Archive of November 2011
November 29, 2011
秋岡芳夫という存在
目黒美術館で開催中の秋岡芳夫展を観て来た。
デザイナーに限らずクリエーターには「エネルギー」がある。そのエネルギー
がなにに「昇華」されるのか、そこにわたしは関心がある。
会場に入ってすぐの場所に大量の「竹とんぼ」が展示されている。
そのおびただしい数の竹とんぼのひとつひとつの完成度とバリエーションの多
様さに驚く。
展示を通して三菱鉛筆「uni」のデザインが秋岡さんの所属していたデザイング
ループ「KAK」の手によるものだとはじめて知った。
学研の「学習」「科学」の付録であった実験模型がKAKのデザインという事は
以前から周知していたのですがuniもそうだったというのは驚いた。
なぜならわたしが工業デザインにはじめて興味を持ったのは「uniの1ダースケ
ースとそこに附属していた芯研器」だったからだ。
uniを調べていたらこんな記事を見つけた。
秋岡はデザインだけでなく、商品コンセプトの構築そのものにも深く関わって
いた。驚くべき事に、秋岡は価格のデザインにも関わった。
わたしが「価格は最大のデザイン」と言った50年前にすでに秋岡さんはそう看
破されていた。
uniのケースがその後簡易なものにかわり芯研器が消しゴムに取って代わられた
事にいたくがっかりした当時の事を思い出す。
わたしは信号機をデザインするにあたって「小学生が無意識に見ている公共物
が美しくなる事がまわりまわって将来のデザインレベルが向上する」そう考え
ていたのですが、考えてみれば秋岡さんが小学生の為の学習教材に「本気」で
取り組んで当時の最先端の工業デザインセンスを注入していた事がわたしに無
意識に作用していた。
結局わたしは「秋岡さんに育てられていた」。
今の今まで気がつかなかった。58年目の秋にわたしは秋岡さんの教えを知った。
5:06 PM
November 28, 2011
発信とはなにか
「わたし自身がわたしのデザインの足をひっぱってはいけない。」
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大きな仕事が一段落した日にちょっとした「決断」をした。
ツィッターとfacebookのブックマークをパソコンからiPadからiPhoneから削除
した。
ブログの文章を全部廃棄した事もある自分なのでツィッターもfacebookも即ア
カウントを削除とも思いもしたが、いささかの「未練」と責任もあるかと思い
当分は「フリーズ」状態にする事にしたが実質上「終了」だと思っている。
このブログに集約する。
わたしはプロダクトデザイナーにとって「怖い人」でなくてはいけない。そう
思った。やさしさや人間味をもうアピールする必要は無いと思った。
すべてはプロダクトが語るものだ。そしてなによりわたしのデザインしたプロ
ダクトは雄弁だ。
発売当初は理解されないものでも年を経て語り出す。わたしが『理解しろ。わ
かってくれ。』と言ったり書いたりするのは陳腐だ。滑稽だ。
発信とは、信じるものが発する事だ。わたしは自分のプロダクトを信じている。
6:13 PM
November 28, 2011
継続するワークショップ
こんなに物事に長い間集中することはそうこれまでにも無かったなあと思う。
今日の午前に富士通デザインで8月からはじめた進めていたワークショップの
内覧会を開きました。
大勢の主にデザイナーの方々にショップの主旨とその成果を見ていただきまし
た。
わたしはとても好評だったと思っています。
なによりも見ていただく方々の感想以前に、わたしと参加メンバー5人の間に
充実した内容に確かなプライドが芽生えていました。
「自分たちが納得するデザイン」そこに目標を設定しました。自分を説得でき
なければ周りは説得出来ない。
わたしは「ワークショップの為のワークショップ」をするつもりはありません
でした。
頭で作るだけでなく手を動かすだけでもなく両方がバランスよく機能するワー
クショップを目指しちゃんとその成果が出せたと思っています。
しかし一番重要なのは参加したわたしを含めて6人のデザイナーが「ワークショ
ップを受ける前」と明らかに違う成果をこれから開いてくれた会社と社会にお
返しをすることだと思っています。
3:26 PM
November 24, 2011
過去の事は昔の事ではない
別段今ハンドドリルをデザインしているという事ではありません。
このスケッチはわたしが大学の2年生の時に課題でデザインをし、4年生に
なったときに2年生の時に作成した木製の模型に着色して完成させた写真を
そのまま再現した3Dスケッチです。
先日大阪から上京した友人と会う数時間前に探し物をしていたら偶然出て来
たその写真を自慢しに見せた訳です。
たぶんそれは人から「昔の通知表」を見せられて返答に困るようなものだっ
たと思うのですが、当のわたしが感慨深かったわけです。
変わらないなあと思った訳です。実は今の私が見てもこのデザインは「好き」
です。四角柱と円筒しか無い世界。それはまるでデバイスタイルのワインセ
ラーでありキャノンのBJプリンターと同じ世界観です。
わたしは今から38年前にすでに「秋田道夫」だったわけです。
それはたぶんバウハウスでありミースでありブラウンです。38年はたしかに
遠い昔ですが、そのまた38年前にはすでに「原型」が生まれていました。
言ってみれば素直に学んだままをカタチにしていたというに過ぎません。
あえていえばあまりに素直に自分を追わずにすでにあったものに学んでいた
というべきでしょうか。
わたしにとって会社でのデザインはなんだったのか?
