「理解」について

「プロダクトデザインは世間から認知されていない」というのが、わた

しがデザインをする際の大前提です。

仕事先に「デザインへの理解」を求めて、それに相応しくないと『デザ

インを判ってないなあ。』なんて言いがちですが、わたしはそれが当た

り前だと思っています。

まあそう「捉える」だけでデザイナーのもやもやが結構晴れるかと思い

ます。

「デザイナーになりたい人」は、デザインへの理解を深める為に様々な

デザインの歴史やすぐれた製品を学んで来た訳ですが、それは逆にいえ

ば「デザインが当たり前であるという思い込みを育んで来た」事でもあ

ります。

わたしの場合、工業高校ですでに「工業デザイン」を学びましたが、そ

れはふつうの学生が同じ時に学んでいるだろう数学や英語理科社会の学

習の時間を大幅に削って学んでいたのです。

芸術大学に受かった後も「一般教養不足」の思いがあっていろんな本を

読みあさっていました。それは社会人になっても変わりませんでした。

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今でもそうですが講演会で「デザイン」の話をあまりしません。

わたしにとってデザインは「自然」であって「身に付いているもの」で

す。「そうなれるだけの時間をデザインにかけてきた」のです。

「それだけの時間をかけた人」が「別の事」に時間をかけて来た人達に

デザインの話で得意になるのは簡単です。

プロダクトデザインが「スペシャル」な事だと思っているのは、とうの

デザイナーとその周辺にいる人達だけです。

「プロダクトデザイン」が一般に理解されていればもっとデザイナーの

数は多いし、それを目指す若者の数ももっと多いし、さらにいえば「も

っと儲かる仕事」になっているでしょう。

わたしの出た大学でもプロダクトを選ぶ人は一番少なかったのです。

いまもその状況は変わっていないようです。

今も昔もデザイナーといえばグラフィックかファッションです。

なぜならみんな「絵」は描くしみんな「服」は着ます。さらにいえばレ

ベルの差こそあれ自分で作れる描けるわけです。

Facebookでリーチ数が多かったのは、大和茶のロゴマークのとミルカ

のロゴマークのお話とある場所の風景スケッチでした。

つまり「見れば判る」「見ただけで伝わる」ものであってプロダクト

デザインのお話ではないわけです。

その差は1500対300ぐらいで実に「5倍」も理解度に差が有る訳です。

5倍はリアルな数字です。たぶんそれはグラフィックデザイナーの人

数とプロダクトデザイナーの人数の差に近いのではないかと思います。

近年のプロダクトデザインで有名になった製品の多くが「グラフィッ

クデザイン的」になっているのもむべなからぬ事であり、グラフィッ

クデザイナーが工業製品を手がける機会があってもなぜかプロダクト

デザイナーはグラフィックをしないという事にもつながっていきます。

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つまりプロダクトデザイナーは「総合的でも集約的な存在ではない」

という事が世間に「理解(?)」されている訳です。

とはいえそんな事は百も承知で「よろこんで」この仕事を続けてきた

わたしにはいささかも落ち込んだり悲しくはない訳です。

この文を読んでいる若いプロダクトデザイナーの人に「一般の目」を

知って欲しいと思って書いています。

「世間に理解されたい」と思っているプロダクトデザイナーのやるべ

き方法は明確です。

「グラフィックデザイン」を念頭に製品のデザインをし、グラフィッ

クデザインとして成立する「説明資料」を作り、グラフィックデザイ

ンの専門誌にも取り上げられなくてはいけない訳です。

「絵は上手くなくてもプロダクトデザイナーは出来ます。」

しかし世間から認められているデザイナーを見ると絵の上手さが際立

っていたり「グラフィックデザイン」の見地からみてもデザインに破

綻はないのです。

さらに言えば「コトバ」です。

もしプロダクトデザインに自信があるのならグラフィックセンスを磨

き「コトバ」を磨くのが「世間からの理解」への道筋です。

プロダクトデザイナー 秋田道夫