Archive of December 2011
December 31, 2011
2011年の感謝
皆様へ
この一年ほんとうにお世話になりました。
たいへんな年でした。公私ともに最後の最後までなにが起きるかわから
な一年でした。
「なにげない日常のありがたさと価値」を実感する年でした。
自らの非力を痛感する事も少なくありませんでした。しかしその非力の
自覚を次につなげなくてはいけないと感じています。
「非力の自覚から有力を成す」 デザインという仕事を通して少しでも
みなさんの日々の幸福と充足につながるように真摯に考え行動したいと
思っています。
この一年ほんとうにお世話になりました。
新しい年がみなさまにとってすばらしい年であるように願っております。
プロダクトデザイナー 秋田道夫
6:06 PM
December 31, 2011
繰り返し
言葉もカタチも「繰り返さないと伝わらない」。
それが今から6年ほど前にたまたま飛行機の中で聞いた落語から得た大きな
スタイルのヒントだった。
名人と評価の高いその老落語家は「繰り返して話をするような芸のない」人
ではない。その方が古典落語の演目の中で何度か同じフレーズを繰り返され
た。
なんだか高い空の上でピンとひらめいた。それは「あえて」なのだと。
わたしはそれまで「自分がそれまでに作ったカタチをトレースしない」と決
めていた。
学校での授業カリキュラムを考える時には出来るだけ「去年やらなかった事」
を考えた。 目的が同じなのに違う課題に換えるのは至難だった。
自分のカタチを変え続ける事はとても難しく高度だ。ピカソがいつまでも人
の記憶に残り続けるのは「変貌」とそれらの変化が高いレベルでなされてい
る事への畏敬である。
わたしは、考えた。「あえて」繰り返そうと。
ピカソが変貌したといってもそれらの段階でとても多くの仕事を成したから
こその話であって、わたしが変貌の段階には達していない。もっとひとつの
スタイルを続けてみようと。
セザンヌは言った「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」と。
それはそのままバウハウスのデザイン理念にも繋がって行った。
わたしはデバイスタイルの仕事の中でその言葉に倣ったかのように円筒で構
成された1本用のワインセラーをデザインし、円錐のコーヒーメーカーをデザ
インした。
そしてその特徴的でありながらモノのカタチとして究極たる円筒形」にこだ
わろうと思った。
プリンターで円筒を用い、ケトルで用い、ボールペンに用い、土鍋で円筒を
モチーフにした。
わたしは講演でも「同じ事を話す」事に抵抗が無くなった。
まだまだなのである。まだまだ繰り返さないと気持ちは相手に伝わらない。
11:23 AM
December 29, 2011
巡礼
あらかじめショップが閉まっている事は判っていた。おそらく昨日まで喧噪
に近いぐらいに人が訪れた事も快晴のおだやかな日にはなんの痕跡もそこに
はなかった。
生前の柳さんと会い話もされた事のあるTさんから誘っていただきかつ今日は
閉まっていますよと聞いたからだ。
尊敬と行動は一致しない。わたしはかつて『恩返しというのは受けた本人に
は返せないものだ。その気持ちを次の世代に渡すように出来ている』と書い
た事がある。
それがどういう仕組みで出来ているのかは知らないし、そんな「格言」を聞
いた事もない。
さらにいえば恩や恩恵が別段自分にされていなくても「感じる」事がある。
デザインされたものを日常使う事、さらにその制作意図や気持ちの書かれた
文章にわたしは「ありがたい」という気持ちを持ったりする。
「気持ちは製品にこめてあるよ」「製品を愛する事が敬意だとおもっている」
そういうメッセージを静かな空気から受け取った。
7:08 PM
December 28, 2011
紹介し続けることについて


奇妙だなと思う一方でやむをえないと思うのが、ロングライフといいながらいつ
も「新製品」ばかりもてはやされる。
プロダクトデザイナーのブログは、この新製品主義という「価値基準」に照らし
合わせて考えるととても向いていない。
みんなが読みたいのは新製品が生まれるまでのスリリングな葛藤だと思うけれど
一番「気持ちが盛り上がっている」製作段階での話はまったくその気配すら公に
出来ないからだ。
勢いプロダクトデザイナーは、だれかの展示会に行ったとか映画を観たとか、
買った、食べた、そして友人や家族の話を「せざるをえない」。
読みたい?読みたくないですよね。クールじゃない。
わたしは「そういう暗黙の流れ」を断ち切りたいと思っている。じゃあなにをし
たかというと「発表後の自らの製品の使用リポート」をし、いろんなところで活
躍している「その後の製品」について長く続ける事だった。
自作を語り続ける事は陳腐な「自慢」に映るのは承知の上でわたしはこういうカ
タチがデザイナーの中で当たり前になるようその最初のステップだと思っている。
宣伝や広報をこえた「責任」のようにも思っている。
コクヨのiDeo hubstyleが発売されたのが1997年の暮れだと思うので、まる4年が
経過した。
自身その発売当初から使い続けていてどこも故障しないし手に触れる事の少ない
ハブの部分は純白のままだ。do-nabeも家で活躍している。
買って安心使って安心いつまでも「フレッシュ」。それこそが宣伝を越えた実感
のこもった使用レポートだ。
5:07 PM
December 27, 2011
みる事
わたしのデザイン哲学というか生きる上で大事に思っているのは
「見てみる事。やってみる事。辞めてみる事。」だ。
美術大学の予備校に通いだしてから石膏デッサンを毎週のように描くよう
になってからそれは見る見る上達した。
それを続けていれば相当の域に達っしただろうなあと今でも思う。
しかし年の瀬も押し迫った頃には、それはもう辞めた方が良いと思った。
得意を続けていればそれはとても楽しいし優越感も感じられるが、それと
引き換えにデザイン全体で大切な事から遠ざかるような気がしたからだ。
大学に合格してから授業でデッサンを2・3枚描いたとき、すでに予備校
で描いていたものとは比べ物にならないぐらいに上達していた。
大学には受験生にはあこがれの存在だった石膏室という巨大な石膏像が並
んだ専用の棟があって、わたしもそこで描くのが合格後の夢だったので、
そこにイーゼルを立てて数枚のデッサンをしてみた。
描いて見てすでにわたしの気持ちはそこにはないことが判った。たしかに
デッサンは大事な「素養」を磨くすべではあったが、ずっととどまる場所