言えるのはカタチを学びに行ったわけではないということです。かたちを試
すというか問いに行ったんだと思います。会社に社会に。
さらに不埒な事に会社に入った年に大きなコンペで優勝してしまったわけで
す。ほんとうはそんな結果が出るのは何年か先だった方が良かったのかもし
れません。
わたしが壁にあたったのはまだ先の事ですが、それは壁ではなくわたしの気
持ちの問題だったと思います。
自分を出そうとして自分を見失ったという事でしょうか。
7:06 PM
November 22, 2011
やさしいデザイナーの話
大阪のプロダクトデザイナー江口海里さんがLGモバイルデザインコンペ2011で
ゴールド賞を受賞しました。
3回連続ゴールド賞という快挙です。
これまで何十年開かれた様々なデザインコンペで3年連続で上位の賞を受賞した
という話をわたしは知りません、ほんとうにすばらしい事です。
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江口さんを知り合ったきっかけは去年の春に梅さんが開いてくれた「やさしいデ
ザインの話3」に江口さんが聴講しに来てくれた時でした。
もちろんそれだけでも友人になっていたとは思うのですが、さらにわたしの気持
ちを打つ事がありました。
それは江口さんのブログの文章でした。
これまでにもいろんな参加者が講演会の感想をブログに掲載してくれて、いつも
楽しみにしているのですが、江口さんの文章は「格別」でした。
正直話したわたし以上にわたしの言葉を理解してくれていると感じたぐらいです。
その日に参加されなかった人もその文章を読むだけでわたしの話を聞いたような
気持ちになれるぐらいに「書き切ってくれて」いました。
自分を出さずに筆者の気持ちが表現出来るというのはとても高度な文章力です。
わたしはとても彼に感心し関心を持ちました。
あれから1年半、実はそんなに最近の事とは思えませんでした。すでに知り合っ
て3年ぐらいが経ったのかというのがわたしの感想です。
本人の確認した訳ではありませんが、その講演会から後江口さんから「迷い」が
消えたように思っています。
「基本」「ベーシック」「スタンダード」「ふつう」わたしの話はそういう言葉
で埋め尽くされています。そしてデザインしたモノも「その通り」だと思ってい
ます。
そこにはトリッキーも魔法もコツもなくこの道を進むにはショートカットはなく
さりとて「遠回り」もない。まさに坂道にまいた水がそのまま下がって行くよう
なものです。
わたしはこれまでにわたしの話を聞いた人がその翌週にはまた別のデザイナーの
話を聞いているという記事を何人も見てきました。それはまるで何人もの有名デ
ザイナーの話を聞いてパッチワークのように縫い合わせなくては全体が掴めない
心持ちを感じます。
わたしは成長する木はどんな土からでも栄養と水分を吸い上げるものであり、ど
んな状況でも対応分解する能力は外にはなく個人の体内にあると思っています。
江口さんはわたしの話の中から的確に自分の栄養になる事を吸い上げたわけで
「土地を探し歩く事よりまず地面に足をおろして根の長さ根の範囲を広げる事こ
そがすべき事」と気がついたのだと思います。
別段自分の話を褒めている訳ではありません。多くのデザイナーはそれぞれ経験
に鑑みて哲学を持っています。説得力を持っています。パッチワークにしている
のは「聞き手」の問題です。
わたしは優秀な一人の青年が大地に荷物をおろしそこに「農業」をはじめるかの
ように自分をまわりを耕しはじめ、確実に「成果物」を収穫している様を見せて
もらっています。
6:47 PM
November 21, 2011
何度も言うよ
これはエキサイトイズムの中でのわたしの発言。
何度も言うよ。何度も書くよ。という感じ。
先日大阪でヨドバシカメラ、そして東京で新宿伊勢丹を見てきました。
デザイン家電は一部のものが残りそして残り続けた結果また「新しい局面」をむか
えているというのが感想です。
エキサイトの中でいう「3年で消えてしまうもの」はその3年を過ぎました。もう市
場にはありません。エキサイトの記事自体が2年近く前の事でもあります。
残念ながらデザイン家電と呼ばれているもののほとんどにこれといった「新機能」
はありませんでした。
別の言い方をすれば値段を上げてもいいような機能は見当たらないという事です。
