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May 28, 2009


明るく前向きに

加藤さんのブログFORM_Story of designで、先日開催された岡田栄造さんの
トークイベントについての文章「デザインを語ることの難しさを知る」はとて
も重要なことに言及されていると感じました。もちろんそれはトークの内容に
あるのですがそこにさらにデザインや建築のライターをされている加藤さんの
日頃の思いが重なっているからですが、その上にわたしも取材される側であ
り、書く事もしているという自分の思いを重ねて読み取ったからですが。

長文で内容が濃い。更新されない期間が長かった理由がうかがわれます。

日頃「コピーアンドペースト」で他の人の書かれた文章を引用する事は避けて
いますが、この力作で的確な文章は、どうしても「コピペ」したくなったので
お許し下さい。

『一方、お二方とも読者としてはデザイン誌はあまり買わないという。人の原
稿はあまり読まない。そもそも文芸誌と異なり、雑誌を隅から隅まで読む、と
いうこと自体前提としてないのではないか?雑誌には極端な話、いい写真とい
いタイトル、いいキャプションがあればいいというのは御二人に共通の意見の
ようである。』

わたし自身先日ブログGreenboardに『最近は、デザインに関する情報を見な
いようにしております。そしてイベントにも足を運ぶ事もあまりありませ
ん。』と書きました。 このイベントにも伺いませんでした。

その一方加藤さんはこう書かれています。
『また責任のある立場の人の発言の影響力の強さも改めて実感し、それに思い
を巡らす良い機会にもなった。例えばそれは、もしこの会場に来た人が今回の
藤崎さんと岡田さんとのトークのなかにあった、デザイン雑誌は買わない、
というところを深読みもなく言葉どおりに真意にとってしまったとしたら?
僕ら同業の者はその言葉を世のデザイン誌を手がける一流の編集者による、自
戒の意味を込めての言葉=苦言と捉えることが出来る。しかし会場に来た一般
のデザイン好きの人たちが、それをデザインの書籍を手がける現場の本音とし
て聞いてしまったとしたら?僕は影響力を持つお二方の発言だけにそんな不安
を覚えた。』

岡田さんも対談された藤崎さんもこれまでどれだけの本を読み雑誌を読み、さ
らに情報を生に経験するためにそのイベントなり建築に実際に足を運ばれて文
章を紡いでいることは「ちょっとした一文」で十分に感じています。

同様にわたしがこれまでどれだけのデザインに対して知識を重ね(自分で書い
ちゃいけない部分ですが)てきたか、「それがあった上で今は見ない・読まな
い」と伝わっていなかったら。

どうして「見ない」ところに行き着いたか? そこに対しての疑問と仮説(昨
日も同じ事書いてますが)を感じてもらえなければ「行間する」のも意味は無
いのです。

『現状のデザイン誌はなぜ面白くないのか?デザイナーじゃないからデザイン
そのものの批評を読んでもしょうがない、読者に読んでもらう為にはなにが必
要なのか?藤崎さんは自己批判をしながら模索する。』

ブログで書くことに関しては、藤崎さんもトークの中でおっしゃっていたよう
に、ブログといえども実名で書く以上、書きながら自分で文章を編集しデザイ
ンしているのだと思う。』

わたしはこのところ書店にいってデザインを扱っていたライフスタイルマガジ
ンが殊更姿を消していったことについてずっと考え続けていてひとつの結論に
至りました。 『そうか、雑誌を作っている人もデザイナーなんだ。だから
アレンジが必要で「自分の色」を求めている。しかしながら「独自のアレン
ジ」と思ってしていたことが、同時期に同じ「ソース(情報源)」に頼って
作っているので、実は読む側には「同じデザイン」に映っていたし、扱われる
人が「一部に限定されている」ということに自覚しないまま「扱われない人」
を生んでいる事に対しても「痛み」とは思われないんだろう。』

その「ソース」が、実は巧妙なシステムや広報活動や広告だったとしたら。

もし雑誌を作る側が「デザイナー」であるとしたら、わたしが「編集者」に
なったらどうなるのか。それがこのブログでもあります。

いや大事なのは『みんなわかってない(くれてない)』と思わないでもっと
読み手には賢明な人達が多くいる事を信じる事ではないかとわたしは思いま
す。

まだまだ続きはありますがまずはここまで。

10:39 AM