でもないように思えた。
そういう気持ちになった時、わたしのそれまで描きためたデッサンのはい
ったカールトン(画板)がその場所からこつ然と消えた。
わたしはふしぎとそのカールトンを見つける事に執着しなかった。
これはデザインの神様が「それからそこから卒業しなさい。」とわたしに
言っているんだと思ったからだ。
その事があってからわたしは長い間その部屋に入る事はなかったし、ちょ
っとした静物さえ描くのをやめてしまった。大学1年の暮れだった。
そこで学んだのは「見る事」だった。対象物を見る事こそがスケッチだと
思った。
わたしよりもデッサンが上手い人が沢山いる事はよく自覚している。
しかし目の前に「すぐれたスケッチ」があれば数ヶ月後にはそれが自分で
も描けるという目をもっていると思っていて、その気持ちこそが財産だ。
つまり「見てみる。やってみる。辞めてみる。そしてまた見てみる」事だ。
会社員時代に広くコンピューターが普及して、さいわいな事にいち早く図
面をコンピューターで描くCADを導入した会社にいたが、スケッチや手描
きの図面を面白そうにしているわたしの事をまわりからは「いつまでも手
描きにこだわる職人肌」と思われていたがさっさとわたしはCADのトレー
ニングを受けた。
やってみなければわからない。なにが良点でなにが欠点なのか。わかって
いたのは、好むと好まざるにかかわらずこの潮流にはさからえないという
事だった。
独立してからは、ワープロを買い、ファックスを導入し、コピー機をリー
スした。青焼きの機械を買い、大きな熱線カッターを置いた。撮影用に高
価なカメラを買い、撮影用のランプもあった。
ただでさえ狭い事務所は大きなドラフター(製図機)とデザイン雑誌の本
棚と資料のカタログの入った特注の本棚。それらのものであふれかえって
わたしがなんだか住まわせていただいているような感じの事務所だった。
今わたしの手元には、「なにも残っていない」。ファックスですらやめて
しまった。本も大量に始末したし、資料のカタログも雑誌もほとんどない
図面も保存期間を過ぎたものは処分している。
部屋はすっからかんで、自分のてがけた製品やもらった賞状も飾ってはい
ない。
やっと自分が居ても良いと思える事務所を手に入れるために「そうやって
みて辞めてしまった」歴史の上にやっと生まれた「がらんどう」なのだ。


10:39 AM
December 26, 2011
残された言葉
「デザインは一人で成立するものではない」「技術者との協力の重要性」
「社会から孤立してはいけない」「良いデザインはその製品を使うユー
ザーが良くなければ出現しない」
これらは、25年の時を経てもまったく色あせることのないモノ作りの
本質を言い当てた言葉です。
同時に、正論といえるその言葉にのっとらない製品がその後も生産され
続けられていて、いつまでも柳さんの言葉が「いまさらのあたりまえの
言葉」ではなく「警句」たりえている、この「継続する現状」の強靭さ
としたたかさに、それなりの理由とつじつまがあり、その背景をさぐる
ことこそが重要なのだと。
それはわたしたちに残されたメッセージでもあります。もし現状に思う
ところがあるならば、私たちいやわたしが少しでもそのことに対して
「答え」を出さなくてはいけないでしょう。
わたしが今信号機や券売機といった公共機器の仕事に関わるようになっ
た背景には、柳さんの仕事を知ったことと無縁ではありません。
Pdwebブックレビュー第1回 「柳宗理 エッセイ」より
12:23 PM
December 26, 2011
柳宗理
柳さんがなくなられた。
クリスマスの日に。
わたしは今岡本太郎さんの事を書き、その脈絡から柳さんをウィキペディア
で調べていたら「1915年6月29日 - 2011年12月25日」と出て驚いた。
11:03 AM
December 26, 2011
共感
わたしは『大人は判ってくれない』なんて言う事を若い時に言った覚えがない。
老年に近づいたかと思うこの頃に『この頃の若者はなっていない』と言った事
もない。
大人どころか同世代にも「判ってくれない人」はいたわけで、いつの時代にも
いけてない大人も若者もいるし、いけてる大人も若者もいつもいる。
そういう思考に陥る人に不足しているのは「個々の人が持つ事情と背景分析」
だろう。
おおきなくくりの「概念(偏見)・風評」でもって自分の出会った事例や人を
判断し『やっぱりそうなんだ』と妙に溜飲を下げる。下げるだけなら良いけれ
どさらにそれを「文章にまとめて発表」までしてしまう。
困った事に、日頃「そういう風に感じていた人」が少なくないので共感者がで
てきて『わたしもそう思っていた』と妙に盛り上がってしまう。
つまり分析不足の共感というのは結構簡単に出来てしまう。
しかし次の段階になると「ディティールの調整」という作業がまっている。
どういう事かと言えば「あれは違うだろう」と思っている事柄にたいして実は
個々の感想の「ずれ」があって、そのずれについて触れる事は互いの間で語る
ことは「タブー」なのだ。圧倒的な「同意」のもとにできあがっていなければ
意味がない。その体面を保つ為のネゴシエーションが必要になる
せっかく得られた貴重な仲間「大人はだめだよ」集団の中で必然的に「大人の
判断」が生まれる。
つまりだめな大人もだめな若者も「自分の中」にある。
9:55 AM
December 25, 2011
クリスマスイブの日に
昨日、facebookとツイッターのアカウントを削除しました。
10:24 AM
December 22, 2011
蔦屋書店


代官山に今月出来たばかりの「蔦屋書店代官山店」にあるイベントスペース
「GARDEN」で今日から「大人ディズニーのステーショナリー」というイベ
ントがありtrystrams製品も展示販売されるそうです。(下の写真の右奥に見
える棟。書店内の文具コーナーも素敵)
「現在日本で最も進んだ空間」。それが先日訪れた時の感想です。
感想じゃなくて客観的事実でしょう。
ここは旧山手通りに面した鬱蒼とした樹々に囲まれた巨大なお屋敷跡があっ
た場所。何だろうと思いこそすれ中をうかがい知ることもできなかった。
近くには槇文彦設計の有名なヒルサイドテラスとデンマーク大使館が立ち並
んでいる瀟洒な場所です。 代官山駅から渋谷に向かうほどに「大人度」が高
まるような気がするものです。
去年だったかこの新生蔦屋の横にハワイアンテーストのテラス式のカフェが
できて、そのテラスから「何ができるんだろう」と工事現場を眺めておりま
した。
洋書のコーナーも大変充実していてかつレンタルビデオも通常のお店ではお