あえていえば「素材」と「仕上げ」が「新機能」でした。
結局値段が高いと売れない。もちろん記事にはなるし「デザイン愛好家」が1万台
は買ってくれる(1万台もあやしいですが)のかもしれないけれどそこから先には
急激に深刻で困難な状況が待ち構えている。
どうして何度も書くか(書けるか)といえば「それでもいい」といった記事があま
りにも当時多く見かけたわけで、そんな「コンセプト自体」を褒めて記事を書いた
人がほんとうに消費者側に立った場合にその価格を「容認」できるものか。その疑
問がずっとあるからに他なりません。
さらにいえば「意図的」とも思えるほど雑誌にデザイン家電と呼ばれたものが最近
登場してこないという「顛末」を見るからです。
「新しい局面」とはなにかそれは「価格が一番のデザインである」という事ですね。
そういえば、今度MAの湯沸かしケトルが3色になって再登場します。
値段は5000円程度。ステンレスバージョンが8000円だったので相当に安い。
なによりも驚く(デザイナーが驚いていてもしょうがないですが)のが「4年ぶり」
のリニューアル。
わたしは未だに発売した当初の製品を使い続けていますが、そんなに時間が経った
とは思えない。(品番が07ですからすぐに2007年製とわかるのですが)
それどころか市場の中で今でも「独自のカタチ」をしていますからますます新鮮に
映ります。
業界的に言えば初期投資(金型作成・図面化)を回収して製品のコストダウンが出
来るようになったんだと思います。
それにしても4年前と同型のものが再登場するというのは、聞いた事が無い。
2:08 PM
November 19, 2011
経時変化
いまですね「経時変化」というものに興味があるわけです。
長い間に使う人の手によって独特の「味」が生まれるそういう製品や素材に
ぐんぐんと惹かれている訳です。
それは自分自身がだいぶ「経時変化」してきているというのが背景にあるか
もしれません。
わたしはtsutsuをデザインするにあたって想像したのが「べこべこになった
ステンレス製の円筒形の物体」でした。
もちろんすっきりなんの傷もないのが最高ですが、何十年も使い込まれて
いろんな場面でついたへこみや傷もまた味になり愛着に繋がるのではないか
という事です。
わたしが今愛用しているジーンズは、神戸で買い求めたキャピタル (Kapital)
というブランドのものですが、2年前だったかに買ったものが、やっと今す
こし色が落ちて来てひげと呼ばれるしわの部分が白くなってきました。
さらに書けばよく持ちあるている大と小のトートバッグは京都の信三郎帆布
店のものですが、これもそう簡単に「味」はでません。毎日のように使って
やっと2年ですこしへたり色が薄れて来た。
そういえば昔から欲しいものに「山ぶどうのつるで編んだカゴ」があります。
入手の難しい希少な山ぶどうのものはちょっとしたかごであっても高価です。
しかしそれは5年10年どころか100年後に民芸館に展示されるぐらいの耐久
性をもっています。
つまり経時変化はそう簡単に「味」を出せないぐらい頑丈なものがであり、
長い歳月をかけて使われてやっと使い手の「持ち物」になるという有り様を
さしていると思うわけです。つまり風合いは「ごほうび」みたいなものです。
数年で壊れてしまう製品(商品)には「経時変化」という勲章は与えてもら
えない。
ここに「興味がある」と書くには背景があるし単に興味で終わらせるつもり
もありません。「経時変化」の楽しめるそういう製品を生み出すべく動き出
しているそういう序章をここに記した次第です。
10:17 AM
November 17, 2011
シュール信号
先日東京で仕事をされていた大工さんが写真を送ってくれました。
ゆりかもめの「日の出」駅近くの「タブロイド」というイベントスペース
で撮影されたそうです。
なんともシュールな風景です。
3:31 PM
November 14, 2011
keishou(蛍照)
また丸です。円筒です。
80mmをそのままおおきくした格好をしています。
わたしはこういう誰でも考えそうなカタチをデザインするとそれまでにあった
道路(道)の真ん中にゲートを作って『はい、今日からここを通る人は有料です。
』と主張してしまうようなものなのかなと思う事があります。
