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February 22, 2009


くりかえしても伝えたい事

このところ「タイミング」の妙を感じます。

なにをどうするとか自分が考える「かんり」を超えた感じでものごとが動きま
す。

3月になってから掲載されると思い込んでいた記事が、展示会の翌日である明
日立て続けに掲載されるとしってそのタイミングにびっくりしました。

記事の一つは昨年暮れの「80mmのおはなし」にも参加して下さった方がイ
ンタビューをしてくれました。

その事は、インタビューの内容にも反映されています。

そこでわたしが気がつく事がいくつもあるのです。わたしの話で萩原さんが関
心をもたれたポイントも、日頃のわたしが気がついていないというか、自分が
日頃なにげなくしている考えているところが実は「大事」だったり「異なっ
て」いたりする事に気がつきました。

このブログをずっと読んでいる人、イベントに参加して下さっている人にとっ
てはほとんどすでに聞いている内容だと思います。

でもわたしはあえて「繰り返し」したわけです。なによりその記事を読む方の
ほとんど多数がわたしの名前も知らなければ、そのデザインしたものも、まし
てやわたしの声を聞いた事の無い人だと思っています。

わたしが伝えたいのは、「デザインの価値」と「価値」です。
「デザインの価値」とはデザインしたものに対する「スペシャル感」です。
そしてもう一つの「価値」とは、デザインが見えないものにひそんでいる
「デザインの可能性の価値」です。

いや難しいなあ。つまり「なんでもない」様に感じるようなモノをつくるのは
実はデザインが必要である事ですね。「機能的」なカタチには、単にその機能
をかたちにしてもそうならない。まあそんな感じでしょうか。

「これが必要」「あれも必要」モノを考えるとき必ずそうなるのです。
必需品を大勢で集めるとかならずそこには誰かにとっては「必需じゃないも
の」が生まれるのです。

「機能をふやすには技術がいる。機能を減らすには哲学がいる」と何度となく
書いていますが、そこでいう「哲学」とは「すてきな我慢」の事です。

我慢に「すてき」という言葉をくっつけるところがミソですが。

自分が主張した「必需品」を削られた時に感じる不満を、いかに「それ以上の
必需だったもの」を見せて納得して仕事してもらえるか。そこに腐心するので
す。


02:32 PM