みる事

わたしのデザイン哲学というか生きる上で大事に思っているのは
「見てみる事。やってみる事。辞めてみる事。」だ。

美術大学の予備校に通いだしてから石膏デッサンを毎週のように描くよう
になってからそれは見る見る上達した。

それを続けていれば相当の域に達っしただろうなあと今でも思う。

しかし年の瀬も押し迫った頃には、それはもう辞めた方が良いと思った。
得意を続けていればそれはとても楽しいし優越感も感じられるが、それと
引き換えにデザイン全体で大切な事から遠ざかるような気がしたからだ。

大学に合格してから授業でデッサンを2・3枚描いたとき、すでに予備校
で描いていたものとは比べ物にならないぐらいに上達していた。

大学には受験生にはあこがれの存在だった石膏室という巨大な石膏像が並
んだ専用の棟があって、わたしもそこで描くのが合格後の夢だったので、
そこにイーゼルを立てて数枚のデッサンをしてみた。

描いて見てすでにわたしの気持ちはそこにはないことが判った。たしかに
デッサンは大事な「素養」を磨くすべではあったが、ずっととどまる場所
でもないように思えた。

そういう気持ちになった時、わたしのそれまで描きためたデッサンのはい
ったカールトン(画板)がその場所からこつ然と消えた。

わたしはふしぎとそのカールトンを見つける事に執着しなかった。

これはデザインの神様が「それからそこから卒業しなさい。」とわたしに
言っているんだと思ったからだ。

その事があってからわたしは長い間その部屋に入る事はなかったし、ちょ
っとした静物さえ描くのをやめてしまった。大学1年の暮れだった。

そこで学んだのは「見る事」だった。対象物を見る事こそがスケッチだと
思った。

わたしよりもデッサンが上手い人が沢山いる事はよく自覚している。
しかし目の前に「すぐれたスケッチ」があれば数ヶ月後にはそれが自分で
も描けるという目をもっていると思っていて、その気持ちこそが財産だ。

つまり「見てみる。やってみる。辞めてみる。そしてまた見てみる」事だ。

会社員時代に広くコンピューターが普及して、さいわいな事にいち早く図
面をコンピューターで描くCADを導入した会社にいたが、スケッチや手描
きの図面を面白そうにしているわたしの事をまわりからは「いつまでも手
描きにこだわる職人肌」と思われていたがさっさとわたしはCADのトレー
ニングを受けた。

やってみなければわからない。なにが良点でなにが欠点なのか。わかって
いたのは、好むと好まざるにかかわらずこの潮流にはさからえないという
事だった。

独立してからは、ワープロを買い、ファックスを導入し、コピー機をリー
スした。青焼きの機械を買い、大きな熱線カッターを置いた。撮影用に高
価なカメラを買い、撮影用のランプもあった。

ただでさえ狭い事務所は大きなドラフター(製図機)とデザイン雑誌の本
棚と資料のカタログの入った特注の本棚。それらのものであふれかえって
わたしがなんだか住まわせていただいているような感じの事務所だった。

今わたしの手元には、「なにも残っていない」。ファックスですらやめて
しまった。本も大量に始末したし、資料のカタログも雑誌もほとんどない
図面も保存期間を過ぎたものは処分している。

部屋はすっからかんで、自分のてがけた製品やもらった賞状も飾ってはい
ない。

やっと自分が居ても良いと思える事務所を手に入れるために「そうやって
みて辞めてしまった」歴史の上にやっと生まれた「がらんどう」なのだ。


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