しかし反対に言えば「すでに通れてもいいはずの道の真ん中が閉まっていたのに
そこを一般に開放する工事を成した」という捉え方もするわけです。
つまりそこが「通れなかったのは不自然」だったわけで真ん中も道になることに
よってこれまでの何倍もデザインの可能性が広がるのかもしれません。
わたしは「すでにあるべきものがないからそこにあるべきものをこれからつくる」
そういう風に捉えて先だってのカトラリーと同じように「SSD(スーパースタン
ダードデザイン)をしたいと思っている訳です。
前説にしては長くなりすぎました。
これは光る手洗器です。
もともと滋賀県立大学で教鞭をとられている南政宏さんの手によって世に生まれ
た物です。
その様子は開発段階から南さんのブログで知っていましたが、あの試作が光をえ
て世に問うた瞬間非常に大きな反響を呼びました。様々な新聞雑誌で取り上げら
れたわけです。
「光る手洗器」というブランドを作りかつ普及させるために小型でシンプルなバ
リエーションを企画された段階でわたしにその役割をふってくれました。
つまり「お鉢が回って来た(まわしていただいた)」わけです。
ただの円筒ですが、光ると俄然「別物」です。手を洗うという機能に照明器具の
機能が付加されてなんともいえないムーディーな空間が生まれます。インテリア
性が高いというべきでしょうか。
以前南さんをこのブログで紹介した時「ハイブリッド」と彼のデザインの才能を
評しました。
それはグラフィックとプロダクトのハイブリットですが、実はもうひとつの因子
があってそれが建築です。
先だってもTBSの広場で開催されたイベントの展示デザインにも現れています。
(COOL KYOTO開催をご覧下さい)
そういった三つの因子が高いレベルで融合されて南さんのデザインが生まれます。
わたしは南さんの才能を高く評価しています。
それは単に南さんの事だけではありません。私自身が「褒められた」時のうれし
い経験があるからです。
会社に入った年に毎日ID賞のグランプリになりましたが、その時に大学時代の先
生から数ページにわたるお手紙をいただきました。
そこにはその先生が経験した一等と二等は雲泥の差が有り結局は一等に選ばれた
ものしか後世には伝搬しない。と言った事がお褒めの言葉とねぎらいの言葉にそ
えられていました。
そういう嬉しい経験はその後こうやって35年の時を経ても記憶しているものです。
わたしはその行為をつなげなければと思っているのです。
今回光る手洗器に蛍照(けいしょう)と名付けました。古い短歌のタイトルに
「蛍照水草」(ほたる水草を照らす)というのがありますが、わたしが照らし出
したいのは南さんそのものです。
そして教え子さん達にその考えを「継承(けいしょう)」してほしい。
あっ 大事なお知らせを忘れそうでした。
今週の水曜日(そのTBSのテレビ番組「みのもんたの朝ズバッ!」で8時10分か
らの「みの味」のコーナーで「光る手洗器シリーズ」が取り上げられるそうです。
今後の展開が楽しみです。
南さんのブログと「相互紹介」。
「デザインは良き事であれ」いい言葉。 あっ、わたしが言った言葉だった。
9:46 AM
November 9, 2011
スーパースタンダードデザイン
今 カトラリーのデザインを手がけています。
まあカトラリーというのが「iPhone」のようにその情報そのものがシークレット
というジャンルではないと思うので、プロジェクトの最中には書いたりしない
「禁」をやぶってしまったわけですが、非常に難しい。
当たり前ですよね。これまでどれだけの数が世の中に生まれているかを考えれば。
しかも「スーパースタンダードデザイン」略して「SSD」を生み出そうと力んで
いるわたしにはさらなる高いハードルを設けてしまったので、さらに困難。
実は「いい線」まで行っていた訳です。「これなら自分でも長く使っていられる」
そういうカタチが出来たと思ってメーカーに見ていただいたら『これはXXXの
シリーズにそっくりなんです。』という返事が来て、ここから完全に固まってしま
いました。
それは海外のもので戦前に生まれて現在も売られているものでまさに「スーパー
スタンダードデザイン」でした。実際に買って使ってみると泣きそうでした。
「使いやすい」おおぶりでどうかなと思った「裏期待」が見事に裏切られました。
ホームラン。
