Archive of June 2020

June 25, 2020


機嫌の良いデザイン

ここ数年で最大の発見(?)は、自分の機嫌の良さでした。

毎日だいたいニコニコしているし、人と会えば冗談をいう人です。

それゆえ、文章だけからわたしを想像した会いに来た人たちは、文章と

のギャップに驚いて帰られますが、たぶん会社に戻って文章を読むと

また厳しそうなわたしに戻って、いったいあの「実物」はなんだった

のか幻かと思うのかもしれません。

そういうギャップの存在が自分でわかっても、その差を埋める術が思い

つきません。

なにせ作品(製品)の多くがモノクロかつシンプルなのでさらに「笑っ

ていない」ように思われます。

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下の写真は最近購入した、ソットサスデザインの名作オリベッティーの

タイプライター「バレンタイン」(1968年)です。

その永久性はもとよりなにせ「機嫌が良いデザイン」です。

綺麗で発色の良い赤が部屋をいっぺんに明るくします。本体の形状自体

はシンプルですが「キー」が電動ではなく機械式なので十分に「複雑性」

をかもしてます。さらに横あるハンスウエグナーの椅子も「機嫌が良く」

見えるしアルバアールトの机も機嫌が良く、ヤコブセンのテーブルラン

プも機嫌がよさそうです。机周りで唯一「無愛想」なのがiMacでしょう

か。

しかし次第に「デザインにおける機嫌」というものがその「素材と色」

におおきく左右されている事に気がつきます。

陶磁器や木製品というのは、肌合いや色によって「おのずと機嫌がよく

見えやすい」という特性があります。

わたしは80mmやdo-nabeを手掛けた時に「その事に気がつき」ました。

なにせ「細かい事が再現できない」というのも結果的に「機嫌よく見え

る」理由につながったりします。

べつに「機嫌が良い」事だけが、その製品の価値基準ではありませんが

使う人が明るい気持ちになるもの大事な要素です。

秋田道夫

2020/6/25

バレンタイン.jpg

10:42 AM

June 23, 2020


行為の質

自慢話が続くと読む方もいやでしょうね。よくわかります。

しかし「自慢も書かない美しい人」で過去から現在までいたらたぶん

中国のサイトに載ることもなければ、みなさんが知るところのデザイ

ナーにもなっていなかったかもしれません。

別に「美しい」の反対語が「浅ましい」とは限りません。

たしかに『いやー別に有名になりたくなかったのになっちゃった。』

というデザイナーの「都市伝説」を聞いたことがあります。

しかしその「実態」はよくわかりません。

本人は「なりたくない」と思っていたかもしれませんが、その実は

有名に「なれる可能性の高い道」を歩んでいたのかもしれません。

実際わたしの知った「なりたくないのになったデザイナー」という

人は、入るのが難しい大学を出て入るのが難しい企業の経験です。

海外のデザイン事務所の経験者だったりします。

ようは「言葉ではなくて行為」の問題というか「行為の質」にあり

ます。

しかし、そこに「時代の景気」という別の要素がおおきく絡んでき

ます。わたしは1953年生まれですが、その前後3年間は就職氷河期

でした。絶不調ですね。その2年前、その2年後の卒業生とは大きく

就職した企業が異なります。

その「なりたくなくてもなったデザイナー」はひょっとすると時代

の勢いがあったのかもしれません。1965年生まれにたくさん有名な

デザイナーが誕生していますが、その世代の人たちが就職する時は

バブルの真っ盛りでした。

今活躍している1977年や80年生まれのデザイナーは、これまた就職

氷河期でした。それゆえ企業に属した経験の無い人もいます。

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ようは個人的な「状況」が異なるわけで、ひょっとするとわたしも