目にかかれない旧作も多く揃っていてまさに「ロングテール」な品揃えだと
感じた。
新宿伊勢丹のメンズ館から始まった「高級大人路線」が書店とビデオの世界
にも広まった感があり、trystramsの製品コンセプトが時代とリンクし出した
事を感じています。
8:10 AM
December 20, 2011
30歳
わたしが入社して半年ほどして中途採用で入ってきた方がいた。
すこぶる腕の立つその人は入社してすぐに頭角を現した。それはまさにセ
ンセーショナルだった。
ひとりのチカラで会社のデザインががらっと変わるその現場に立ち会った。
わたしよりも6歳年上だったので会社に来てほどなく30歳を迎えられた訳だ
が、ことあるごとに『30歳のエポックを作る』と言われていてまさにその
言葉を実現された。
わたしはその方がそれまでどういう道をたどられたのかは、専門学校を出
てその会社まで同業種の2つのメーカーを経験していた事しか知らなかっ
た。ご本人もその事について積極的に話す人でもなかった。
勝手な想像で20歳には社会に出ていていたので、10年目の節目として30歳
に特別な意味があるのだろうと思っていた。
最近になってその方が大学にも行かれていた事を知った。
ひょっとしたらわたしよりも社会に出た時の年齢が上だったかもしれない。
そうだとするとものすごい勢いで会社を駆け抜けた事になる。
「体内時計」がふつうの人よりもずっと早く回っていたのかもしれない。
わたしはその『30歳のエポックを作る』という言葉が強く頭に残った。
そして自分も30歳になる前に結婚をし会社を移った。
結果的にわたしには「30歳のエポック」たるデザインは誕生しなかった。
逆に言えば30歳になる前に生んだ仕事をずっと越えられなかった。
今偶然にも、友人には30歳を過ぎたばかりの人が何人もいる。
別段「30歳のエポック」を必ず作らないといけないとは思わない。しかし
その人なりに「くぎり」を設けてそこに向かう事はモチベーションのひと
つにはなるかなとは思う。
12:26 PM
December 15, 2011
心根
一ヶ月前にツィッターにこんな事を書いた。
「この仕事で大事な事は何か。この仕事でしなければいけない自分の役割は何
か。この仕事を通して世に問える事は何か。この仕事を通して世にどう貢献出
来るのか。」
その文章に対してこんなコメントをした人がいた。
『これじゃサラリーマンはつとまらない』
じゃあサラリーマンっていったい何だろうか。
「この仕事で大事な事はあまり考えない。この仕事での自分の役割は大切じゃ
ない。この仕事をしても別段世の中に変化は無い。少しも世の中に役立つとは
思えない。」これが模範的なサラリーマン像なんだろうか。
それじゃあ、あまりにもサラリーマンという存在が悲しい。
例えば就職難の今にあって「これじゃ 仕事人としてやっていけない」という
返答を試験官に回答して採用してくれる会社があるだろうか。
というより「正論かもしれないけれど、これは建前ですよね」と面接で答えら
れる「勇気」のある学生がいるだろうか。
たぶん「つとまらない」と書いた人は『それじゃあ、職場で浮いてしまうし
上司の機嫌を損なう』という自分の近い環境での「生存」を理由にそう思われ
たのかもしれないけれど会社は「この仕事で大事な事は何か。この仕事でしな
ければいけない自分の役割は何か。この仕事を通して世に問える事は何か。こ
の仕事を通して世にどう貢献出来るのか。」を真剣に考える「会社人」を求め
ていると断言出来ます。
別段そんな「格言」めいた事を毎日誰彼に言う必要も無い。
ちゃらーくかるーく『そうっすねー』と上司に返事してもかまわない。それも
それなりに勇気がいる話だけれど心根は『自分がすることは社会に貢献する為
にある』そういう気持ちでいてしかるべきだと思う。
もちろんコメントを書いた人は「そんな事はわかって」書いたでしょうが、少
なくともその気持ちは「伝搬」すべき事ではないと思う。
広げるべきは「希望の持てる事」であってほしい。
6:47 PM
December 15, 2011
はじまり
この2辺のカタチはわたしのデザインの「根っこ」です。
その昔、自分の事務所の名前であるDESIGN BASICの文字の下にこの形を
添えていました。
それは自分のデザインのベースである「ベーシック」を端的に表現したも
のであり自分がデザインの基礎を学んだバウハウスのポスターにある直方
体と円錐と球にできた影からインスパイアーしたかたちでもあります。
説明すればこれは直方体(とは限らないですが)の左上45度から光が当た
っている様子を表現しています。
光の強さは「陰の濃さ」で表現されます。 そしてこの直方体は光沢が無
く(つや消し)本来は見えているだろう上部と左部のエッジ(角)の稜線
に出る「光のライン」も出ていないという事を表現しています。
まあそういう硬い表現はさておいて一番言いたいのは、人は2辺の見える
カタチで見えていない2辺を想像し、さらにいえばこの直方体の高さまで
「感じる」事が出来ます。
半分の情報でそのカタチを表す事ができているとも言えます。
この方法で出来たものの一つがデバイスタイルのロゴの先頭(上)につい
ている4本のラインです。あれは反対を向いている三角形の「陰」です。
それは「in」と「out」を表現しています。
この情報を減らして相手に伝える事は、自分の考える「デザインの基本」
のひとつです。
しかしながら「モノの見え方」についてある種のトレーニングを積んでい
なくては、ここからは「立体」を想像する事はできません。
つまりデザインは「予備学習」があらかじめ必要な表現とも言える訳です。
わたしはそういう「予備学習」を伝えるのも大事な仕事だと思っています。
最近観た映画の中でこんな言葉がありました。
「人の価値はなにをしたかではなく、どれだけのものを他人に残したかで
決まる。」
9:36 AM
December 11, 2011
開拓者
先日グーグルのトップ画面の挿し絵が「トムソーヤの冒険」の一画面だった。
わたしが好きな「塀のペンキぬり」のエピソードを絵にしたものだった。
これはきっと原作者であるマーク・トウェインにまつわる何かだと思ったら
その日が彼の誕生日だった。
わたしはこの「塀のペンキぬり」が好きというか非常に商売とデザインにつ
いて「本質的」な要素を持った話だと思っている。
いたずらばかりしているトム・ソーヤがおばさんから罰として塀のペンキ塗
りを命じられる。
その長い塀をポチポチと塗り始めたトム・ソーヤに友達が近づいてくる。