こんなにカレーが華麗にショクセルスプーン見た事が無い。
わたし思いました。実はそのカトラリーシリーズ知りませんでした。知っていた
けれどそんなにすごいと思って見ていなかったというべきでしょうか。
完全に記憶から飛んでいた訳です。
そういうもの という言い方も変ですが、デザインを感じさせないものでありか
つそういうものをずっと作り続けてしかもビジネスとして成立しているわけです。
まさに目指すべき物を見つけた訳です。
まあ「手は止まった」わけですが、そのメーカーの方にこう言いました。
『いやー全然その製品を意識しないで、カトラリーはこういうものだと自分で
考えた物がそんな銘品と似ているなんてすごいですね。わたしのセンスは。』
お後がよろしいようで。
10:36 AM
November 8, 2011
独身デザイン
別段「独身デザイン」があるわけではない。まあ「独身者向けの製品デザイン」
はあるかもしれませんが。
学校を出て、しばらく会社の寮にいたわたしは学生時代よりも多少は自由にな
るお金も出来て本を買いまくった。様々な海外の雑誌を年間購読したりしていた。
今だったら買わない物を色々買った。レコードやオーディオにも出費した。
面白いのは「デザイナーがこのデザインを理解しなかったら誰が理解するんだ。」
という今から考えればなんともへんてこりんな理屈で「使いにくそうな飛んだ
製品」も買っていた事だ。
おしそうに見えないプラスティックの食器。どう考えてもむちゃなカトラリー。
「パーマネントな物」とか「ロングライフ」という概念はあまり無かった。
その後結婚したけれど、しばらくは「ダブルインカムノーキッズ」だったので
独身時代よりもさらに優雅だった。
まだバブルという時代ではなかったけれど、いつでもみんな「バブル」が嫌い
じゃないだろうと思います。
ちなみに入社した時は不景気のどん底だったけれど個人ベースでそんな風には
捉えていなかった。
さてさてそうこうするうちに待望の赤ちゃんが生まれ、当たり前のように生活が
一変する。
別段子供用品にまみれた訳でもないけれど「使いにくい物への理解」や「ミバの
ために高い製品を買う」という気持ちはどんどんどこかへ行ってしまう。
インカムがひとつになってキッズが出来て独立して。そりゃあね。大変です。
特注の本棚に並んでいたあまたの本はどんどん「過去の集積物」になってほこり
をかぶりはじめました。 まあそこから先は今のままです。
当時は、インターネットも無かったので「今月の購入品」なんてものや「こんな
レストラン行きました」という事を人に告げる事もなかったわけですがネットが
普及してその中に「むかしの自分」が何人も発見するわけです。
『あー独身デザインだー。』正確に言うと「独身者特有の選択眼と購入意欲」と
いう感じでしょうか。そういう人からわたしは20年から30年先をこころならずも
歩いている。
『その先にはきっと塀がありますよ』と思ってみていた訳です。でもどうしようも
ないし「独身デザイン」は経験しておいた方が「デザインへの理解が深まる」と
思いますから。
7:07 PM
November 8, 2011
余裕
以前だとこういう写真を良く載せていました。
写真を載せるだけだと思われるでしょうが、結構「気を使うもの」です。
正直今は、こういう写真を載せる余裕がない。でも写真はなにか「語っている」
改めてそう思いました。
4:55 PM
November 8, 2011
4:49 PM
November 6, 2011
意味
「意味」というのはなかなか判りにくい。
わたしがいろんな学校で講演をするようになってその学校の掲示板やカリキュラ
ムを見るとほんとにすごい人たちが学校に講演にこられている事に驚く。
とても贅沢の一言だが、たぶん学生時代にはその事のもつ「意味」というのは
実感出来ないだろうと思う。
なにせ私自身がそうだったし、とにかく学校に行くという事自体に意義を感じて
いたわたしはまだしも、「今日はあの人か」なんて言う風に相手によって出たり
出なかったりする人もいるし、もともと少ない学生数にあって、とんでもない
少人数でその「贅沢」を味わう事も少なくなかった。
とにかくその時には「意味がわからない」わけです。
そういう自分の経験もあるので、わたしは講演先の出席者が多かろうが少なかろ
うが気にしない。
どうしてそういう有名な人達が学校に行くかと言えば、自身が過去に先輩達から