もっと前かもっと後にデザイナーになっていたら「なりたくなりのに

なっちゃった」という人だったかもしれません。

実際独立してから15年ぐらいは「美しさを保って(?)」いましたが

『このままではまずい』と思ったのが90年代の終わり頃でした。

だって会社員時代の後輩がどんどん世に出ていて「出るタイミング」

を逸していましたから。

最近ちょっとは落ち着きました。

秋田道夫

2020/6/23

11:49 AM

June 21, 2020


ライフスタイルデザイン

なぜか、中国や台湾では結構有名人です。

理由として考えられるのは、15年前に台湾で大きなコンベンションが開

かれてそこでスピーカーの一人として演壇に立って話した内容が、今だ

に資料として残っている事。そして中国を代表する電機メーカーである

ハイアールの仕事をした事でしょうか。

実は、こういうリストに10年前から載せてもらっています。

正直その「美しき誤解」というか自分にとっては都合の良い評価軸を

国内でも作れるのかというちょっとした逆輸入的な事を思っています。

たった一度の講演での話が、そんなに流布し続けるのか不思議でなりま

せんが、そういった意味では驚くほどパフォーマンスが高いと言うか効

率の良い人です。

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妙な自慢をすればおそらくこの中でもっともよく笑い冗談をいい、仕事

の数も働いている時間も短いのかなと思ったりします。

独立してから長い時間、スタッフもいないのに、9時に事務所に来て8時

に帰るという生活を続けていて徹夜した記憶はありません。

それだけ残して来た仕事も少ないわけです。

そういう有り様でジャーマンデザインアワードの金賞を65歳を過ぎてか

ら受賞したことは「デザイナーの仕事の仕方」に一石を投じているのか

もしれません。

無理をしないで来たおかげでまだまだ気力もあるし新しい事にチャレン

ジしようという意欲が残っているのが嬉しい事です。

秋田道夫

2020/6/23

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10:25 AM

June 14, 2020


入学案内

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今年度版の愛知県立芸術大学の入学案内に掲載していただきました。