そこで『いやな事をやらさせちゃってるぜ。』とトムがぼやいていたらこの
話はなんの記憶にも残らない。
悪知恵というか「スマート」なトムはそこでひらめく訳です。『いやーこん
なに塀のペンキ塗りがクリエーティブでアグレッシブで知的な作業だとは知
らなかった。』と楽しそうに友達に話す。
『へー(シャレじゃないです)そんなもんかねー』と最初友達は思う。
しかしトムは、ペンキを塗りながら近づいたり離れたりしてペンキの塗り具
合を確かめながら時々にんまりと微笑んだりしている。
『えーほんとに楽しいかもしれない』そう友人は思いはじめる。そうこうす
るうちにその気配を感じた別の子供達が集まりはじめる。
『そんなに面白いならオラッチにもやらせてくれ』そう言い始める。
『けっ こんな楽しい遊び(仕事)をだれが手放すものか』そうトムは言い
放つ。『もちろんタダとは言わないよ。手持ちがいまこれだけしかないけど
これでやらせてくれよ。』
『なんだよ これっぽちじゃ本来譲れないけれど、日頃の仲だからやらせち
ゃおうかな』とうそぶくトム。
かくしていっぱい集まった友人達が交代で塗ってくれたおかげで「罰ゲーム」
たる塀のペンキ塗りがあっというまに終わったとさ。めでたし めでたし。
これはわたしの中で勝手に「発酵」した話で原作とは忠実じゃないのですが
おおまか「こういう風にとらえている」。
どうもこの「ペンキ塗りエピソード」は相当に有名なようで(だからグーグ
ルにも採用されている訳ですが)わたしのように「子供のための話とは思え
ない教示」を感じる人は少なくない様です。
経営の神様と言われている松下幸之助さんのエピソードにこんな話がある。
小さい頃から丁稚奉公に出された幸之助少年が店番の手伝いをしていると、
そこに来たお客さんの旦那衆によくタバコを近所に買いにやらされる。そし
ておつりやお駄賃をもらうのが楽しみだった幸之助少年が一計を思いつく。
『あらかじめ買っておいたら手間も省けるし相手にも喜ばれるんじゃないか』
そしてためた小遣いでタバコを買い置きする事をはじめるわけです。
そこには「だれがどの銘柄のタバコ」を吸っているかという観察があるわけ
で「売れないタバコは買い置きしない」という工夫も生まれる。
もちろんこの「プチビジネス」は功を奏するわけですが、もちろん丁稚仲間
や番頭にもにらまれるが、それにめげない精神力があるわけです。
これもわたしが読んだエピソードをわたしの中で発酵させたので正確ではあ
りませんが。
まあ 自分はそのペンキ塗りを「見に行かない」だろうし、タバコは自分で
買いに行きそうで、話に出てくる商売をする側にもお客側にもならなさそう
な気がしますが、空の上からマーク・トウェインに『パソコンは使っている
しネットはしているしブログもやってるし、ツィッターもfacebookもやって
るでしょ。そりゃ見えない塀塗りだよ』と言われているような気もします。
9:25 AM
December 9, 2011
書き味
trystramsの担当者の方から教えていただいた最近出来たばかりの秋葉原アトレ1の
「デフリシュール秋葉原店」を見てきた。
靴やシャツも売っていて評判の高いオロビアンコ製品が多く扱われている文具と服装
が融合した新しい形式のお店だ。
そこに年内の予定でtrystramas製品を置いていただいていて写真のPrimineもショーケ
ースに展示されていた。
そこにはこういう説明文が書かれた小さいプレートが添えられている。
「ペンが字を書いてくれる」
それがはじめてこのペンを使ったときの感想です。
これまで経験した事の無いすばらしい書き味はペンの持つ重さから
くるものです。やや大振りの直径11ミリの磨き上がられたステンレ
ス製の本体とペン先を包む真鍮製の軸による組み合わせはずっしり
とした感触を使い手に与え「心地よい緊張感」を生み出します。
その緊張感が紙にペン先を付けた瞬間、自らペンが走り出すような
疾走感に変貌します。一見矛盾する外観と書き味のコントラストは
何度使っても感動を覚えます。
わたしがこの「Primine」の名付けたボールペンをデザインにあたり
イメージしたのが、結婚の誓約書。家を購入した際の契約書。など
人生の節目で活躍してくれるカタチでした。
これ以上無いシンプルな形状とすばらしい書き心地は書く事の大切
さを再確認させる力を持っています。
プロダクトデザイナー 秋田道夫
これは、先日打ち合わせをした時に『来店した方が実際に試し書きをしてみようとい
う気持ちになるような活動をしましょう』と提案した事の最初の一歩だ。
この製品は先日書いた「デザインの領域」を逸脱しているものだ。
見かけがあまりにもスタイリッシュな為に筆記具に一家言ある人程に躊躇と偏見が生
まれて門前払いというか食べる前に拒否されかねない。
デザインに詳しい人ほど「こう言う事をデザイナーはしたがるんだよね」と知ったよ
うな気持ちにさせるだろう。
つまり「こういうデザイン性に特化したものに書き味の良さはありえない」という気
持ちにさせる。
私自身スタイリッシュな万年筆を買ってその書き味に失望した経験を持っているので
その気持ちがわかるのだ。
すべてはこのペンを持てば判る。紙に書いてみれば判る。
このペンは「機能性」で出来ているのだ。
機能性とデザインを融合させるのは容易ではない。しかし「稀」にそういう事もある
のだ。
わたしは毎日この製品を使い、続けている。わたしはその事を伝える責任がある。
9:29 AM
December 7, 2011
なるほど
なにげなく検索していたらあるブログにたどり着きました。
そこにこんな事が書いてある。
「地震・かみなり・火事・親父」の「親父」というのはもともと「台風」
の事を言っていた。台風の事をむかしは「大山風(おおやまじ)」と
呼び「親父風」と変化していつのまにか「風」が吹き飛んでしまった。
なるほど腑に落ちた。
「地震・雷・火事・台風」ちょっと語呂が悪い。
12:09 PM
December 7, 2011
formroom15
昨日予告した「日経MJ」を買って読みましたが、セラミックジャパンの特集記事
で思った以上に詳細な内容でびっくりした。
そして良かったと思った。良かったのは今年の4月に開いたformroom13でセラミッ
クジャパンの代表である大橋社長に製品作りにかける社長の気持ちと熱意を大勢の
若いデザイナーや学生のみなさんに聞いてもらえた事がよかった。
わたしは自分の何をプレゼント出来るかを考える。
ギフト(天賦)をどうプレゼント(貢献)に変換出来るかを考える。
まあ天賦といういのは大げさだけれど、こうやって自分がなりたかったプロダクト
