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September 21, 2008


層をなす

デザインという言葉や行為は「雲母」板のようなものです。

傍目にみれば「一層」のすけた黒みがかった輝く板に過ぎません。

それゆえすべてのデザイン的行為は、ひとつの「デザイン」という言葉で表現
されてしまいます。

しまいます。と書きましたが、それは逆の言い方をすれば「表現してくれる」
という意味にもなり得るのです。

例えばセキュリティーゲートが六本木ヒルズに導入された事は、「わたし」と
なんら関係はありません。それが評判を得て多くの新しく建てられたオフィー
スビルにも採用されてはじめて「わたし」と結びついたのです。

ヒルズが作られたときセンタータワーと他の塔を結ぶ通りにはストリートファ
ニチャーが著名なデザイナーの手によって作られました。彼らはもちろん森
ビルから依頼をされた事でしょう。

しかし5年が経った今、どちらがどちらという事は世間は「なんとも」感じてい
ないでしょう。わたしもいまとなってはどうでも良い事です。

わたしが、そこからとても貴重な「経験」と「学習」をしたことを除けば。
つまり「デザインはいろんな事情で(レイヤー)で出来ているが、まわりには
そこは感じられない」という事です。

もちろん「その事」をちゃんと見えている人達もいてそういう事を書き表し
たりもしますが、歳月がそのことを被覆して結局は「ひとつのかたまり」に
なってしまいます。

わたしがいろんな仕事を楽しくできるのにその「経験」と「学習」は生きて
います。つまり「カタチにして残す事、そしてそれが長く使われる事」が
大切だという事で「どの層」にその仕事が当てはまるのかについて興味も
注意も払わずに目の前の仕事に集中できるのです。

依頼があった会社の規模も業種もそれまでどんな製品だったかもほとんど
頓着しません。 依頼があった事実とそれに込められた思いがすべてです。
変わりたいという気持、自社の技術をもっと世間に知って欲しいという
気持がこれからを作るしそれを支える仕事が自分のデザインだと思っていま
す。

12:30 PM