教わったという思いがあってそれを少しでも世の中に「お返ししたい」という
思いがあるからだ。
まあ最初は「学校に呼ばれる事自体」に名誉やプライドのくすぐりを感じている
けれど10回20回はそんな主だけで続くものではない。
先日の川上元美さんの展覧会のオープニングで東京芸大の同級生である松永真さ
んが「いい事」を言われていた。
当時は学校の方針でグラフィックデザインやプロダクトデザインを目指す人も工
芸の授業を受けたそうだ。そのとき関係ないだろうと思った彫金や漆細工もその
後めぐりめぐって自分のデザインに影響をしている。そしてなにより人間国宝や
名人が唾が飛んでくるような距離で一生懸命伝えようとしているその人の様や意
気込みを同じ場所と同じ空間で感じられた事が貴重な体験だと。
その人達の偉大さは後になって判る。判った時には遅いのかもしれないけれど
その「無念さ」「後悔」が後の人達にはちゃんと伝えたいという気持ちに繋がる。
6:23 PM
November 6, 2011
文化
昨日は、デザインタイドに出展されているカロデザインの山口さんをお誘いして
お昼ご飯とその後のお茶をつき合ってもらった。
山口さんとお話しするようになったきっかけは昨年の暮れに開催した萩原修さん
とわたしの対談に参加してくださって、会の後に一言二言交わす中で「感じるも
の」があって今年は小林幹也さんの経営する「タイヨウノシタ」で対談(鼎談)
をさせていただいた。
その対談の前に打ち合わせをかねて中央線のある駅で食事をした。
わたしも昔は何度か足を運んだその駅は、なにか山口さんと食事するのはいい場
所に思えたからだ。
「案の定」とても気持ちがいい。学生時代に同じ下宿にいた学校の先輩と後輩が
以前住んでいたアパートの「現状」を20年ぶりに見に行った。そんな風情だった。
食事をした後喫茶店を探しながら歩いていたらまさしく1970年代を彷彿とする世
界だった。わたしは探し当てた喫茶店で流れる古いテレビの古いドキュメンタリ
ー番組を眺めながら『このらくちんさは危険だ。危ない。あんまり近寄らない方
がいい。』そう言った。
そこで展開されている世界と時間は「なにもデザインしたモノが世間に出て行く
前の野心はあれどなんのチカラもない学生が気持ちいい空間」だった。
自分が結婚もしていない子供もいない「自分の都合で全てが決められる」時にト
リップしてしまう。さらに言えばデザインなんていらないような気になってしま
う。
結局その街にいたのは2時間ちょっとだったと思う。
家族でそこに行っていたらそうはならないそこには行かない。そう思った。
発展を拒んだ世界ではデザインはいらない。自分とは関係のない時間と世界に生
まれたデザインは「受け入れられる」というか「すでに生まれたモノは肯定」す
るが、自分が関与出来る時間に生まれた新しいモノは否定する。そういう気持ち
が「その空間と世界」によって成立する。
わたしは「居心地の悪い」ところにいなくてはいけない。居心地の悪さを良きも
のに変える意欲の生まれる素敵でちょっと不安なところに身を置いていなくては
いけない。
11:23 AM
November 4, 2011
ポストデザイン家電
UCCエコポッドEP2が売れている。
発売して一ヶ月ほどだが,オーダーに生産が追いつかない状態が続いているそうだ。
ひょとしたらわたしがこれまでに関わった中でもっとも販売台数の多い製品になる
かもしれない。
売れるには理由がある。販売価格がだいたい5000円で今はエコポッド10個入りカー
トンが附属されていてポイントのつく大手量販店で購入すると本体の実質購入価格は、
4000円ぐらいという事になる。
「値段が最大のデザインである」
わたしがエキサイトイズムのインタビュー記事でおおきく取り上げられた文言です。
そのインタビューが出る前後からわたしは「デザイン家電」というか生活家電の仕事
をすることが無くなっていた。
trystramsで文具を手がけ、tsutsuという名のステンレス水筒を手がけ、do-nabeと
いう名の土鍋をリリースしn-benchという四万十のヒノキの間伐集成材を使った
ベンチを作り、最近では96'という名のサプリメントのパッケージをした。
わたしはいつも時代の鏡だと思っている。
そういった意味では生活家電を手がけなかったことはそのまま市場の声を反映してい