デザイナーをまがりなりにも30年続けられている事に対する感謝の気持ちをどう
みんなに還元出来るかを考える。
そのひとつが講演会だと思っている。当初考えていたのはデザイン入門だった。
デザインは人生を豊かに出来る工夫のひとつだ。なにもそれは製品作りに関わる事
だけでなく日常の中にある様々な事柄について「一工夫」するのがデザイン的な
発想だと思っている。
同時に「ベテラン」にあってもいつまでも難しいものでもある。
いつまでも初心を忘れない為に「入門編」というか最初の一歩である「発想」を豊
かにするのは、習熟だけではない事を知って欲しかった。それどころか習熟は物事
を小さくしてしまう事を認識する必要がある。ベテランと初心者や未経験者がまじ
ってうんうん唸るのはとても新しい発見があった。
回が進むにしたがってわたしのデザインした「製品」が世におおく出回る事になっ
て、formroomの役割も変化してきた。
つまり教える側がそのデザイン理論を実践している様をみんなに見せる事が出来る
ようになったのだ。
デザインは理屈でも論理でもなく「すてきなデザイン(製品)」というものによっ
て一番多くのメッセージを相手に伝える事が出来る。
製品についてどういう意図でどういう意識でどういう意思でそれが作られたのかを
生の声で伝える事ができるようになった。
そのひとつがdo-nabeを通した「クライアントとデザイナーの関係の大切さ」であ
り、trystrams を通した「企画とデザイナーの相乗効果の大切さ」だと思っている。
わたしはバイヤーの方とも話がしたい。デザイナーとデザイナー。プロデューサー
とデザイナー。プレス(広報)とデザイナー。デザインはデザインの周辺で出来て
いる。
「デザインは相手の気持ちが判っていないと出来ない仕事」だ。
今度12月の17日には「formroom15」を開きます。
9:50 AM
December 6, 2011
瀬戸モノ
明日発売の「日経MJ」に瀬戸と瀬戸物についての特集が掲載される。セラミック
ジャパンについての紹介も出る予定。
わたしは瀬戸という街がまだ勢いを残していて町中を流れる川が陶磁器に使われ
た土によって薄茶色になっていた頃にその場所から程ない場所にある大学でデザ
インの勉強をしていた。
セラミックジャパンが先代の杉浦社長と栄木さんを初め何人かのデザイナーと
「デザインを大事にする会社」として設立されたのが、奇しくもわたしが入学し
た1973年だった。
1973年は大変な年だった。「ティッシュペーパーの買い占め」で未だに語り続け
られているオイルショックの年であり、課題で必要な木工用ボンドや塗料の値段
が毎日のように高くなり、購読していた美術雑誌の定価が倍に跳ね上がった。
そういう最中にセラミックジャパンは誕生した。
今年の初頭に国立近代美術館で栄木さんの展覧会が開催された時の、紹介記事に
こんな事が書かれている。
「当時、瀬戸では和食器のデザインは伝統デザインの模倣アレンジに価値があり、
洋食器やノベルティは欧米貿易商の持ち込むデザインで事足りていて、デザイン
としての「独立」はなかった。......五百も陶磁器工場が林立しているのに陶磁器
デザイナーもデザインを望む工場も皆無の状態であった」
結局その当時の模倣と量産がその後自らを衰退の道へと誘ってしまった。人件費
の安さだけではもっと安く人の雇用出来る国へ移行するのは、まさに歴史の教訓
通りだった。
セラミックジャパンはいち早く「時代に逆行した」。今も製品の多くは輸出をメ
インにしていない。MoMAshopなど限定された海外のショップでしか扱っていな
い。あの高いブランド力を持つMoMAshopですらある意味国内のセレクトショッ
プと同じ線上にしかない。
do-nabeについても評判が高くても多くは作れないし作ろうとはしない。
結局こういった時期にあっても堅調にビジネスをしているところはそう「荒い
商売」はしようとしないししないことによってそのイメージがキープされている
事を知って欲しい。
5:43 PM
December 6, 2011
マナー
このブログをたまたま見てしまった何十人かの人にお願いがあります。
それは
お客さんや友達か帰る時、その相手が通りから見えなくなるまで見送っ
て欲しい。
そしてお客さんが帰ってすぐにドアをがちゃんと閉めたり、チェーンを
おろしたりしないで欲しい。
こういう事を書くとすぐに「ビジネスが上手くいく」とか「商売の基本」
と思うかもしれないけれど、そうじゃありません。 こういう事を実行
しても「まったく商売には結びつきません」。
かつこういう事は「年齢には関係がない」のです。年配の人でも平気で
ドアを閉めてすぐにがちゃがちゃとチェーンをかける人がいます。
わたしは自らの「安全」とか「保安」というよりも相手の感情を大切に
考えます。
そうこんな簡単な事ですら勇気と信念がいるのです。
1:19 PM
December 6, 2011
デザイン馬鹿
デザイン馬鹿と言う言葉があるけれど、これは本来「逆」の意味だろう。
デザインは聡明それ以外はあまり感心しないというべきだろう。
そういえば富山のデザインコンペの際に講評の言葉でわたしは何度も「馬鹿」
という語句を用いた。
日頃人にもモノにもそんな事を言った使った事が無いわたしは、そういう言葉
でしか「そうなって欲しい」気持ちを表現出来ない自分の力不足に自分が嫌に
なりまさに言葉の毒で自家中毒を起こしそうだった。
スティーブ・ジョブズが亡くなったのが10月5日でその後「ステイ・フーリッ
シュ(愚かであれ)」という彼がスタンフォード大学の卒業記念講演の際に引
用したフォールアースカタログの最後のページに書かれたメッセージがその後
世間で多く語られたけれど富山のデザインコンペは、数日前の9月28日だった。
なぜ「デザインで馬鹿になれ」と長年デザイナーをしていたわたしが言うかと
言えば「なまじの聡明さでは物事は突き破れない」と思うからだ。
昨日の晩偶然にアマゾンの創設者であるジェフ・ベソス氏がプリンストン大学
での卒業記念講演の内容についての日本語訳を見た。
小さい頃から計算が得意だった彼がヘービースモーカーの祖母に対して『タバ
コ一本につき寿命が2分縮むらしいからおばあちゃんが一日にこれだけ吸うと
トータルすると9年縮む事になる』と話したら祖母が大泣きしだした。
頭の良さを褒められると思っていた彼はおおいに困惑をしたけれど、祖父が彼
にこう言った『お前は確かに頭がいい。でもな賢い事よりもやさしい事の方が
大切で難しい事だといつか気がつく時が来る。』
