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November 04, 2009


「この10年」展の会場に掲示し配布もしているテキストを掲載します。


「この10年」展
プロダクトデザイナー秋田道夫の場合
21世紀最初の10年間についてプロダクトデザインの系譜を書き留められない
ものか。そういう思いがあって、まず「自分の10年だけでも明らかにしてお
こう」というのがこの展示会の主旨です。

プロダクトデザインの勉強を始めた時からすでに40年近い歳月が経ちました
が、わたしのデザインはほとんど「フォルム(造型)」が変わっていません。

デザイン学校バウハウスと建築家ミース・ファン・デル・ローエ、バウハウス
の系譜であるブラウン社の初期の製品というドイツデザインの図学的でシンプ
ルかつ堅牢なカタチ。それから1960年代から80年代初頭までのイタリアのデ
ザイナーであるマリオ・ベリーニやエンゾ・マリに見られる基本形の応用と素
材の組み合わせの絶妙なカタチ、このふたつの国で生まれたデザインがわたし
の造型の「芯」です。

80年代にはプロダクトデザインの世界に劇的な変化が生まれました。それは
コンピューターの普及です。90年代に入るとハードウエアもソフトウエアも
急激に価格が下がりはじめ個人のデザイン事務所でもコンピューターによるデ
ザインが可能になりました。そして製造側もコンピューター制御の工作機械が
導入されて、かなり「自由」な形状が容易に加工できるようになりました。

わたしは、その「自由」によって実は「不自由」になりました。プロダクトデ
ザインの世界に「奔放な色とカタチ」があふれるようになって、自分が「芯」
と思っていた直線と円の組み合わせがなんとも物足りなくなり、「自分らしか
らぬ」世界に足を踏み込んだのです。カタチの「芯」もなければ「物差し」もな
い10年だったと思います。どこまでいってもここで止めるというポイントが
見いだせない世界でした。

なによりも問題であるのは、わたしがプロダクトデザインを利用した「造型作
家」となって自分のアピールだけに終始し、使う人というとても大切な視点が
欠けていた事です。

その世界から抜け出すきっかけになったのが、98年にデザインした公共機器
セキュリティーゲートと2002年にてがけたデバイスタイルのデザインでし
た。

会社員時代に業務用の製品を多くデザインしたときの気持ちが蘇り、「カタ
チ」ではなく「使い勝手」「堅牢性」というロングライフたりうる素材と形状
を素直に追い求めることによって「結果生まれる」カタチの大切さを気づくこ
とになりました。

「使う人が主人公で製品は道具に徹する事」この考えがわたしのデザインを支
えるようになりました。素材も耐久性のあるステンレスが多くなり、カタチも
シンプルでミニマルなスタイルに戻りました。その後に手がけた
MA(Modern design for All)ブランドの生活家電、ハイアールの冷蔵庫と
洗濯機どちらの製品についてもそういった考えが色濃く反映されています。

デバイスタイルが生まれた頃から、ある意味一世を風靡した「デザイン家電
ブーム」がやってきました。わたしはデザイン家電の定義を「生活をたのしむ
人たちのライフスタイルに適したインテリア性の高い生活家電とその周辺」と
考えていますが、どうもそこで展開されているデザインの傾向にはぴったりと
はまる事は出来ませんでした。

その前の10年であればカラフルでプラスティックな形状を生み出したかもし
れませんが、たぶんそういうデザインをしていたらわたしには生活家電のデザ
インは、手がける機会が生まれなかったのではないかと思っています。

個人で使うものに「公共性」「社会性」は存在しないのか?家の外と家の中で
そんなに人の「立ち居振る舞い」は変わるのか?そういう仮説をもとにわたし
は「公共機器」と「個人向け製品」を一度「一列」に並べて考えるようになり
ました。

そういう中から「しつけのあるデザイン」というコンセプトが生まれました。
人の目があるか無いかではなく自分の中にあるけじめを大切にすること、そう
いう人の日常をサポートするようなデザインの有り様を大事にした「かたち」
を思うのです。

本来、デザインは「個性的」なものであると思いますが、わたし自身は「社会
性」の中に「個性」を見いだした。そういう10年だったと振り返っていま
す。


2009年10月30日
プロダクトデザイナー 秋田道夫  

04:52 PM