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April 08, 2008


使うという事

今も「新生活キャンペーン」としてハイアールの冷蔵庫と洗濯機が大々的に売られてい
て、この調子でいくと、わたしがデザインした中でもっとも売られた電化製品のひとつ
になるでしょう。

そういう大量にユーザーの手もとにわたっていったものが、ああいう素朴なカタチであ
ることが、なんだか嬉しいのです。

個性的なカタチではありません。ただ売り場に並んでいると「なんだか違う」のです。

ある意味、デザインに関わっている人から見ると「ほんとはここからデザイナーの仕事
ががはじまるんじゃないの」そういう意見すらあると想像しております。

今日ひさしぶりで2年前に買ったパッケージやパンフレット、店舗のサインなどが載っ
た厚みのある本を手にして見返しておりました。

こんなにかっこいいグラフィックが溢れているのかとびっくりしつつ、グラフィックか
ら距離のあるわたしには2年3年経てもまったく目にする事が無いままでいるものが多い
事に驚きもするわけです。

単に「かっこいい」だけでは普及していかないのを感じる訳です。
中身がそれまでの「かっこよくない」ものから変わっても案外そこに人は魅力を見いだ
さないんですね。 逆に「かっこよすぎる」のがいけないのかもしれません。

「仕事をする」ということは、それを請け負った側、発注した側も「結果」をもとめま
す。目が肥えていれば、知識があればそれだけ「フルパワー」をそこに注入するし、
「世界の先端で勝負出来るだけのクオリティー」を発揮したいと考えるのが順当な「デ
ザイナー心」だと思います。

しかしながら受け手はそこまで求めているのかと考えると、「期待していない」部分も
あるわけです。 どうして「買う側」の一人でもあるデザイナーが「出す側のポテンシ
ャル」にこだわるのか。

まあ「恐いんです」ね。ださいと言われるのが。

わたしおよそ30年前(別の意味でおそろしい)雑誌のインタビューで『(オーディオ)
デザインに必要なことはなんですか?』と聞かれて『意識しない上品さと計算された野
暮ったさです。』と答えていました。

なにも知らないというのはおそろしいものです。良くわかっていないのになんだか核心
めいたことを言ってます。野暮ったさの「計算式」なんて世の中には存在しませんし。

言いわすれど、それを「実行」するのはどうすればいいのか判っていっているとは思え
ませんが、少しこの事が「わかって」きたのかもしれません。

先の冷蔵庫や洗濯機、MAのIHやケトル、ミキサーなど「実際に触る部分」つまりスイ
ッチやハンドルなど頻繁に「手とのふれあい」がある部分はけっこう「ださい」と思
っています。

カタチが尖っていないというものあるし表示が日本語だったり(ONOFFという英語は
つかってますが)ふつうに印刷されているし、そんなに「デザインチック」ではあり
ません。

結局「それぐらいの有り様」でないと毎日使っている製品としては「耐えられない」
そう思っているんですね。

遠目には「尖っていて」近めには「やわらかい」そういう感じでしょうか。

06:49 PM