『才能や聡明さは「ギフト(天賦の授かり物)」でやさしさは「チョイス(選
択したもの)」だ。 持って生まれたものを何に使うのかを選択しその選択に
誇りを持てるだろうか?』
結局デザイナーは「片時も馬鹿にはなれない」。わたしもそういう事は判って
いる。 しかしその聡明さの選択が時代を読み間違っている事も少なくないし
困った事に「道理」にかなったことが「愚行」にも映るものだ。
愚かであれというのは「今にあっては間違って見える事でも自分の信じる事に
素直であれ愚直であれ」という事だろう。
10:46 AM
December 5, 2011
デザインという存在
昨年の今頃、萩原修さんとおでんを囲んでの「座談会」をさせていただいた。
その中で『デザインという言葉はどういう言葉に置き換えるのが「より正確に」
伝わると思いますか?」という難題が参加して下さったから方から質問が出た。
その質問された方はよくよくデザインと関わられている方であって、
状況がわからない門外漢の方が『デザインってなんですか?』という質問をさ
れたのとはまったくその状況が違う訳で、デザインに関わって30年位にはなろ
うかという3人が「デザインという言葉」という言葉を鍋にいれてぐつぐつ
(ぶつぶつ)したわけです。
結論はもちろん出なかったけれど萩原さんが『とにかくデザインという言葉を
安易に使わないように日々努めている』という話が印象的だった。
今年鼎談した、桐山さんも紫牟田さんも萩原さんもわたしもとにかく若い時か
ら「デザインまみれ」で育って仕事をしているのでいささかをこえてその言葉
に「疲弊」している。
そして多分その言葉が拡大解釈されて都合よく当てはめられる事に危機感すら
感じているわけです。
物事は「言葉」を持たなければ「存在」しない。らしい。少なくとも伝搬しな
い。
会社時代のデザインセンター長だった黒木さんは『デ・ザイーン』という発音
でデザインという言葉を話された。
わたしはその発音を聞くとドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの存在論
の著作の冒頭に出てくる「存在(Sein、ザイン)」となにか通じるものを感じ
てしまった。
デザインとは「デ・ザイン」。「あるべきもの」そう感じる訳です。
わたしは目の敵のように「デザイン家電」に対して「対峙」してますが、なぜ
そうなのかといえば、じゃあダイソンの掃除機や扇風機を「デザイン家電」と
よぶだろうか?アップルの一連の製品を「デザイン携帯」や「デザインPC」と
呼んだ人がいるだろうか。そう思う訳です。
まったく「デザイン性」を感じないものは「そう呼ばない」。逆にデザインと
機能が高い次元で実現されているものは「デザインXX」と呼ばないのであれば
おのずと「デザイン=x」のxになにが入るのかは明らかな訳です。
つまりデザインに関わるほどに「デザイン」という言葉を使うという事は「あ
る時点にそのものを収め込んでしまう危険」を感じざるをえない。
「サポート」するものによって歩くようにはなるけれど今度は走れなくなるわ
けです。
存在を定義する事は存在を越えるものを枠にはめてしまう。
7:38 PM
December 3, 2011
ジレンマ
わたしにはおおきな「ジレンマ」がある。
それはブラウンのオーディオセットでは「いい音がしそうに感じない」という
ジレンマ。
もちろんすてきなデザインには違いがないがそれはあくまでもスタティックに
おかれた状態の写真であって、「インテリア」にしか見えない。
わたしはその事にオーディオメーカーに入ってすぐに直感した。
単にブラウンだけでなくブリオンベガをはじめイタリアのデザインについても
いえる。
「ボーダーライン」は「ラジオ」もう少し進んで「レシーバー」と呼ばれたア
ンプとチューナーが一体になった製品まではぎりぎりそのデザインと音がバラ
ンスする感じ。
音がいい事の為にはそれぞれの機械がギリギリまで自分をチューニングし体脂
肪を減らし筋肉をつけた感じ。つまり「役割」によって筋肉のつき方がかわり
体型が変化して兄弟であっても全然フォルムが変化する感じ。
気がついてしまったわたしは正直目標としていた「MoMa」から縁が無くなっ
てしまった。
美術館は「美しくバランスした構成」を評価するが「諸事情」には頓着がない。
いや「諸事情」の塊は評価するかもしれないが、それは「アノニマス」の美しさ
であってデザイナーには「還元」されない。
「音楽を楽しむ」というスタンスはデザインだが「音楽を苦しむ」というとんで
もない世界にはデザイナーは住めない。
7:23 PM
December 3, 2011
colorful
昨日取りためたポッドキャストを聞いていたらこんな話をしていた。
岡本太郎さんがインタビューに答えて『赤・黄・緑。原色の中にこそ神髄がある。
わたしは原色が好きだ。原色しか着ない。』と言った後に最初顔しか映していなか
ったカメラが引いて全身を映したらなんと「くすんだ色」の服を着ていたそうだ。
(正確な話ではないのでそのまま引用しないでね)
なぜこんな話を書いたかと言えば「考え」と「行動」は異なるし、大事な事はそれ
が「事実」かどいうかというより「そういう発想」が出来るというチカラが大事な
事だと思う。 残る言葉は「遠い」。
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今度12月16日に滋賀県立大学で2回目のスケッチワークショップを開催しますが、
学校の先生をされている南政宏さんがすばらしいポスターを作ってくれた。
わたしはかつて南さんに「遠目に良く出来た人になって下さい」と話したそうだ。
これは本来的には「人のミバ」ではなくてプロダクトデザインについてのヒントに
言ったつもりだったけれど南さんが「捉えた」ように人にも当てはまるのかもしれ
ない。
デザインは遠目が命だ。もちろん近寄って見て手に取って良く出来ている事は大切
だが「近づいてもらえる」ためにはまず遠目で「なにか」を発していなくてはいけ
ない。
人は身近なもので出来ている。SNSは身近なものでその90%で出来ていて後の残り
の10%が「遠すぎる」話で出来ている。
言ってみれば「日常」と自力ではどうしようもなさそうな「社会」で構成されてい
る。
もちろん身近は大切だがその身近が「だれにでもある」という事に気がつく事はも
っと大切だ。
デザインとは「だれにでもある感情」をカタチに落とす行為だ。
自分に起きた事が「自分だけがそうなっている」のか「誰にでもありえるのか」と
考えるのかによって対処法が変わるし、それがデザイン発想の原点である。