ると思っている。
デザイン家電は、わたしには過剰な仕上げと色彩だっと思えた。家電というもののも
つ「使い倒される」という使命を果たすにはあまりにも繊細でそれは鑑賞物のように
思えた。
ユーザーに気を使わせるという有り様は不思議だ。わたしが黒い材料を使ったりステ
ンレスを多く使っているのは自分の「アイコン」ではない。
毎日ハードに使われてもびくともしない頑丈さと「きれいに保ちやすい」材質にこだ
わりを時として出来る傷や凹みさえ「愛情」につながるような製品の有り様を模索し
た結果だ。
製品を紹介する記事の多くは箱から出したばかり、通電もしないで美術品のような佇
まいを「愛でる」。
先日大阪へ行った時、駅前の大型量販店「ヨドバシカメラ」に寄った。
かつてはデザイン家電も扱っていたがその姿を見かけなかった。デバイスタイルのワ
インセラーは健在でサーモマグやケトルタイプののコーヒーメーカーが今もかわらず
展示されていてそこに新たにep2の3色が並んでいた。 IHのコーナーにはMAがしっ
かり存在して、さらにいえば値段が発売当初と一切変化していない事だ。
売られ続けているという事実ともう一つ大切なのはディスカウントされているのをネ
ット以外の量販店で見た事がないという事だ。
手がけた製品の多くがお披露目された時に、『もっと高い値段でも売れるのではない
か』と言っていただけた。しかしメーカーもわたしも上げる事は良いとは思わなかっ
た。
逆に言えばそれまで売られている製品にくらべれば高いか同等だった。デザインで売
られているものがその機能と材質を考えると高い値段設定だと思えた。
わたしはデザインというものは、ユーザーに対するサービスでありメーカーを越えて
その製品全体のレベルアップをはかるための気持ちを表現するものだと思っている。
デザインが良いという事はコストを下げ部品を減らすものであってメーカーもユーザ
ーも満足な購入の喜びを提供するものだと思っている。
EP2は「デザイン家電」とは呼ばれないだろう。群でなければ比べるモノが無ければ
総括する名称は生まれない。
5:41 PM
November 3, 2011
0.1mm
スケッチが大事じゃないといいながらまたスケッチを載せているのも変ですがこの
スケッチは今から35年前の学生時代に描いた弥勒菩薩像。
これはロットリングという製図で使っていたペンの補充用「インク」からダイレク
トに紙に描いたものですが、どうしてあんなスポイド状のものからこんな細い線を
紡ぎ出せたのか自分でも不思議であります。 到底今の自分には描けない。
それぐらい大学時代の後半には描写力が高まっていた。自慢話はこれぐらいに。
今、富士通デザインでワークショップをさせていただいています。
その事の詳細はまた別の機会にちゃんとしたいと思うのですが、そこでスケッチ力
の向上と企画構想力とプレゼンテーション技術を伝える事をしています。
会の始めには、コピー用紙に横の線と縦の線を何本も引いてトレーニングをします。
そこで参考の為に自分が昔描いたスケッチを何枚か持参しましたが、その中にこの
絵ではないのですが同じ時期に描いた仏像のスケッチがありました。
よく「石膏デッサン」の重要性を話しますが、そこで描くのはもっぱらギリシャ時
代の彫刻かそのレプリカのローマ時代の大理石像から写した石膏像がほとんどです。
そこには「仏像」はほとんど入っていないのですが、そこには理由がある。推測で
すが。
「難しい」。描くのが。 ギリシャ彫刻は体格もよくまさに筋肉隆々で顔も鼻は高
く目も大きくすべてのパーツが起伏に富んでいる。
他方仏像は顔はつるっとしていて身体もなで肩でこれまたつるっとしている。およ
そドラマは作りにくい。
わたしは学生時代そのギリシャ彫刻から仏像に興味が移っていった。つまり難しい
ものを描いてやろうという野心が芽生えていた。
そういう事はすっかりすっきりわたしの記憶から忘却されていた。
今年に入って2度奈良を訪れる機会を得て東大寺の大仏をはじめ興福寺の国宝館にも
行き数年前に東京で見た阿修羅像にも再会した。
なにかがわたしに働きかけてきた。
プロダクトデザインというものは言ってみれば「ギリシャ彫刻」のようなものだ。
およそすべての「起源」も「方法論」もヨーロッパでありアメリカであるわけです。
