイナー名が
列記してありました。

発売からすでに一年半が経過していますが、わたしは今日までその存在を知り
ませんでした。

これも昨日書いた事ですが、ほんとにいいデザインがあっても紹介されないこ
とが多いなあといまさら思う訳です。ただユーザーは賢明でそういう製品を自
ら見いだしてちゃんと売れているのが救いでしょうか。


11:43 AM

January 08, 2010


負荷

trystramsのリリースがNIKKEI DESIGNネットに掲載されています。

昨年の暮れにリリースされてからおおくのサイトで取り上げていただきました
し、年がかわってからもいくつもサイトで紹介していただきました。

今デザインの記事になるのがとても難しい時代になっていると感じているので
なおさらこの事をうれしく思うのですが、それはとりもなおさずコクヨという
メーカーの動きを世間が注目しているからに他なりません。

今年になってからは、新宿のOZONEにもある英国の高級雑貨・インテリアを
販売する「ザ・コンランショップ」がコクヨS&Tのグループの一員となった
のですが、同時にtrystramsの販売基盤がどんどん整っていくことも意味して
いるんだと捉えています。

昨年の2月にエキサイトイズムに掲載されたインタビューの中で『一番優れた
デザインは価格だ。』そう話しています。

すでに「そういう流れ」ではありましたが、デザイナーがあえて価格に踏み込
んで話すのをわたし自身覚えがありません。

プロデューサーや企画であればそれは周知の「事実」ではあっても、デザイ
ナーはひたすら自分が表現したい「カタチ」や仕上がりに執着し「できるでき
ない」でまわりと格闘するものそう「思われている」と考えています。

それは、かつて私自身がそうだったことを言っているにすぎません。

しかしそれでほんとうに説得できるんだろうか?それよりもなによりも買う人
の共感は得られるんだろうか? 「買う人」でもあるわたし自身の切なる本心
でもあります。

作る側には作る側のルールと言うか流れがあってそれにのって「だだをこね
る」のがデザイナーにとっては一番「うまい」方法なのかもしれません。

時代や空気に「乗っかっていれば」やんちゃでいるのは案外に楽なものです。
他方、敬語を使い文法にのった美麗な文章で企画を作っても『それはそういう
かたちでおつくりにならないほうが賢明かと思います。』という人の方が
やっかいで面倒くさくて「困った人」であるのです。

わたしはそのどちらも演じる事はできるかと思っていますが、どうにもねっこ
の部分は後者なんですね。 だからときどき「やんちゃ」もしますが、なんと
気持ちが良くて楽だなあと思います。

『作れないかもいれないけれど、やっちゃいました。』『おーすごいね。さす
がですね。』実にたのしい。 

わたしは思うに、いつも「負荷」を自分に課しています。

「良きものをつくりながら、実はそれが実は躊躇しながら生まれている事を見
せる事」

わたし一人ができるデザインはたかがしている。
共感してもらってそれを感じて実際にデザインする時に生かしてもらう。

「躊躇しながらいいデザイン」をする人がひとりでも多く生まれる事を
期待しながら。今日もわたしは躊躇する。


08:07 PM

January 07, 2010


歴史

知り合いにジャズが大好きな人がいました。

その彼に『クラシック音楽は聞かないの?』と尋ねたら、彼はこう返事しまし
た。『老後のたのしみにとってあるんです。』と。

もう20年も前の話ですから、当時まだ彼は30過ぎたぐらいじゃなかったで
しょうか。

わたしにとって「とってある」のは歴史小説のように思います。

ファンも昔からおおい「ジャンル」でしたが、最近は「歴女」なんていうネー
ミングまで生まれて龍馬のテレビドラマでさらにヒートアップの様相です。

なぜとっておくかと言えばそれは「過去」だからです。
いつになっても「間に合わない」ということはありません。すでに「間に合っ
て」いないわけですから。

そんなわたしが昨日放送されていた「真田幸村と伊達政宗」の話に引き込まれ
ておりました。

端的にかっこいいわけです。心構えと生き様が。

カラーテレビになって(古いなあ)液晶の大画面になっていい音になって
それを暖房の効いた夜でも昼のように明るい部屋で、ソファーに座って。
そりゃあ快適です。 画面の向こうもなんだか「冷暖房完備」「移動も容易」
「上水道完備」「食料豊富」「病気対策万全」そういうインフラの中でかっこ
いい生き様をしているように一瞬「勘違い」してしまいます。

わたしの出た学校の一帯は古戦場の跡でした。小牧長久手の戦いがあったとこ
ろ。

簡単に「小牧」「長久手」なんてひとくくりにして言っていますが、実は小牧
と長久手の間にはえらい距離があります。それどころかちょっと調べると
秀吉が3月21日に大坂城を出発して3月27日に犬山城につくと書いてあったり
して、とんでもない距離を足軽は歩いてお供していた訳です。(それに比べれ
ばべらぼうに小牧と長久手は近いですが)