わたしは幸いにもこのブログを書き続けることによって「その事」に気がつく事が
できた。
同時にその事をみんなに伝えたいと思うようになった。「発想のヒント」を生の言
葉で伝えたくなった。
わたしは講演会に参加してくれた人にこう言う『明日からブログがしゃべりだしま
すよ』と。
わたしは昔「近目」を大切にしていた。例えが唐突だが宴会があるとその最後まで
残っている人だった。まあ義理堅いとも言えるが、逆にいえば「自分の話題が出な
いように見張っていた」のかもしれない。
この頃は発想が逆になってさっさとその場を切り上げもするし、あまり参加もしな
くなった。「自分の話題で盛り上がりやすくする」というか別段褒められなくても
かまわないという心境になった。
わたしには「遠目」が大事なのだ。身近い人ではなくて遠くでわたしの文章を読む
人に伝われば良い。
わたしは気候の話も景気の話も政治もその時々のニュースも取り上げない。
それはどうしようもない事やその事の成り行きや状況について「見解が別れるもの」
については触れないという事だ。
つまり「自分の考えと違う」という感情によってここに書かれている事を「門前払
い」されては困るからだ。
そういった意味では具体的な製品やデザイナーについても「いいと言い切れる」事
以外はふれない。
先日スケッチワークショップに参加してくれた大学院生の方は7年前にこのブログを
読み始めてくれたそうだ、当時高校生だったそうで、その話を聞いてわたしは改め
てこのブログの大切さを思った。
10:29 AM
December 2, 2011
NEXT
次は「服」なのかなと漠然と思う。
もちろん縫製についてまったくと言っていほどのわたしには服を語る
事はできないけれど、使用者としての感想も意見もあるわけです。
というか「プロダクトデザイン」に翻訳出来る服はあるはずだと感じて
います。
そういえばイギリスのプロダクトデザイナーの巨匠「ケネス・グランジ」
がマーガレット・ハウエルでシャツをデザインした事を思い出した。
7:05 PM
December 2, 2011
モラルをデザインする

デザインでなにが重要かと聞かれれば「価格」と答えるのは何度も書いていますがそ
れはなにも「安く設定する」事ではありません。
それは秋岡さんがuniを当時の鉛筆としては破格の50円という値段をデザインした事か
らもうかがえます。
今日日経トレンディーに一連のtrystramsによるスケジューラ製品の記事が掲載されて
いたのでそれに関連して製品コンセプトを書きたいと思います。
写真のスケジューラーは10000円。破格のスケジューラーです。
普通のスケジューラーや手帳であれば厚紙に革の模様を押したものが主流で毎年買い
替えるものですから本当の革を使うというのは不経済です。
じゃあなぜ「本革」にしたか。それは中身を差し替えて永く使ってもらいたいという
思いがこもっているからです。 つまり「エージング(経年変化)」を楽しめるもの
にしたかったからです。
1.多様である事
コクヨS&Tの櫻井さんが日経トレンディーの記事の中で企画主旨を述べられています
が、実はわたしも同じ事をしていました。つまりパソコンソフトイラストレーターを
使って一月単位のスケジュール表を作成してA4の透明ファイルに入れて持ち歩いてい
ました。
なぜか?老眼が進んでいるから。
もともと20年以上前に購入したファイロファックスを使っていた時期もありますし、
今評判の年度手帳も購入した事が何度かありますが、尽く続かない。
ひとつには「筆無精」というか話の内容を手帳に書き記すのが苦手である事で、名刺
入れに次第に手帳が変容していきました。
もうひとつは日程を「全体」で捉えたい。という気持ちがあるからです。
全体で捉えてかつ日程に書き込む要素が増えてくるとどうしても日にちのマスが大き
くないと困る。
そういう矛盾を「受け止めてくれるスケジューラーが無い」という事からA4の紙に自
作のスケジューラーを生み出した訳です。
しかしA4のフォルダーはコンパクトではありません。
横方向に折ると(つまりA5サイズ)になるわけで、こう言うものは結構ありますが、
スケジューラーは「横位置」にしたいわけです。当たり前ですが、一ヶ月は横方向に
7日(一週間)で週の数は最大で6行だいたい5行ですから、どう考えても「横長」
になります。さらにいうと「週の真ん中」が存在しない訳です。7日ですから。
わたしは週の真ん中で「ばっさり」折るのが嫌だったわけです。そして生まれたの
が3週目と4週目の間に横方向に折り目のある「縦位置」のスケジューラーという訳
です。
2.大人である事
大人という言葉は正直好きな事なではありません。『いったいどこにオトナがいる
んだ』ニュースを見ていて思うわたしですが、じゃあ現実には少なくて「空想の概
念」たる「大人」が誕生できる製品をデザインしようというのが、わたしのここ10
年の「隠れテーマ」でもあります。
大人とは「おとなしい」に通じると思っています。音無しに通じると思っています。
つまり存在感を不要に強調しない事がある意味「大人」かと思いその「様(さま)」
をかたちに落とそうと思っています。
わたしは「しつけのあるデザイン」という言葉を何度も言っていますが、しつけが
必要なのは子供や若者だけではありません。やんちゃが許容されている(と思って
いる)のが、おとなではなく「年を取った人」ですが、わたしは「それを見ると・
それを持つと」『あっ忘れそうな挟持がよみがえった』そういう製品デザインにし
たかった。
わたしは先日のワークショップでも「大人向け」のデザインをしましたが、そのコ
ンセプトが「歳を取る事が素敵な事であると若い世代に伝える役割がある」としま
した。かっこよく「老けて」欲しい。
そういう人に相応しい華美じゃなくてシックで高級感のあるそういう姿をこのスケ
ジューラーにこめました。
3.持たない主義の人が持ちたくなるデザインである事

わたしが文具や小物をデザインする時に考慮するのが「出張」です。
自身頻繁に出張があるので、どういうものを持っていくかいかないかというのは大
事なポイントになっています。 必要があるけれどできるだけコンパクトであって
欲しいわけです。かつ「使える(判読出来る)」ものでないといけないわけで、相
反する要素の中から生み出される訳ですが、そのおかげで「見たことがあるようで
実際には存在しないプロダクト」になるとも言えます。
薄いだけであれば「二つ折り」で十分です。当初「カーボンファイバー」にしたい
と思っていたぐらいですから。
なぜ写真のように「三つ折り」なのか?