わたしが最初にいるのはそれは卒業年度が古いからです。1977年

43年前。当時試験の倍率が20倍を越えていました。そんな学校によく

入れたなあと思い返しますが、まさかこうやって入学案内に掲載され

る「未来」がくるとは思ってもみませんでした。

秋田道夫

2020/6/14

10:18 AM

June 13, 2020


動物生態学としてのプロダクトデザイン

デザインにも動物生態学の要素があると思っています。というかもとも

わたしはヒトは人である前に動物だと思っています。

さてどんなジャンルの製品でも良いのですが必ず類似した「かたまり」

が発生します。

なぜかたまるのかといえばそれは作る側も買う側も「安心したいから」

に他なりません。

牧歌的に例えて言うならば、広い高原の中で一箇所に集まる羊の群の

です。高原(市場)は広いのに狭いところに集まっているのが合理

なんです。

よく『なぜ日本の製品は似たり寄ったりなんだ。』と指摘する人がいま

が、案外にそう発言する人もまた羊の群れの中にいるからこそ「安心

して」そんな事を言えたりするのです。

さてどんな世界にも群れから離れて一匹でいる羊がいるものです。

羊なのに「一匹オオカミ」なんて言われたりして矛盾していますが。

その群れから離れた一匹羊にも「二通り」あるところが今回のお話の

イントです。

一つは「天然」なタイプです。

ちょっと距離感と動物的カンにズレがあるわけで「とても危ない」。

もう一つは「意識的に群れから外れる」タイプです。ようはわたしの

ように目立ちたいタイプです。というか本来的にデザイナーとはそう

いう羊だと思っています。

なにせ「意識的」ですから、実はヒト一倍(羊一倍)に「どこに群

れがいるか」については常にセンシティブです。

狼が来たらいつでも群れに戻れるセンサーと「逃げ足」が必要です。

若い時は走力があってもいい歳になっても離れているのは大変です。

日頃わたしがのんびりしているのはたぶんなにかの時の走力を温存

ているからです。なかなかの矛盾です。

ここまでが、今月のはじめにfacebookに書いた事です。

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デザイナーの個性をどうみなさんは思われているでしょう。

わたしはデザイナー特にプロダクトデザイナーには個性というもの

無いと思っています。

考えてみると小学校から中学校を経て高校あたりから個性的では

「先に進めない」事態が迫ってきます。まあ知性が人一倍発達し

て大人びていることを「個性」と捉えられる事もありますが、そ

れは厳密な意味での個性ではありません。さらに美大芸大に進み

たいとなると高い倍率をくぐり抜ける度に「個性の皮膜」が剥が

れて行きます。

例えば、芸術家が独特な服装や奇行をして「個性」と思われるか

もしれませんが、それすらも「学習の賜物」であって世界のどこ

か時代のどこかに「原型(モデル)」が存在するものだと思って

います。

「個性=学習」というお話は聞いた事がありませんので、これが

わたしのあくまでも仮説です。つまり最初の生態学で言えばまっ

たくの天然では、生き残れないのです。実際早世した天才はいく

らでもいます。

つまり一般的に言われている「個性」とは「ずれ」を意味してい

ます。「ずれ」ではあっても「はずれて」いないというのがミソ

です。そのずれは周到に中心をなす羊の群れからどれぐらいの距

離でどの方向に「ずらすか」ということはそれぞれのデザイナー

は考えて仕事を進めているのです。

わたしは「円筒形」で「金属製」の製品が多いのですが、それも

意図です。

考えてみれば円筒で包含できるものは「六角形」でも「八角形」

でも三角形でなければ「四角形」でも包含できるのです。プラス

ティックに置き換える事も出来ます。それは、すでに「なにが他

のデザイナー」によって領域を支配されているかという判断によ

るものです。


『なんだかつまらない。』そう思われるかもしれませんが、みな

さんが仕事にしている領域で考えてみてください。「つまるもの」

がどれだけ残っていますか。デザインも同じなんです。

秋田道夫

2020/6/13

12:22 PM

June 10, 2020


ポピュラー

平素デザインの話題というものから距離をとっています。

今風に言えば「(デザイン)ソーシャルディスタンス」ですね。

変わりと言ってはなんですが、デザインがまず顕著に見える都心の様々

な場所には足を運ぶようにしています。

そうすると「なにも起きてはいない」「なんも変わってはいない」と

感じるんですね。たしかし「なにかをしているような行為」は散見しま

すがその「恣意的行動」がはたしてどれだけ一般の人の気持ちに入って

いるのかは疑問です。

もうひとつの情報源は「自分検索」です。なんらかのかたちで自分が

関与や影響をしているものを見て「デザインの世界」を感じるように

しています。

さてなぜ「ポピュラー」というタイトルにしたかと言えば今デザイン

とくにグラフィックデザイナーの世界で有名な人達の「代表作」とい

ものが、手軽に手に入るガムや缶ビールといった日常的であり安価な

ものをして「代表作」と表されている事に気がつきました。

ようは「目にする機会の多さ」に、知名度が委ねられている。

『あー、あれね。』というコンセンサスですね。それぐらいでないと

会話にならないわけです。

それはデザインの質を語る事よりもそういう「大量に作られるものを

まかされている」という事が社会的評価だと「置き換わられている」

とも言えます。

プロダクトデザインでも同様の事が言えて、値段が安く大量に生産さ

れるものを担当しているイコール評価です。

かくいうわたしも「信号機」というほんとに街にありふれている製品

を手掛けているのでそこの部分を社会的評価だと思われているのかも

しれません。しかし勘違いしないで欲しいのは、仕事の発端は政府か

らでも警察からの依頼でもなく一信号機メーカーからの依頼によるも

ので「きっかけはとても小さいところから」はじまったものです。

さらに言えば「信号機にデザイナーが関わって製品になっている」と

いうのは、国内でははじめての事であり「デザイナーが関わるという

かたち」を作ったという事で、「だれがそれをするかの競争」ではな

い事です。

つまりポピュラーというのは、それがデザイナーが関与するのが「認

知済み」のものとそうでないものがあって「ないものをあるものにす

る」という事に対してわたしが関与してきたという事です。

この話は「主題」を言わないで書いているのでなかなか理解しにくい

内容ですが、わたしはポピュラーの「真ん中」を自分が担うかではなく

「デザインの必要な領域を広げる事」に常に関心と行動があるという事

を書きたかった次第です。

秋田道夫

2020/611

る」

1:15 PM