とうていわたしにはついていけそうにありません。どうも歴史小説もリアルに
なってしまうわたしには向いていないのかも。わかりません。

07:45 PM


水谷孝次さん

昨日、名古屋国際デザインセンターから封筒が届きました。

そこには第7回名古屋国際コンペティション「名古屋デザインDO!2010」
作品募集がはじまったというお知らせが載っていました。

テーマは「未来のためにーまもる・すくう・できる」。

今回も今の世界をとりまく情勢を反映したタイムリーなテーマとなっています。

隔年のコンペティションなので、前回は2年前になるのですが、その時の審査
はとても印象深いものでした。

応募数が1300点以上でかつ国際コンペという事で英文主体のものも相当数
あったにもかかわらず、事務局の方の周到な準備があってスムースな審査をす
ることが出来た事がすばらしかったのですが、さらにいえば審査委員長をされ
たアートディレクターの水谷孝次さんの裁量がその場の進行や結論におおきな
チカラがあったと思います。

人柄のすばらしさとデザインについての厳格な尺度そのバランスの妙がコンペ
の意義をひきたたせていた。

なにかにつけてその事を思い出すのですが、そのタイミングで水谷さんの近況
を知ったのですが、明後日9日に水谷さんの本「デザインが奇跡を起こす」
発売されます。

さらに翌日の10日には「情熱大陸」に登場されるそうです。

なんだか活動がすごいのです。

昨年の9月日比谷パティオで開催されていたイベントを見させて頂きましたが
まっくろに日焼けしたお顔と、会場を駈けるようにまわられていた様子が
記憶に残っています。

別段紹介をたのまれたわけではないのですが、そうしたくなるそういう人なん
だと思います。水谷さんは。

審査の時に『グラフィックデザインは、消費されてカタチを残すのがむつかし
い仕事です。だから具体的に残るようなカタチで人につくすことをしたいんで
すよ。』という言葉を思い出します。

10:20 AM

January 05, 2010


「秋田道夫のライフスタイル」展

2月の中旬に、天童PLYで展示会をさせていただくことになっております。

ほんとうは12月に開催のつもりでありましたが、さすがに三ヶ月連続の展示
会は難しかったので、すこし先に延ばしていただきました。

なにをしようか、いや最初はここでもお知らせしたことがありますが「動く静
物展」の予定だったのですが「動く静物展」からあたまが「動いた」わけです。

「秋田道夫のライフスタイル」展もしくは「プロダクトデザイナーのライフス
タイル展」

この仕事場をそのまま(は難しいですが)展示してしまおうと。

ちなみにデスクも本棚もわたしのデザインによる特注品です。
特注品というとかっこいいですが、ぜんぜん「ふつう」なものですが、ちょっ
とこだわりがあったりしてね。

それから特注の「ホワイトボード」。これが主人公ですね。

そして自分がデザインしたものを日常で使っていることの様子を見せる。
これも大事。

なんだかおもしろそうじゃないですか。

11:20 AM

January 03, 2010


ことばをかたちに

あけましておめでとうございます。

うーん確かに正月は「在った」なあ。よかったなあ。

今年最初の話題は「ことば」の事。

昨年の暮れツイッター上で昔のインタビューの中で掲載されていたことばが
すごい数の共感となっていた事に驚きました。

『機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる。』という
ことば。 もう5ほど年前になるんでしょうか。

スタジオボイスのブログでも取り上げたことがあり、そこで
このことばが生まれた背景を書いています。

会社員時代にそういう事をいいながらお仕事していたわけです。
もちろん突然そんな言葉を発してまた沈黙をするわけもないわたしですから
ブログのように毎日なにかをまわりのデザイナーにも企画の人にも設計の人に
もたぶん話していてその中から生まれた「ひとつ」にすぎなかったでしょう。

つまりインハウスデザイナーであっても「ことばでデザインする人」がいたと
いう事を伝えたかったのです。 「くちでデザインする」じゃないですよ。
(そういうの含まれていますが) ことばによってそれをつくるにあたって
自分を「しばって」しまうかもしれない。それでもなお「ことばにしたいこと
がある」そういう状況のなかで生まれるものを大切にする気持ちです。

わたしが「プレゼンテーション」という言葉というか行為が好きでないのは
「毎日手加減せずに自分をまわりにプレゼしていれば、説得力はプレゼンテー
ションの場に行く前に完成している。 その場では「愚かである」ことの
方が上手く事が行くような日頃」の重要性を言っているのです。

自分が自分の言った事を実現する為にいささか「不自由」に過ごす事によって
のみ生まれる成果があるのです。

新年そうそう重くてすみません。しかしこれこそがわたしの「信念」でもある
のです。


06:13 PM