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March 05, 2009


認めるという事

「認める」という言葉を考えた。

「見抜く」「見破る」「見透かす」あまりいい意味は無い言葉がならびます。
それらはすべて目の前にいる人の「背中」を見てしまう。そしてそのひとを
飛び越えてその先へと「見る側」の気持が行ってしまう。

それは「見る人」がどれだけ「かしこいか」その証左に他なりません。

そこにそれらの言葉の塊に敢然と「立ちはだかった」のが「認める」という言
葉でした。

認めるとは「見るを留める」そういう意味じゃないかと思ったのです。

つまり「その相手を見続けてしばしその背景(背中)に視点を動かさないそう
いう気持を起こさせる相手のことを「自分が認めた人」ということではないか
そう思ったのです。

それはしばしかずっと「自分の賢明さははじめから相手には及ばないから
その人の前では自分の愚かさえ見せる事が出来る」そういうきもちにさせて
くれる相手ではないかと。

認めるは、分解すれば「ことばを忍ぶ」という意味になりますから認めた
相手には、しばしことばを慎むのかもしれません。

いやそうやって相手の愚かさもつつみこんでそして相手の良いところを感じ取
るそういうことかもしれません。

以上は、全部私の想像と仮説と「希望」によってできた話ですから真偽のほど
は定かではありません。

10:42 AM