それにはちょっと切ない思い出があります。 最初の会社に入った時、出入りの業
者さんがいろんな付き合いのある会社からお歳暮代わりにもらった手帳を使ったり
します。そんな業者さんの一人が打ち合わせの時に「別の会社の手帳」をつかって
いたのを目にしました。数年後わたしはその会社に自分も入る事になったのは皮肉
ですが、人は「ブランド」が好きですからイメージの高い会社のものを使いたい気
持ちは判りますが、「残念」な気持ちはいがめません。
つまり「ノーブランド」というか会社付き合いと「切り離した」モノを使うべきだ
と思う訳です。
それと三つ折りは関係あるのか?あるんですね。
ひとつには「スケジュールになにが書いてあるかが相手から見えない」わけです。
早弁(3時間目にお弁当を食べちゃう事)の際の目隠しの「教科書」のようなもの
がこの「三枚目」の板です。
写真で見て判る通り三枚目にかかったゴムベルトには左寄りに「止め」があります。
これは左側に自分の名刺を入れておく場所です。もちろん相手からもらった名刺を
入れてもかまいません。じゃあ右の大きめのスペースはなにかといえば飛行機のチ
ケットや新幹線の切符を入れておくスペースです。
つまりここに挟むと相手からもらった名刺が見えないわけで、一日のうちで何人も
何社も打ち合わせをする人に取って別の会社の名刺を見せないで(見られないで)
済む為の「モラルファザード」です。
この製品を一見してこんなにいろんな要素が凝縮されているとは思わないでしょう
ね。じゃあどうして書いたかと言えば、先日品川にあるコクヨ本社でオフィース家
具の展示会が開催されましたが、その際にtrystramsのマネージャーをはじめ担当者
の方々とお話しする機会がありました。
わたしはその場で宣言したわけです。『この製品群のプレスをします。』『良さを
伝える為にわたしも協力させてください』と。
このスケジューラに限らずボールペン「primine」も見た目だけではその製品の神髄
は伝わらないと思います。値段に「納得」してもらう為には、その意図を語り、実
際に使ってもらわないとわからない製品だと思います。
「デザイン」という言葉が軽くその製品の「実像」から遠ざける事もあるのを教え
てさせてくれたモノたちなのです。
9:39 AM
December 1, 2011
挫折に至れず
先ほどの秋岡さんの話の中でブルートレインやuniの仕事で思い通りに
行かなかった事が書かれていましたが、わたしはそれは「選ばれたから
こそ感じる事が出来た挫折」だと思います。
時代を考えればプロダクトデザイナーとして成立していて重要な案件に
ついて「選ばれた」わけで、ふつうは選ばれない。
挫折を味わう状況に至れない。
6:43 PM
December 1, 2011
秋岡芳夫展評
どうももう一度展覧会を見に行った方が良いような気がしてきました。
そういえば昨日バスツアーの添乗員の方が帰り際にマイクを通してこんな事
を言われていました。
『同じ名所に8度訪れるべし。という諺があるそうです。4度は季節ですね。
春夏秋冬を味わう事。そして天気の良い時とそうでない時。それで8度です』
6:05 PM
December 1, 2011
かなわない
「かなわない」という文言が浮かんだ。
かなわないには「叶わない」もあるし「適わない」もあるし「敵わない」
もある。
「あいつににゃかなわない」と思ったので多分「敵わない」ですね。
久々にある方のブログを読んでかなわないと思ったわけです。
本人はなにもそういう事を意識していないだろうけれど、さりげない分析
力と記憶力と冷静さそういうものが相まってすてきな文章が生み出される。
考えてみれば、おおくの「敵わない」人をこれまでに見て来た会ってきた。
しかし残念というかそう思う人にはなぜだか欲がない。もちろん自分が出
るという野心が無いからこそ冷静で客観的でいられるわけで「自分が出る」
というある意味スピードを手にしたとたんに人はなにかが眼前の景色から
飛んでしまう。
客観性が諦めと結びついてはあまりにも人生がつまらないと思うのは、
「自分が出る」というわたしだからの観点にしか過ぎない。
だから自分と違う「敵わない人」が好きなのかもしれない。
5:33 PM
December 1, 2011
案外
以前ツィッターにわたしが「案外」という言葉が多いという指摘が載っていた。
わたしは意識的に「案外」という言葉を使う。「意外」という言葉を使うべき
ところも「案外」という言葉を使う。
どう違うかと言えば、「意外」という言葉にはなにか「上から目線」というか
自分が勝手に作ったイメージと現実が違う事を意味しているように感じるから
だ。
それに比して「案外」というのは、わたしについたイメージと異なる事をして
いる様を表現するものだと思っている。
「意外」というのは自分がモノなり人に「つけた」イメージと異なる事に対し
て「どうしてそうではないんだ」という批判も感じる。
「案外」というのはすこしとぼけていて「やさしい」。まあわたしが勝手に思
っている事なので言語学的に鑑みて正しいかどうかはわからない。
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昨日は駆け足で長野の善光寺と松本城を巡るバスツアーに参加した。
あらかじめワークショップの最終プレゼンテーションの日程をにらんで「おつ
かれさま旅行」を考えて申し込んだ。
わたしは物事に「あらかじめ期待しない」。期待とがっかりはセットで出来て
いて、自分の想像の外に現実は横たわっていてそれらのすべてを他人のつなぎ
あわせた「既成」では、現実のすべては把握しきれない。
さらにいえば期待は相手を苦しめる。別段それまで意識しないもの達に「なに
か」のレッテルを貼る事は重荷以外のなにものでもない。
「楽しみ」そういうのが、平和だ。
昨日はまったくの「秋の最終日」だった。通年よりも温かく厚着気味のわたし
は動くとちょっと汗ばむぐらいだった。翌日に10度も気温が下がるなんて少し
も想像出来なかった。つまり少し先の事も人はイメージ出来ない。
案外だったのは、昔訪れた時には気がつかなかったけれど、あまりに唐突に
その姿が見えた事だ。 駐車場からすでにどんとその全貌が見えた。
案外と言えば、松本城をこうやって正面切って撮影した写真があまり無い事だ。
人は写真に「情報」を期待する。
被写体を斜めから撮影して2面もしくは3面の情報をさらにいえばここにいる白
鳥を入れて城の横にある赤い欄干をもつ橋を入れて撮ろうとする。
わたしは写真は「情報」だと思っていない。そこにあるものを絵画的に全体を
正面からどんと撮るのが好きだ。そうでなければ一部分を拡大して構成する。
すべての期待には応えられない。他になされたもの「以外」に「案外」答えが
あると思っている。
10:28 AM


