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June 09, 2008


みとめるということ


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対談をしていて、ふっと「認める」という言葉について考えることがありました。

ひとやモノを「見抜く」という言葉があったり、人やモノごとを「見透かす」と
いう言葉があってそういう言葉は必ずしもいい状態を表したりはしないと思うわ
けです。

デザインという仕事をしていると、そこにある仕組み(システム)を「見えるよ
うに」置き換える作業が生まれて来ます。

「見えるように」するには「こうやれば見えた事になるだろう」と仮説を立てる
やりかたもありますし、「すでに見えている」仕組みをそこにもあてはまるかど
うか試してみる方法も有効というか「近道」でもあります。

つまりすでにある「仕組み」を多く知れば知るだけ結論めいたものに近寄りやす
くなるわけです。

直感で「見抜く」というこころの動きもとりもなおさずそういう既にできあがっ
たものと重ね合わすことによって生じる「ずれ」を認識しその「ずれ」をよりわ
けているわけです。 多くの「既にある事象」で判断するならまだしもほんの
限られてかたよった仕組みでもってしようとするのが「見透かす」といういささ
か悲しいこころの動きでしょう。

そして思ったのです。「認める」という言葉は「見るを留める」という意味じゃ
ないかと。

相手を見抜かない見透かさない。相手の向こう側にあることに気を及ぼす事なく
そのひとを「見守る」気持。そういう状態のことを「みとめる」というのだと思
ったのです。

「認める」というのは、ふだんの意味としては「相手を評価する」ことだと思う
のですが、それはかならずしも「よくできている」という事ではないと思うので
す。

相手に気持を託したりゆだねたりすること。それは安心感であってぎすぎすした
「どっちがいいいんだ」という関係ではないでしょう。

いろんなデザインもひょっとしたら「カタチ以前の認める認めないという状態」
がそこにあるんじゃないでしょうか。

すべての「見えているカタチ」をとりまく状況はそんなに見えているわけではな
いと思うのです。

12:53 PM