だからといって自国の文化を強引に引用するような事はこれまでわたしはしてこな
かったし、これからも多分そのベースは変わらない。
しかし手だてと使い方はあるように思えた訳です。
繊細さ。そう繊細さは重要なデザインのファクターじゃないか。そう思った。
これまでよりも1/10細かくデザインのディティールを掘り下げてみようと思っている
のです。 つまり0.1mmの工夫を。
6:30 PM
November 2, 2011
デザインにとって重要なのはスケッチではない
まあこんなスケッチをブログに載せたら「スケッチ自慢」としか思われないでし
ょうがわたしが言いたい事は「そういう事」ではありません。
昨日の晩津田沼にある千葉工業大学でスケッチのワークショップを開きました。
一般の方の参加もオッケーという事で総勢60人ほどだったでしょうか。
上と下のクルマのスケッチはその時に描いたものですが、格別上手いという訳で
もありませんが、そこでホワイトボードに貼った全紙サイズの模造紙にそれぞれ
10分ほどで描いたというスピードはちょっと誇ってもいいかもしれません。
ワークショップが終えた後、山崎先生の研究室で懇親会があった時に先生がわた
しにこう言いました。『アキタさん 今日はキモの話をされませんでしたね。』
そうとても鋭い先生であります。
『アキタさんが言いたいのはスケッチは重要じゃないよという事なんだよ。』と
そばにいた学生さん達に解説してくれました。
そうなんですよね。確かにスケッチはうまいに越した事はない。さらに言えばデ
ッサン力は造形力に直結しているし、デザインの「深さ」にも関係してくる。
とは思いますが、それが全てではない。
これくらいの絵がかけたとしても、絵だけだったらこんなにいろんな学校にも呼
んでもらえないでしょう。
そこに集まってくれたわたしと年が近いデザイナーの方や日頃研究所にいらっし
ゃるデザインと関係のない方は津田沼に来てくれなかったでしょう。岡山から来
てくれた学生さんも湘南から駆けつけてくれた後輩もここにはいないでしょう。
山崎先生も言われていましたが、スケッチを大事と言わないわたしが『スケッチ
のトレーニングをしましょうか。』と言い出した事そのものが「新鮮」だったそ
うです。
ちなみにわたしは去年千葉工大での「スケッチワークショップ」での参加者の熱
心さと集中している様子に感動して、その数週間後滋賀県立大学で「スケッチワ
ークショップ」を開きました。そこにも外部の大学からも参加者が来てくれて大
盛況でした。
「すべらない講座」と言っても過言ではないでしょう。絵の苦手な人にとって
「絵が上手い」というのは魔法のようなものです。ピアノをひけないわたしがピ
アニストの指先に魅了されるようなものです。
わたしは昨年の滋賀県立大学で久々にクルマの絵を描いて「これは伝わりやすい
テーマ」と思って今回もクルマを描きました。 わたしはクルマの絵を描く事は
「まったく」なくてひさしぶりに描いてまたその一年後の昨日まで一枚のクルマ
の絵も描いてません。
嫌み? そんなつもりはありません。クルマも建築も携帯もコーヒーメーカーも
「等価」でありなにかを描いていれば描けるものです。
つまり「目」と「手」がいかに連動するかがポイントであり、描く対象のどこに
特長があってどういう縦横比なのかが読み解けるようになるのが「スケッチのキ
モ」です。
わたしがこういうスケッチをずっと描いていたらtrystramsの四角い箱も「tsutsu」
も「do-nabe」もも「あんなシンプルなカタチ」にはなりません。
それらのものは「絵が上手くかけないモノ」ばかりであり「スケッチとして面白
い変化もコントラスト」もそこにはありません。
「絵ではかけない美しさ」です。
その昔オーディオの製品に美しい製品群がありました。わたしはそのシンプルで
平面的で「起伏の無い」いわゆる「スケッチだと面白みに欠ける」デザインがど
うして社内の「会議の場で承認」されるのか不思議でしょうがありませんでした。
今にしてみればとても「勘違い」をわたしはしていたと思います。絵が面白い事
と製品になった時に「面白い」という間にはおおきな隔たりがあるのです。今ス
ケッチを描く事無くデザインが作られるのことが多くなって「スケッチが珍しい」
のかもしれませんが、別段手描きの昔に戻る必要はありません。
造形の選択肢が増えたのです。

9:32 AM



